みどりの野原

野原の便り

9月14日 山田道周辺

2012年09月14日 | Weblog
今日の集合地は乗り換えなしで行ける近場。

「山田道」とは案内書によると『桜井市安部~明日香村雷を経て飛鳥川を渡って近鉄橿原神宮前駅の東側に至る。横大路や上ツ道・中つ道・下つ道などと共に官道の1つ(一部を抜粋)』
史跡では説明があった。私は例によって途中でも植物に気をとめながら歩く。

大福駅から南へ。
周りはまだ田んぼの残る道を歩いて・・

吉備寺廃寺跡


池の南側で行われた発掘により大規模な伽藍跡が見つかり、ここは639年天皇の発願による最初の寺院「百済大寺」と見られている。
歌碑が2つ立つ 大津の皇子の辞世の歌と、皇子がなくなった後、姉である大来皇女が大津皇子を思う歌。
今の静けさからはどろどろとした政争が想像がつかない。

池の向こう側で水を汲んでトラックに移しているのは何をしているのか気になったが、ぐるっと1周してそばを通った時謎が解けた。ここは金魚の稚魚を養殖していて、出荷準備をしていたようだ。


カマキリがいたので捕まえて見たら胸にオレンジ色の斑があった。チョウセンカマキリだ。つかまれて反抗したカマの先が手に刺さって血が滲んだ。

道路横の田んぼや休耕田を見ながら歩く。

 
     ヒレタゴボウ       ホソバヒメミソハギ

安部寺跡

 
安部一族の氏寺の跡らしい。広い。

すぐ近くに安部文殊院 

 
知恵の神様として有名。近頃はお願いすることもない。右)文殊院西古墳 切り石で作られた整った石室で、時代は新しいのかと思ったが、飛鳥時代のものらしい。説明板に「古墳内部の美しさは日本一の定評がある」と書いてあった。

コスモスの迷路を一巡 


サクラの木にいっぱい毛虫が付いていた。帰ってイモムシハンドブックを見てみた。モンクロシャチホコ(蛾)の老齢幼虫らしい。そういえば赤っぽい弱齢幼虫もいた。

途中の畑にきれいなブルーの花が咲いていた
 
。近寄ってみたらシカクマメの花で、ヒレのある豆もできていた。
南の島で食べたことがある。最近ではこの辺でも育つような品種ができているらしい。
一緒に歩いていた人が「畑で作ってるよ。芋もできる」と言われた。芋?初めて聞いた。

ヤブマメの閉鎖花のようなものなのか? 帰って調べてみたら、芋らしい形をしていた。
そして「シカクマメは花も葉も熟した豆も地中の芋も食べられる」と書いてあった。 へ~~。芋食べてみたいなあ。

次は香木から数珠を作っておられる工房を見学。全国でも数軒だという。

 
今はワシントン条約で手に入らなくなったというインド産の最高級の老山ビャクダンの原木 別名サンダルウッドはどこかで聞いたことがある。  右)板にしたもの。

 
板から穴を開けた球が1つ1つくりぬかれる。板を無駄のないように・・   
                右)くりぬいた後の板。

それはどうするのかな? 想像した通り刻んでお香に、削りくずは線香にと無駄にはしない。

 
くりぬいた玉は1つ1つバリを取り磨くと出来上がり。糸に通した状態で出荷され、数珠に加工される。         右)できた数珠   
それはいくらしますの? これは? 値段の質問が多いのがおもしろかった。
珍しい工程を見せてもらっておもしろかった。

 
途中の畑のフォックスフェイス 花と実

山田寺跡


蘇我入鹿の従兄弟の蘇我山田石川麻呂が造営したが、反逆の罪を着せられて自害した場所でもある。政権争いは恐ろしい。
発掘で伽藍配置もわかり、東面の回廊が倒壊したままの状態で見つかっている。

奥山久米寺跡
創建などよくわかっていないらしいが 発掘調査で市天王寺様式を持つ大寺院であったと推定されるらしい。

もう1か所と言う頃、雲行きがあやしくなり遠くで雷の音も聞こえたため少し早めに終了となった。


ヒガンバナがぽつりと咲いていた。もうすぐお彼岸だ。
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9月13日 葛城山 歩いて下った

