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現代社会は、経済至上主義であり、また無駄なことを否定して、効率を重視します。
それらを否定するわけではありませが、自然に委ねる生き方は、ある意味で豊かな生き方だと、私は思います。
次の俳句に、私は心を惹かれました。
作者は有名な俳人ではない、70歳代のある被災者です。
身一つとなりて薫風ありしかな
思いもしなかった大津波に遭遇して、家や財産を全部失ってしまった。
茫然自失の日々をしばらく過ごしていた。
しかし、ふと我にかえると、そこにはかけがえのない家族がいて、今年も初夏の薫風が変わらず吹いていた。
打ちひしがれていた間にも、季節は確実に変わり、自然は絶え間ない命の循環を行っていた。
震災をくぐり、自らの命を繋いだのだと、薫風で確かめる様子が伝わってきます。
「ありしかな」は詠嘆の言い切りです。強く言い切ることで、心の向きが変化します。生きていこうという覚悟が固まります。
この俳句を詠むと、私はAKB48の曲「風は吹いている」(2012年)を思い出しました。
「この変わり果てた 大地の空白に 言葉を失って 立ち尽くしていた 何から先に 手をつければいい・・・
それでも未来へ 風は吹いている 頬に感じる いのちの息吹 それでも私は 強く生きていく・・・」
私は、秋元康さんの歌詞は、いつも的確にテーマを表現していて、聴く人を前向きな気持ちにさせる。私は見事だと思っています。
地震も津波もすべて自然のなせる技です。自然は人びとを痛い目にあわせました。
しかし、震災後でも、薫風を受けることで自然を感じる。
これは、震災後も、人びとの自然への信頼は少しも揺るがないということがわかります。
これが「自然と共に生きる」という、真の意味だと思います。