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今日はかやのお宝人権まつりが、らいとぴあ21でありました。
そのお祭りの一角に、バンブーダンス体験コーナーがあり、三中のALTと教員と外国人市民がコーナーを担当しました。
バンブーダンスは、閉じたり、開いたりする長竹2本をまたいで踊る、フィリピンなどに伝わる伝統的なダンスです。
和気あいあいとしたなかで、外国人と地域の人たちが楽しんでいました。
たくさんの市民が集うお祭りで、私は教え子と会い、久しぶりのたくさんの積もる話ができました。
懐かしかったとともに、「人が集まる場」は大切だと感じました。
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さて、閑話休題。「人が集まる場」についてのエピソードです。
三中の教室や体育館にいると、北側から阪急電車箕面線を、電車が走る音が聞こえます。
三中校区にお住まいの方なら当たり前のことかもしれません。
でも、私は3年前に三中に着任したときは、その音が新鮮で驚いたのを思い出します。
私は三中の前に、五中、二中、六中と経験しましたが、全8校の市立中学校で、阪急電車が走る音が聞こえるのは三中だけです。
また、私は高校時代から阪急電車箕面線を、通学で利用していました。
みなさまにとっても、なじみ深い阪急電車の話題をお伝えします。
『乗る人がいなくて赤字になるなら、乗る客をつくり出せばよい。
それには沿線に、人の集まる場所をつくればいいのだ。』
こう言って、集客力を説いたのは、阪急電車の創業者である小林一三さんでした。
彼は阪急沿線に人が集まる魅力的な場所を作りました。
それがいまの 阪急宝塚線の原形となっています。
1910年に箕面有馬電気軌道は宝塚本線・箕面線で運行を開始しました。
そして、鉄道沿線に住宅地を開発し、サラリーマン向けに安価な価格で提供しました。
1911年には宝塚新温泉の営業を開始しました。
1913年には宝塚歌唱隊(現在の宝塚歌劇団)を組織するなど、沿線の魅力を高めて鉄道経営や宅地開発との相乗効果を高めました。
その後も、宝塚大劇場の建設、宝塚ホテルの設立などを進めました。
このように、彼は自分の言葉を具現化したのです。
今の宝塚沿線の開発・発展は、小林一三さんの尽力によるところが大きいのです。