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熟練した教師の言葉は、「よく見てくれているな」と生徒に感じさせ、それでいて「最後は自分で責任を引き受けようとしてくれている」と生徒に思わせます。
そんな教師には、優しい言葉でも、厳しい言葉でも、それは、生徒をしっかりと見ていればこそ出てくるものです。
その生徒をよく観察して、その子の気持ちや心情に思いを察して、そのときに、その子にいちばん必要な言葉を投げかける。
それが、生徒をねぎらう言葉でも、励ます言葉でも、叱る言葉でも、相手の心に必ず届きます。
私はそんな教師になりたいとずっと思ってきましたし、今も思っています。
今までの私の教職経験では、不用意な言葉で、生徒を傷つけ、悔いたこともあります。
こちらの思いが生徒に伝わらず、残念な気持ちになったこともあります。
でも、そんなとき、フォローして、支えてくれた同僚や先輩教師がいました。
三中の教員も、生徒をしっかりと見て、その内面の心の動きを察して、適切な言葉かけができる人になってなってほしいと考えています。
これができるには、一定程度の教職経験を積まないと身に付きません。
しかし、経験よりも大事なのは、生徒の心情や気持ちを感じとるアンテナです。言い換えれば、教師の感性というものです。
この感性はもともと備わっている場合もあるでしょう。そんな人は教師になるべくしてなった人です。
でも、多くの場合は身につけたいと日々実践を重ねて、生徒の喜怒哀楽を身近で共感することで磨かれていくのだと考えています。