花、着物、時々ハンドメイド

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2014年3月にお引っ越ししてきました

安井金比羅宮~正伝永原院~建仁寺~六原珍皇寺~六波羅蜜寺

2019-05-05 22:00:00 | お出かけ

特別拝観の正伝永原院に行こうかとお昼頃出発。

安井金比羅宮を通過、南側のツツジが満開。

境内、観光客がいっぱいです。

 

てくてく歩いていると、古い昔の建物。

京都井伊美術館、甲冑刀剣専門美術館だそうです。

 この一角だけがお寺というか武家屋敷というか、タイムスリップしたような感じです。

「本日は閉館」とのこと。ホームページを見ると、見学も予約が必要とのこと。

 

建仁寺門前に正伝永原院への地図があったんだけどよくわからないので、

場外馬券売り場の警備員さんに聞いてさらに進みます。

建仁寺境内ではなく、境内の北側にある塔頭(たっちゅう)です。

順路、最初に墓地

有楽斎とその奧さん。

向かい側には細川家歴代、とあります。

もともとは「正伝院」「永原庵」という二つのお寺があって、明治の廃仏毀釈(きしゃく)の中で一つに統合された、とのこと。

永原庵は細川家の菩提寺、正伝院は織田有楽斎が再興した寺。

廃仏毀釈の時に、正伝院が永原庵の場所に移ってきたとのことです。

ふすま絵に、「細川護煕・筆」というのがありました。細川氏の作だそうです。

新緑のお庭がきれいでした。

これは国宝の茶室「如庵」のレプリカだそうです。本物は愛知県犬山にあるとか。

特別公開は狩野山楽の「鍾馗」、「辨財天」。掛け軸です。

 

この二つだけ撮影不可。鍾馗はパンフレットから。

辨財天は特別朱印から。

うろ覚えですが、辨財天の後ろの円形は仏像で言えば光背にあたるもの。

通常より大きく描かれていて、神秘性?ありがたさ?を表しているとか。

説明書きだけでもメモっておいたらよかったですね。

 

正伝永原院からこんどは建仁寺へ。

入ったところに風神雷神図の小さなレプリカ。陶板だそうです。

方丈から見た庭。すっきりとしています。

門の後ろ、法堂が借景に。 

あちこち海北友松の障壁画。精密副製図、とありました。

 

庭の新緑がきれい。

振り袖姿のお嬢さんたち。建仁寺は着物姿の女性が多かったですよ。

暑くって大変でしょうね。最近レンタル着物は振り袖がはやっているようです。

華やかだからインスタ映えするんでしょうか。

○△□の庭、禅宗の教えを具現化したもののようです。

以下ホームページからスクリーンショット。

違う角度から。手前に井戸(□)が見えます。

今日のお目当ては法堂天井の双龍図。

渡り廊下、スリッパを履いて法堂へ。

渡り廊下や法堂周辺は瓦のタイル(甎瓦)。

この瓦タイルは法堂内部の床にも使われていました。

奈良にある志賀直哉の旧宅のリビングにもありましたね。

この写真は2010年10月大学時代のサークルOB旅行で撮影。志賀直哉旧宅。

  

さて法堂です。

2002年建仁寺800年に作られたもの。

龍が阿吽になっています。

 

次は六道珍皇寺。

中に入ってビックリ。

本堂前にテント!

ふだんは見られない薬師如来像も、お堂を開けての公開。

今日のお目当ては「小野篁冥土通いの井戸」の見学。

以前来たときは塀に隙間が作ってあって、そこから井戸が見えますよ、という状態。

本堂には初めて入りました。

月に何日か公開日があって、それ以外の時は境内のみ自由。ですって。

これがその井戸。庭の写真は縁側からのみにして下さいと注意書きがありました。

この井戸の裏手に冥土から帰ってくる井戸が近年発見されたとか。

そこは、一旦庭を抜けていくところなので撮影できませんでした。

両方の井戸、今も水をたたえています。

 

次はバス停に行く途中にあった六波羅蜜寺へ。

西国三十三ヶ寺なのでご朱印のところは人がいっぱい。

朱塗りのお堂と空の青さがくっきり。

六原界隈も学生の頃とは随分変わってしまっています。

友人だったS子さんのすんでいた辺りも京町家が随分と減っています。

でも、花好きの方たちが軒先に作る花園は相変わらずですね。

懐かしい町だけれど、知り合いはもうすんでいない。寂しいですね。

五条京阪バス停から帰路に。3時間ほどでいろいろ行けました。

狭い京都ならでこそ。