2012年09月13日 | Weblog
ロープウェイで葛城山上での観察会。

最近何回か来てるのでどうかなあと思ったが、歩くコースが全く違ったので又新鮮な感じだった。草花を見ていると日に日に季節が進んでいるのを感じた。


ススキの高原はますます秋色 ・・とはいえ歩くとまだ暑い。
ロープウェイ山上駅で22℃の表示が出ていたが・・

 
ツボミだったタムラソウは満開になった。アキチョウジも見頃

 
   カシワバハグマ     ミズヒキ 可愛い「花」が咲いている。

 
ノダケも濃い花を咲かせた。   ノコギリソウ

 
      ツルリンドウ     珍しいサンコタケを見つけた。 


      ヒメアザミ   

ヤブタバコ・コヤブタバコ・ガンクビソウ・シュウブンソウもそろい踏み。
ワレモコウ・ツリガネニンジン・コオニユリ・シラヤマギク・オミナエシ・ヤマニガナ・ウド・オトコエシ・ネバリタデ1本 など・・
ハギ満開(種名不明)・ミヤマシキミ実・・などいっぱい見れた。

解散後、希望者で歩いて降りることになった。
台風で崩れて以来登り降りはロープウェイばかり。新しい道はどうなっているかな?

  
聞いてはいたが階段が多い。しかも段が高く急な下り。

でも次々に花が現れ歓声があがる。
 
   フシグロセンノウ      ヤマホトトギス

 
   アキギリは大群落        イヌショウマ


 久しぶりの櫛羅の滝 思い切り深呼吸


  ツリフネソウも大群落       マルミノヤマゴボウ

 
      ヤブマメ            ツルマメ

 
  オオシロカラカサダケ      種名不明 調べ中 

いろいろ見れて大満足。疲れを感じない。
修復された道は前よりもきつくなったように思った。ここを登るのはだいぶしんどそうだ。
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9月11日 ② 姫路城 天空の白鷺

2012年09月11日 | Weblog
次の見学場所 姫路城へ。

姫路城は南北朝に始まり、秀吉、池田輝政の時に大改修され広大な城郭となり、明治に藩籍奉還が行われるまで31人の城主によっておさめられた。

戦国の戦いもなく、明治の廃城も免れ、第2次世界大戦にも奇跡的に被害を免れ、(黒いネット?をかぶせたとか、不発弾もあったらしい)天守や櫓など主要建築が残り、国宝に指定され、1993年には世界文化遺産に登録された。
白い漆喰で塗られた美しい城で白鷺城とも言われる。

今までに明治の大修理、その後昭和の修理では大天守等の解体修理も行われたが、白漆喰は雨に弱く30年ぐらいしか持たないため2009年(平成21年)より平成の大修理が行われている。屋根瓦の葺き替えと白漆喰の塗り替え、耐震補強工事など2015年3月までの予定。
今は修理の様子を見学できる施設「天空の白鷺」が設けられている。

ガイド付きで城域の見学

二の丸 菱の門を入る。櫓門になっている。

攻め込んできた敵を惑わす坂や門、槍を使えない低い天井 戦いのためのいろんな策略が秘められている。

 
算木積みの角 石棺が転用されているところあり。 他にも石臼など転用石も所々に。
  右)野面積みの石垣、加工石を使った所、人面石、修理されたのがわかる所、石垣にもいろんな表情がある。
石垣のメンテに毎年800年の人が草刈りをするとのこと。

 
門の小屋根にも目地漆喰が施されている。目地漆喰は雨風から瓦を守る。右)雨水を落とす角度の付いた軒丸瓦もあった。
歴代城主の家紋の入った軒丸瓦も見られた。


雨水を受ける瓦を縦に並べた溝

「天空の白鷺」を見学。


今は覆屋の中で屋根や漆喰壁の修理工事が行われている。

ガラス張りのエレベーターで上へ。


最上階は海抜90mの高さ。下に千姫が暮らしたという西の丸跡の広場や百間廊下が見える。町の大通りのずっと向こうJR姫路駅の辺りが外堀の跡らしい。家島群島や小豆島も見えた。

