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今回とりあげるのは、二日前と三日前に、このブログで触れた「幸福」についてです。
小学校の卒業式に出席すると、多くの場合、卒業証書をもらうとき、子どもたちは自分の夢を宣言します。
たとえば、「私は将来医師になって、病気の人を助けます」とか「私は将来花屋さんになって、美しい花を売ります」などです。
その夢の実現のため、三中生となった今でも努力を続けている人もいるでしょうし、どうせ夢だからと忘れてしまっている人もいるでしょう。
私は思うのですが、将来の夢と人生の目標はちがいます。
将来の夢は人それぞれです。思い思いの職業を描きます。
しかし、人生の目標は、みんなに共通しています。
みんなに共通しているものは、幸福になるという人生の目標です。
幸福になることを求めない人はいません。
お金もちになることが、幸福かといえば、必ずしもそうではないです。
人がうらやむような生活をしていても、その人の心が幸福であるとは限りません。
でも、心が幸福なら、ほかの人から見て不幸に見える生活をしていても、その人は幸福です。
私には、孫がいますが、たまに会う孫と娘と一緒にいる時間や元気に育っていることを思うとき、幸福を感じます。
三中の親御さんなら、お子さんが元気に成長していること、家族が楽しく毎日を送っていることに幸福を感じることでしょう。
幸福な心は、お金で買うことはできません。心が幸福でないままで、外に幸福を求めようとするから、幸福になるのが難しくなっているのです。
自己を認め、他者をうらやましがらず、ものごとを人のせいにしない。
それが幸福な心だと思います。幸福とは、職業や生活の形ではなく、自分の心のありようそのものなのです。