箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

自分の存在を認められること

2019年02月22日 13時48分23秒 | 教育・子育てあれこれ



2月の全校朝礼が、今日ありました。

全校生徒の前で話すのは、1月17日の避難訓練以来でした。

私からの講話を紹介します。

🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹

自分の存在を認められること  
<H31(2019).2.22 全校朝礼>


私がある日の朝、三中に向かっていました。

阪急石橋駅の改札口を出て、阪急タクシーの前まで来た時、白いベンチコートをきたお姉さんがいました。

彼女は、通行する人にポケットティシュを配っていました。ポケットティシュの裏には、お店の広告がついていたものでした。その人はアルバイトでティシュ配りをしていたのでした。

通勤や通学で石橋駅の改札口を通る人は、みんな足早に過ぎていき、誰もがティシュには目もくれず、お姉さんが「どうぞ」と差し出しているのに無視をして通り過ぎる人がほとんどでした。

お姉さんは、それでも黙々と「おはようございます。どうぞ」とティシュを差し出していました。

私が通りかかると、そのお姉さんは、同じように「どうぞ」とティシュを差し出しました。

私は受け取り、「お疲れさま」と声をかけました。すると、お姉さんはハッとしたように、「あ、ありがとうございます」と、ニコッとして答えてくれました。

三中生のみなさん、この実話を聞いて何を感じましたか。言っておきますが、私は自分が親切な優しい人ですと言いたいのではありません。

では質問を変えます。ハッとして「ありがとうございます」とニコッとして答えてくれたときのお姉さんは、どんな気持ちだったのでしょうか。

教室でなら、みなさんの考えや意見を一人ずつ聞くのですが、私は500名以上の全校生徒に問うていますので、答えはその人その人それぞれだと思います。私の考えを言います。

それは、お姉さんは自分の存在を認められたと感じたからうれしかったのではないかということです。

そのお姉さんがデートの待ち合わせで改札口外に立っていたとして、たまたま通りかかった人から声をかけられることはなかったはずです。

一生懸命働いていたからこそ、わたしはねぎらいの言葉をかけたのです。

人が一番つらいのは、「自分は見捨てられている」、「誰からも気にかけられない」という思いではないでしょうか。

誰からも顧みられなければ、社会の中に存在していないのと同じことになってしまうのです。

では、話題をみなさんの生活に引き寄せましょう。学級や委員会、クラブというものも、社会のようなものです。基本的には、見知らぬ生徒同士が集まっている集合体です。だから、そこで生きるためには、他者から何らかの形で承認される必要があるのです。

そして人を承認する方法の一つが、「気にかけているよ」という声かけやまなざしです。

さらに、突っ込んで言うと、コミュニケーションです。

しかし、コミュニケーションというのは、けっこう難しいのです。相手にも感情があるので、自分の気持ちがちゃんと伝わらなかったり、言ったことで誤解を受けたりで、けっこう過酷です。

しかし、だからこそ、私はコミュニケーションの可能性も大きいと思います。

コミュニケーションによって、人から自分が、笑顔や勇気や元気をもらえることもあるのです。コミュニケーションをすると偶然に生まれるいいこともあります。

それは言うほうは予想外のことでも、相手の気持ちにストンと入る場合もあるのです。

コミュニケーションは、人によっては耐えきれない、「煩わしい」と思う場合もあるでしょう。

でも逆に、何かに目覚め、何かに気づき、大きなものを得る可能性もある。このことを、三中生のみなさんは覚えておき、やはりコミュニケーションに頼って生きる人になってください。
🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹


この後、表彰伝達、人権作文の朗読、部活後輩から三年の先輩に贈るメッセージなどを行いました。