 
最上層の屋根 葺き替えは終わり、目地の漆喰も出来上がっていた。屋根瓦は高温で焼かれた耐久性の高いもの 右)素屋根がすっぽりと大天守を覆っている。 
修理費用は28億円 その半分は覆屋・足場の費用だとか。


平成の鯱は奈良県の山本瓦工業の製作だという。 これは昭和の鯱 シャチは火事避け。大天守には大小11匹の鯱がいるそうだ。
屋根の周りには避雷針も取り付けられていた。

 
壁の塗り替え 骨組み(小舞)に取りつけた縄が隠れるくらいの厚さに土壁や漆喰を塗り重ねる。

天空の白鷺を出た後、西の丸の建物跡を見学して終了。


大天守を想像するシートの外側に描かれた大天守の線描き これは案内してくださったガイドさんの発案らしい。
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9月11日 ① 生野銀山 (姫路城は次へ)

2012年09月11日 | Weblog
6時前に家を出 8時新大阪出発 早い。眠い。

バスの中で説明があった。
銀の元素番号? え~っとAが付いたね。この程度の知識 正解はAg ああそうだった。
中世のヨーロッパで晩さん会に銀食器を使われたのは、科学変化に変色しやすい性質を利用して毒を感知するためだったことなどミニ知識を教えて頂いた。

播但連絡道路に入ると、播但線で2003年秋にミドリババヤスデが大量発生して線路を覆い、車輪が空転して進めなくなったお話があった。ミドリババヤスデの学名にtonomine(とうのみね)が付くことを初めて知った。

JR生野駅を過ぎて、生野銀山に到着。ここには初めて来た。(多田銀銅山には行ったことがある)
ガイドさんの案内で見学。

 
菊の紋章の入った門柱が両側にあった。   
       右)ヒカゲツツジの大群落 咲いたらさぞ見事だろう。

この門柱は明治元年に生野鉱山の責任者としてフランスから招かれたジャンフランコア コワニエ氏が工場正門として製造。後にここへ移されたもの。

生野銅山は大同2年(807年)に開抗され、信長・秀吉・徳川幕府のものとなり、明治には政府直轄になり、一時公室財産となった後、明治29年(1896年)三菱合資会社に払い下げられ、昭和48年に閉山。

資料館に入る。

 
銀鉱石 と言っても銀の他、銅、鉛、亜鉛なども含んでいる。鉱石1トンの中に金は0.2グラム・銀は30グラム?(聞き違い?)と言うほどの微量の含有。 

  
坑道の模型はアリの巣のよう。 働いている人の模型がたくさんあり様子がよくわかる。
坑道の長さは350㎞以上、深さは880mに達したというから驚く。

いよいよ金香瀬抗に入る。


入り口のアーチ型の坑口はフランス人の設計。

昔の坑道を見学しやすいように広く作ってある。
坑内の温度は年中13度という。ひんやり涼しい。中に酒・ワインの熟成庫として利用している所もあった。

 
タヌキ掘り 人が1人かがんで前進できるぐらいの坑道。灯りはサザエの貝殻に油を入れたもの。この灯りが消えるまで働く。
掘った岩石や鉱石は籠のようなものに入れ、背負ったり曳いたりして後ろ向けに出る。なんと過酷な労働。
所々にいろんな作業をしている様子を人形で再現してある。  右)岩盤の間に見える鉱石                 ノミで掘り進むのは1か月で50センチぐらいしか掘り進めないと聞いた。

時代が後になると、ダイナマイトで岩盤を爆破して鉱石を掘り出すようになり、大きい巻き上げ機械やエスカレーターなども使われるようになり作業も変る。

 
  出口から出て山の上へ。        江戸時代の露天掘りの跡

 
左)鉱脈の在り処を示すというシダ ヘビノネゴザかと思ったがソーラスの付き方を見ると違う(後日記)。(右)ハクサンハタザオが生えていた。これも指標植物と言われている。

