この頃、古民家に移り住みたいという人がいたり、または移り住んだ人がカフェを開いている様子がテレビにとりあげられたりします。
「田舎暮らしでのんびりしたい」、「田舎暮らしが私に向いている」。
野菜を作って、自給自足の生活に憧れる人がいます。
しかし、田舎に住み続けている私から言わせると、たしかに自然は豊かでいいですが、自然とはそんな甘いものではないのです。
虫はいっぱい出ます。ヘビやマムシが出ます。
農作業をしていたら、蜂に刺されることもあります。
野菜を作るには、充分な肥料を入れないと満足なものはできません。
イノシシやシカが出没して、作物を食い荒らします。
夜にイノシシと遭遇すれぼ、身の危険を感じます。
古民家には、ネズミが住んでいることもあります。
移り住んだ日から、天井裏ではネズミがレースをしているかもしれません。
私は、ブログでよく自然と共に生きる素晴らしさを伝えています。
しかし、それは、生まれて長年住んでいるからこそ、到達する境地です。
田舎生活の苦さを知っているから、自然への愛着が生まれます。
人にとって、自然を楽しむのは、オールタイムではなく、パートタイムでいいと、私は考えます。
大きな店舗があり、日用品は手に入れやすく、インフラが整った都会の生活は、住みやすくていいと思います。
間違っても、今まで都会生活に慣れた人が、「老後は田舎で、ゆったりと過ごしたい」なんて思わない方がいいです。
田舎にゆったりとした生活などありません。
春や夏には、雨の後、草が伸びてきます。夏の炎天下でも、草を刈らないと、土地が荒れます。
「WBTCが28度を超えているから、草刈りはしません」なんて、言えないのです。
庭に植木があれば、葉刈りをしないと伸び放題になります。都会の家の庭と違い、植木の本数がケタ違いに多いです。
秋には、落ちた枯葉を片付けなければならない。
冬には、道路が凍結していないか注意しなければなりません。
優雅な生活など、期待できません。
しかしながら、そのようにして自然と格闘することを続けていると、自分の田舎に愛着が出てくるのです。
そんなときに、「ふるさと」の歌詞に触れると、自分の実感と重なります。
「うさぎ追し かの山 こぶな釣りし かの川
夢は今も 巡りて 忘れがたし ふるさと」
この歌詞を聞くと、私は自分の少年時代を思い出します。
小学生のときには、近くの山でうさぎ狩りの学校行事がありました。
近くの川では、ごはんつぶを餌に釣り糸を垂らすと、川魚がとれました。
この歌詞は、都会にいてふるさとを想うシーンだと思いますが、私にとっては、いまも昔と同じふるさとなのです。
私は、三中の子はいいところに住んでいると思います。
適度に自然が残り、インフラは整備されていて、買い物にも困らないし、阪急電車に近いです。
梅田まですぐ行けます。
そして、それぞれの人にそれぞれのふるさとがあります。