昨日は、「幸(さいわい)とは、人にいい行いをすることで得られるもの」と、ブログに書きました。
『青い鳥』という児童劇をご存知だと思います、
メーテルリングの作です。
青い鳥は、幸せや幸福の代名詞とも言われています。
チルチルとミチルは、青い鳥を探して、夢の中を旅します。
でも、夢の中では、青い鳥を見つけることができませんでした。
ところが、目をさますと、家の暖炉の近くに、その青い鳥がいたことに気がつくというくだりがあります。
この物語は、青い鳥が見つかってよかったねという解釈が一つ目。
幸福は、すぐ近くにあるのに、人はとかく気がつかないことが多いという解釈が二つ目。
幸福は求め続けることが大切なのだというメッセージが三つ目になります。
私は、この三つ目の解釈こそが、メーテルリングがいちばん伝えたかったことだと思います。
幸福希求力とも言える、希望を失くさず生きていくことは、先行き不透明ないまの日本社会にあって、生徒たちに望むことです。
そもそも、幸福は求め続けるものであり、幸福と不幸は裏表の関係にあり、移り変わりやすいのです。
このとき、重なってくるのが「銀河鉄道の夜」で宮澤賢治が、伝えようとしたメッセージ「幸(さいわい)とは、人にいい行いをすることで得られるもの」です。
メーテルリングも宮澤賢治も、幸福を求め続ける旅が人生であり、自分だけのものではなく、他者にいい行いをすることで幸福は生まれるものである。
この点で、自分の幸福には、必ずと言っていいほど、他者が介在するのです。
2学期の始業式で、三中の生徒に、私が話したこととも関連します。
ドラえもんの『のび太の結婚前夜』で、しずかちゃんのお父さんが、のび太のことを、「あの青年は、人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」
三中の子も、他者にかかわる中で、幸福を見いだす生き方をしてほしいと思います。