ここで食事をして、バスで移動。次の姫路城へ。  次に続く。
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9月10日 琵琶湖1周 ⑱ 鮎屋の里~みずのもり

2012年09月10日 | Weblog
滋賀県南の降水確率50/70 「どうする?」と電話をかけたら「こっちは降ってないし行きましょう」とのことで、雨具1式持って出発。

野洲駅からはバスの便が悪いので鮎屋の里近くまでタクシーを利用。

途中の田んぼも稲刈りが始まっている。まだ残っているのはこしひかりだそうだ。

 
湖岸のさざなみ街道。車道の横の側道はサイクリングの人がたまに通る。野洲市から守山市に入る。 しばらく歩くと対岸に琵琶湖大橋の観覧車が遠望できた。今日は琵琶湖大橋の近くを通過する。

 
     ツルボ群生      湖岸の繁みにはシロネ(右)
 
 
     広い砂浜   別の浜には「ハマヒルガオ群生地」の看板がでていた。
かつて琵琶湖が海につながっていた頃の名残とか。

変化のない道だが湖岸に降りたり松林の園地を通ったりするといろんなものが見える。

 
      ヤブツルアズキ          ニガガシュウ ごつごつのムカゴがあった。

水辺に黄色い花が見えた。ヒレタゴボウかと思ったが、少し様子が違う。ブロックの堰堤を降りて近づいて見た。
黄色い5弁の大きい花。何だ? 帰って調べた。ミズキンバイかと思ったがミズキンバイは茎や葉は無毛らしい。
(見たものは茎や葉に軟毛が多い)結局・・
 
オオバナミズキンバイと判明 花や葉・茎の特徴も合う。間違いないと思うが、葉の付け根の托葉が黒く腺のようになっているのが記述がない。
ネットによると、2007年に国内で初確認、2009年にここ守山市で初確認されたという新顔の帰化植物のようだが、絶滅危惧種のミズキンバイなどと交雑の恐れもある侵略的水草として駆除されたりしているという。

水辺に降りたお蔭でニガガシュウ(上記)やツルノゲイトウやイシミカワも見れた。近寄らないとわからない。


松林の中で、根元にプラスチック鉢を逆さにしたようなものがいくつかあった。 何かな? 除くと肥料のようなものが見えた。
こんなところにもちゃんと肥料をやっているんだ。草刈りなどの手入れもされている。

琵琶湖大橋の手前で弁当を食べる。ここが一番対岸の近いところだ。

午後もほぼ直線のさざなみ街道を歩き・・

 
一面のハスの群落が見えてきた。みずのもり近くだ。 遠くに見えた風車はここにあった。 右)風力発電施設らしいが羽根はまったく動いてないようにみえた。

ここからバスに乗って草津駅へ。 全く雨は降らなくて拍子抜け。
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9月8日 ② 「綱(ちな)・ちゅら・エイサー祭-与那原大綱曳イン大正区」

2012年09月08日 | Weblog
友達が仕入れた情報で、夕方からエイサー祭りを見に行くことになった。

大正駅周辺はお祭りの雰囲気はない。
バスで開催場所の区役所前の千島公園グラウンドへ。

 
テントの屋台も立ち並び、人がいっぱい。沖縄だ~。祭りは朝から始まっている。


さっそく、ゴーヤいり焼きそばとご飯入りさつま揚げとオリオンビールを購入。
すでに人いっぱいの観覧席の隅に座って食べて飲む。

沖縄衣装の人、顔にペインティングした人、太鼓や鐘の鳴り物・・沖縄気分が盛り上がる。

大正区は沖縄出身者が多く住む町らしい。前に1回沖縄料理を食べに来たことがある。
エイサー祭りは毎年行われるが、今年は沖縄本土復帰40周年、大正区制80周年を記念して、特別に沖縄から「与那原(よなばる)の大綱」を招き、今から大綱曳きが行われるのだ。8年ぶりの招致だそうだ。そんな時に来合わせてよかった~。
前に沖縄に行った時、大縄が準備されているのは見たことがあるが大綱引きは見たことがない。

