箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

"教育"と"教養"

2019年02月23日 22時23分34秒 | 教育・子育てあれこれ








昨日の5・6限に、一年生は福祉体験学習を行いました。

もとは、この体験学習は1月に予定されていましたが、インフルエンザによる学級閉鎖で実施できませんでした。

そのため、今日に延期して、実施した次第です。

生徒たちは、5つのコースに分かれて、体験学習をしました。

①点字体験
②子どもとのふれあい体験
③要約筆記体験
④高齢者体験
⑤視覚障害体験

なかでも、私の印象に残った講師のことばを一つ紹介します。

高齢者体験で、

高齢者にとっては、「きょういく」と「きょうよう」が大切なのです。今日行くところがあることと、今日用事のあることが大切。これが生きがいになるのです。

人生100年時代と言われる今日、高齢者がいつまでも、健康で長寿を保ち、認知症予防のためにも、意味の深いことばだと、私はかみしめていました。



悩み多き青春時代

2019年02月23日 07時00分24秒 | 教育・子育てあれこれ



私の青春時代は、思い起こせば、ああでもない、こうでもないと悩み多きものでした。

大阪府東能勢村(現豊能町)いう田舎で生を受け、緑多き自然の中で育ちました。

春にはレンゲの花が咲く野原を走り回りました。

夏には、クワガタやセミを採取しました。

秋には、色づいた樹木で落ちる夕陽をながめ、物悲しい気分になりました。

冬には、凍るような寒さの中、学校に通い、何度も積もった雪で雪合戦をしました。

小学校入学の頃は、クラスは10人の単級でした。

小学校4年に宅地造成され、初めて転入生が来ました。

中学時代も単級でしたが、卒業時には25人となっていました。

自然の中で大きくなり、小規模の学校で育った私は、純朴な田舎の子でした。


それが高校では、1クラス45人で学年が10学級ある「都会の学校」へ、突然入学しました。

都会の子がまぶしく見えました。私にとっては、カルチャーショックともいえる都会の子との出会いで、馴染むのにけっこう苦労をしました。

心許せて、しっくりとくる友だちを求め、さまよっていました。

おそらく、青春というものはだれにとっても、たいへんで悩み多きものです。

でも、くわえて、わたしの場合は、都会と田舎の狭間で、悩みの連続でした。

自分が田舎育ちということで、自分を卑下しました。

今でこそ、「田舎暮らし」が注目され、田舎に住みたいという人もいます。テレビでも、その話題を取り上げています。

しかし、1970年代当時は、街に住まない人は「田舎もん」として、豊能地区の子は能勢の子を蔑んでいました。

「陸の孤島」とも言われました。

そんな時、「孤島と違うわ。能勢電の駅まで、家から歩いてすぐや」と、言い返すエネルギーも吸い取られ、悔しがっていました。

私は劣等感のかたまりでした。

極めつけが、当時は全校生徒の名簿が、住所ものせて配られていたのですが・・・

ある日、クラスのある男子が、私の住所を見つけて、「こいつは東能勢村や。村やで!」と大声で言いました。

周りの生徒は、豊中市、池田市、箕面市の子で、一部大阪市淀川区の子ばかりでした。

彼の言葉は、田舎育ちを気にしている私に、深く突き刺さりました。


心ない言葉は、深く相手を傷つけます。

私はうっくつして、ああでもない、こうでもないと、自分の居場所を求めて、さまよっていました。

こんな悩み多き青春時代でした。



そんな私にも転機がやってきました。

高校2年のとき、同じクラスになった4人と友だちになりました。

一人は大阪市、二人は豊中市、一人は箕面市(桜井)の生徒でした。

それからは、5人はいつも一緒に行動しました。2年のときには、文化祭でファイアストームというイベントを満喫しました。

その友だちとは、今もつきあっています。

私の高校生活は、劇的に変わりました。毎日が楽しく、今思い出しても、その当時の思い出は、私の記憶のなかで、キラキラと輝いています。

私は人に傷つきましたが、人に支えられました。


三中の子も、中学時代、高校時代に心許せる友人に出会ってほしいと願うのは、わたしの体験がそう思わせるのです。

また、友だちには心ある言葉を使ってほしいのです。


そして、私は、生まれこのかた、ずっと同じふるさとに住んでいます。

今では、自然の中で育ったことが、自分のアイデンティティだと感じています。

なぜ、高校生の頃、あれほどコンプレックスを感じていたのかと思うほどです。

育った頃の自然とは、だいぶ様変わりしましたが、それでもまだまだ自然が残っています。

「ふるさとは遠くにありて想うもの」という言葉がありますが、私の場合は、いまもむかしも同じふるさとで、わたしは田舎に生まれたことを誇りに思います。

悩み多き青春時代でしたが、いま考えてみると、私は自然に育てられ、自然のなかで生きています。


以前、生徒の親御さんに言われました。

「この先生の話を聞くと、なぜかほんわかした気持ちになる」

そのときに、気づきました。

私が話す言葉には、どこか自然が息づいているのだ。

このように、自覚しています。