箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

青い鳥を求めて

2018年10月15日 13時05分29秒 | 教育・子育てあれこれ


昨日は、「幸(さいわい)とは、人にいい行いをすることで得られるもの」と、ブログに書きました。

『青い鳥』という児童劇をご存知だと思います、

メーテルリングの作です。

青い鳥は、幸せや幸福の代名詞とも言われています。

チルチルとミチルは、青い鳥を探して、夢の中を旅します。
でも、夢の中では、青い鳥を見つけることができませんでした。
ところが、目をさますと、家の暖炉の近くに、その青い鳥がいたことに気がつくというくだりがあります。

この物語は、青い鳥が見つかってよかったねという解釈が一つ目。

幸福は、すぐ近くにあるのに、人はとかく気がつかないことが多いという解釈が二つ目。

幸福は求め続けることが大切なのだというメッセージが三つ目になります。

私は、この三つ目の解釈こそが、メーテルリングがいちばん伝えたかったことだと思います。

幸福希求力とも言える、希望を失くさず生きていくことは、先行き不透明ないまの日本社会にあって、生徒たちに望むことです。

そもそも、幸福は求め続けるものであり、幸福と不幸は裏表の関係にあり、移り変わりやすいのです。

このとき、重なってくるのが「銀河鉄道の夜」で宮澤賢治が、伝えようとしたメッセージ「幸(さいわい)とは、人にいい行いをすることで得られるもの」です。

メーテルリングも宮澤賢治も、幸福を求め続ける旅が人生であり、自分だけのものではなく、他者にいい行いをすることで幸福は生まれるものである。

この点で、自分の幸福には、必ずと言っていいほど、他者が介在するのです。

2学期の始業式で、三中の生徒に、私が話したこととも関連します。

ドラえもんの『のび太の結婚前夜』で、しずかちゃんのお父さんが、のび太のことを、「あの青年は、人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」

三中の子も、他者にかかわる中で、幸福を見いだす生き方をしてほしいと思います。