 
エイサーを踊っている人達がいた。外側で一緒に踊っていたら輪の中へ引っ張られた。楽し~。
グラウンドの端の方には大綱が準備。2本あると思ったら、雌綱と雄綱らしい。
先が輪になり、片方は縦、もう一方は横になっている。

 
       大綱                端

 
  出発を待つ   花輪(言い方がわからない)これは西地区のもの。
これを持ちあげて揺らす。
雌綱雄綱合わせて長さ90メートル、重さ5トンもあるとか。8月に与那原で使われたものを持ってきたそうだ。

しばらくして動きがあり中央部へ移動。

 
花のトンネルから行列が出て来た。綱は反対側から出てくるらしい。

 
綱の来る中央部を広く開けて待つうちに綱登場。綱の上には人が乗っている。18:20

2本の長い綱が入場して降ろされるまでには時間がかかる。
雨がポツッ。あれ、早く早くと気が急くが、舞台ではまだ来賓の挨拶が続いている。

やっと両綱が落ち着いた。
沖縄での大綱曳きの謂れが放送されている。
「不作・害虫の発生で餓死寸前だった村人たち。途方にくれた村頭がアムトに捨てた老人に相談したところ、村人総出で鐘太鼓を打ち鳴らすと害虫は死ぬ。そして大綱を曳くように教えられた。国王は毎年綱引きをして豊年祈願をするように奨励し、老人を捨てる風習を禁じた」
それ以来与那原で行われている400年の伝統を持つ神事だ。
ここでは地域を東西で分けた住民が無病息災や子孫繁栄の願いを込めて引き合う。

今から雌綱と雄綱の合体が行われる。

綱の下に刺しこまれている棒を持ちあげて綱を持ち前進。

  
雌綱が高く掲げられる    

  
合体直前 向こう側が雄綱  横の輪の中に縦の輪をくぐらせて棒で止めて合体。
これで2本の綱が1本になった。18:30

太い綱には曳くための細い縄を沿わせ、横からも曳けるように縄が何本も出ていた。

写真を撮り回っていた私たちもいつしかその綱をしっかり握っていた。
お兄さんお姉さんおじさんおばさん・・周りの観衆
私たちが握っているのは西地区の綱。赤いハチマキも渡された。東は東地区で紫。


綱引きに合う服装ではなかったが(サンダル)、こうなったらには力いっぱい。よいしょよいしょ えいさえいさ・・
周りでは鐘や太鼓の囃子

なかなか勝負はつかない。途中ひと休みのような間があった後よいしょよいしょ えいさえいさでドドドッと・・1回目はこちら西地区の勝利3分近くかかったらしい。
うぉ~! みんなでときの声。「次もガンバルゾ~!」 ウォ~!

2回目もまた合体するところから始まる。2回目も西地区の勝利でそこら中の人とハイタッチ。もう汗まみれ。

与那原には「曳き清らさ、勝ち清らさ、敗け清らさ」と言う言葉があるらしい。勝っても負けても和気あいあい。さわやかだ。

 
お互いの健闘をたたえ西地区の花輪と東地区の花輪がすりあわされた。 
 右)終わった後の綱は無病息災の縁起物。こんなのをいただいたが、短いのと交換してもらった。
 
食べて踊って大綱を曳いて・・大正区の人・沖縄と一体化した楽しさだった。 雨は降らなかった。

大綱曳きは今日だけだが、明日はエイサーの踊りがあるらしい。近ければ来たいけどなあ。
19:30会場を後にする。

しばらく行ってない沖縄。ますます行きたくなってきた。
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9月8日 ① クジラ 

2012年09月08日 | Weblog
クジラを撮影している方のお話を聞く。

先ず、①クジラのイメージ ②捕鯨について ③陸上動物の何に近いか?などを問われた。

①年配の人は食べ物のイメージを持つ人が多い。②では賛成か?反対か?どちらかと言えば賛成・反対 これはむつかしい。
③ではゾウ・サイ・カバ・ウシの何に近いか? 全くわからなかった。
クジラは偶蹄目の仲間。その内でもカバにもっとも近いという。

