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近くの団地で撮影。
蕊が妖しい輝き。
1992年の著、2005年に文庫化されたものを2019年11月に復刻。
現代に生きる著作。
男らしく、女らしくの呪縛。
「家庭を守る専業主婦」とは?
別に専業主婦がダメだとか言ってるわけじゃないけれど、
「養ってもらう」のは、いわば奴隷的立場、相手に「捨てられた」ら食べていけない立場。
自分の収入や財産を確保してこそ対等ともなれる…。
ハイヒールについての考察もあり、先駆的な本でした。
リアルタイムで読んでいればよかったな。
朝10時に会員宅集合、着つけをしてお出かけ。
丸太町駅で下車、烏丸通を北に向かいます。
菅原院天満宮、道真が生まれたところだそうです。
ガン封じのお宮さんもあるので外から拝んでおきました。
貸衣装のワタベウェディング。
老舗の貸衣装屋さん。これは、新婦と両親のイメージ。
とってもすてきでした。
こちらイノシシの神社。護王神社。足腰の守りの神社です。
足腰に不都合が出てくる世代の私たち、しっかり拝んでおかなくては。
これは友人の後ろ姿、ポージングしてもらいました。
ガーデンパレスでお食事。
レストランの柱、着物を着せつけたような装飾。
テーブル横もすてきな飾り付け。
友人たち。みんな訪問着や色無地、お正月なので華やかに。
ガーデンパレスは土御門内裏の跡地だそうです。土御門?安倍晴明?
江戸時代には水戸藩邸があったとか。
確か以前は私学会館があったよね。
ランチのあと相国寺へ。
あいにくと、お寺の拝観はお正月休み中だったので、伽藍などを外から見て回るだけになりました。
変わった梵鐘発見。
日中友好の鐘、鐘楼だそうです。
説明板の右側の黒い石碑はインド産御影石。
中国開封大相国寺、日本京都府相国寺、の字のあいだに友好祈念碑とありました。
中国の開封市の大相国寺(最初は相国寺という寺名だった)から、日本の相国寺に贈られたもの。
足利義満がつくった相国寺は中国の相国寺に因んだ命名だったようです。
政府どうしはややこしいけれど、民間の友好関係は築かれているんだねと友人。
烏丸通側の出口から出て、今出川駅まで歩いていたら、
同志社の塀際に相国寺の遺構が発見されたと石の展示がありました。
相国寺って、今より広かったようですね。
雨も細かい雪になりそびれたような感じで時々降ったけれど、傘を差すほどにはならなくて、よかったです。
9000歩少々。
朝から快晴。
大漁旗もまぶしいいいお天気になりました。
港町らしく恵比須神社もあります。
この神社を見て今昔物語だったか、
恵比須《記:注意》さんの顔が赤くなったら津波が来るという言い伝えを馬鹿にした人が
恵比須さんを赤く塗った。
みんなが逃げたけど、自分が塗ったんやし、
とばかにして居残ってたら津波が来て流されたという話を思いだしてしまいました。
今年のモチまきは10人以上。
10個以上ひろってしまいました。
あたりが一つ、缶コーヒーと引き替えです。
ビール引き替え、和菓子(地元の名門の和菓子屋さん)引き替え等々、
お楽しみも入っていて楽しかったですよ。
地面に落ちても大丈夫なようにお餅はひとつひとつビニール袋に入っていました。
この還暦モチまきはずっと行われていたわけではなく何年か前に
当時の還暦を迎えた人たちがやり出して恒例化したそうです。
楽しい行事だし、ずっと続けばいいですね。
安珍清姫の道成寺。
高速道路、御坊南から広川までが10キロの渋滞。
ということでその間一般道を走ることにしました。
「道成寺」という道案内が出ていたのでいってみることにしました。
踏切わたって狭い道を行くと駐車場が見えてきました。
参道に迫るお土産屋さん。
お土産屋さんとしては営業してなくて、農家産直の柑橘を置いている店も。
階段上がったら本堂が見えます。
この本堂の奥に念仏堂があり、門から一直線に仏さんを拝めるようになっているとのこと。
さて、問題の安珍清姫の鐘は焼失。
2代目は京都の妙満寺(岩倉にあるお寺)に。秀吉が持って行っちゃったそうです。
近年、この場所が安珍清姫時代の鐘楼の場所、とされた場所が本堂の左奥のところ。