イルカ等もも含んでクジラといい、3mより大きいものをクジラというのは聞いたことがある。
クジラ目には約86種があり、ヒゲクジラとハクジラに分けられる。
私が知っているのは10種にも満たない。

シロナガスクジラ・ザトウクジラに代表される「ヒゲクジラ」。
プランクトンを食べるもの、小魚を食べるものもいて、広範囲を回遊するのだそうだ。

 
ヒゲの見本 もっと毛の部分が多いのかと思っていたが、ほとんどは板だ。つやつやして波打っていた。
「このヒゲは確かからくり人形のゼンマイに使われていたと聞いたことがある」と友達がいう。そういえばそんなことを聞いたような。ネットで調べると、昔は他にも傘の骨や扇子の要、物差し(鯨尺名が残る)他いろいろ使われていたらしい。
今は食糧や資源として使われることもほとんどなくなった。
ヒゲは長いものでは5mにもなるものもあるとか。このヒゲ板が250~300枚口の中に並んでいるそうだ。

マッコウクジラやバンドウイルカ、シャチなどは「ハクジラ」と呼ばれる。


ハクジラの歯 中は空洞   横は背骨の一部軽い。すかすかした感じだった。

ハクジラには小魚などを食べるタイプ、大型の魚や温血動物を食べるタイプなどなどがあり深く潜水する。回遊するもの定住性のものもいる。

クジラを撮影する目的として、生態を知り広く知ってもらう他に固体識別の意味もあり、識別することにより、クジラが海域をどのように利用しているのか行動範囲などもつかめると言われた。
実際に小笠原にいたものと座間味で見つかったものとがマッチングしたり、オホーツク海のものが沖縄で見つかったりすることがあるとか。
尾びれの欠損や体の傷や模様で識別できるという。 
尾は真後ろから撮るとか、背びれは頭に向かって左側の真横から撮るとかルールがあるらしい。

シャチの♂♀の見分け方(オスは背びれが大きい)

ホエールウォッチングのあり方も近づき過ぎるなどの問題点もあるらしい。
撮影時には行動を理解するとタイミングも合いやすいとのこと。
繁殖期間の短いミンククジラは増えているらしいが、シロナガスクジラなどは2年に1度の繁殖しかなく、捕鯨も種類によって考えていかねばとのことだった。

撮影の経験談や苦労話なども話された。
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9月7日 頼朝と重源 特別展 

2012年09月07日 | Weblog
招待券をもらったので行ける日にと「頼朝と重源」特別展を見に行った。

治承4年12月28日(1180年)に平清盛の命を受けた平重衡ら平氏軍による南都焼討により東大寺大仏殿も炎上、大仏も頭は落ち、体は溶けて小山のようになったという。

その時の様子を記録したまたは聞き書きした書物が残っていた。
墨で書かれたその書物や文書を読めればもっと生々しく感じたのかもしれない。簡単な解説文だけを読んでいった。

後白河法皇の援助のもと、仏法再興・東大寺再興に力を尽くした重源の活躍と、後白河法皇亡き後、資金や物的・人的な援助で再興を支えた源頼朝の働きなどをたくさんの資料と展示物で紹介されていた。
建物や仏像というものだけではない仏法の再興というすごいエネルギーを感じた。

大仏の設計図のような図面が興味をひいた。
そして、再興がうまく進むようにと伊勢神宮?八幡宮?だったか神社に何回も参拝したとかで、今と違って寺と神社がもう少し近い関係にあったのかなあとも思った。

混雑はしていなかったのでゆっくり見れたが、展示物も多く、 常設展も見たので少々疲れた。

 
まだ若い1本角のシカ・枝角もまだ袋角だ。 
         右)雷と土砂振りの雨も帰る頃にはすっかり上がった。
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9月6日 龍鎮渓谷

2012年09月06日 | Weblog
8月に道がわからなくなって途中で引き返した龍鎮渓谷を再度挑戦。
友達が前回迷った所を逆から探検して道を見つけてくれたのだった。

「龍鎮橋までは早めにね~」
いろんな植物が見れるのでゆっくりしているといくらでも時間がかかってしまうのだ。
「は~い」といつもよりはハイペースで。
センニンソウやマルバルコウソウが満開だ。

 
ガガイモも満開 実を期待        マメダオシ?    

 
ダンドボロギク  キハギと思っていたが、ツクシハギでは?と言われると・・そうかなあ? 

地味ながらイタドリやヌルデ(左)・タラノキ・イヌザンショウなどの花も。

1時間ぐらいで龍鎮渓谷の入り口に着く。


龍鎮神社そばの清流  谷沿いの木の中を歩くのは気持ちがよい。

それから橋を右へ左へと7~8回渡り、コンクリートで上を水が流れるところを3回ぐらい渡り、橋のない川を3回ぐらい石伝いにわたり・・普通のハイキング道ではない。

 
   コンクリートの道?橋? いつも水が流れている。

 
川を渡る。増水していれば渡れない。前にも引き返したことがある。

 
道も荒れている。

途中で道がわからなくて引き返してきたご夫婦に逢い、ご一緒することになった。
前回迷ったところも「これではわからないわ」という状態だった。下見のお蔭で無事通過。

やっと道らしい道にでた。
 
前に泳いだポットホール 滴る湧き水。コケの緑鮮やか

 
オニルリソウのようだ   ヤマジのホトトギス        

  
ハダカホオズキ 1本が枝分かれして小山のよう。それが何本もあった。実が赤くなったらきれいだろうな。    右)カリガネソウ 膨らんだツボミ もうすぐ開花しそう。

室生の里に降りてくると
 
左)シシウド  右)アゼムシロ  ゲンノショウコやスズメウリ・ツルボやが迎えてくれた。

もう少しでバス停という下り道で「痛いっ!」太ももの内側に鋭い痛み。ズボンの中に虫が入ったかと思ったが、逃げていくハチが見えた。ズキ~ンとする痛み。
メンバーの1人が持っていた虫さされの薬を塗ってくれ、少しは痛みも納まってきたが・・痛みはしばらく続いた。

近くに巣があったのか? 黒いズボンが悪かったのか? 小さい虫が命がけで巣を守ろうとしたのだろう。

 
帰った直後 毒液が入ったところが直径5センチぐらい不定形に白っぽく盛り上がっている。 右)翌日、痛みは全くなくなったが赤くなって痒い。 
まあたいしたことがなくてよかった。

 
龍鎮神社近くで落ちていたマタタビの虫こぶ。 
                右)帰って割ってみたら中に黄色い幼虫らしきものがいた。

蕾が膨らんでいたカリガネソウは次来る時まだ花は残っているかな?
今はツボミだったアケボノソウ・ミカエリソウは次回のお楽しみ。
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9月3日 植物調べ すごい草

2012年09月03日 | Weblog
1か月ぶりの調査地はすごい草丈 マムシは大丈夫なのか? 
恐る恐る、クズのツルに足をとられそうになりながら入る。年1回11月頃に草刈りをするだけらしい。

 
草地に入ってすぐ「カヤネズミの巣がある」との声 巣は空っぽだった。
今はどこに住んでるのかな?

今日は7人全員で1列になって中段を見ていくことになった。

 
         今はコガンピが真っ盛り 

 
   ツリガネニンジン    ワレモコウにヒメウラナミジャノメ

マルバハギ・ツリガネニンジン・サワヒヨドリ・オトギリソウ・オミナエシ・コマツナギ・ネコハギ・ノアズキ・オトギリソウ・ヌマトラノオ 所々にリンドウの姿。次回が楽しみ。 

 
キキョウの実があちこち目立つ。これは残り花。半月前はどんなにきれいだっただろう。
自然のキキョウはもう他では見ることはほとんどない。 右)メガルカヤ

湿地に移動。
 
草地の端にヒメクズ 今年初めて見た。 クズの花も見頃
 
 
アカバナ 白色タイプのは初めて見た。  アブラガヤ

サワヒヨドリなど観察。


帰り道力尽きて落ちていたヒグラシ 声は聞くが姿はなかなか見れない。

昼過ぎに終わる。
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