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2018.08.08 友人から桃が届いて思ったこと。

(8月1日)#2

 

美容院に行こうとしていたら、宅急便が届いた。
小中高と同級生だった親友からだった。
夕方電話すると、 幼稚園の先生をしている娘さんの知り合いの桃農家の桃だとか。
私以外に、MさんとKさんにも送ったとのこと。
その二人と私の三人は、毎月麻雀をしている。

彼女が元気なら、岡山から来て、麻雀も覚えてくれて、4人で麻雀ができた筈。
彼女は、子育てと孫育てに全力を投入して体力を使い、腰を悪くして外出出来ない。
そんな彼女が、私達を思い出して桃を送ろうと思ってくれた。

この気持ちは有難いが、私にもとてもよく分かる。
長く生きていると、今になって、お礼が言えていない方々のことを思い出す。

実は私も、昔お世話になった方々の幾人かへ、今年はさくらんぼを送った。
職場の先輩女性は、送り主の私の名前を見て、一瞬ボ〜としたと連絡があった。
それほど長い、ご無沙汰の期間があった。
いつも声をかけて頂いてお会いしていた97才の元上司は、最近軽い脳梗塞で外出を
自粛しておられる由なので、さくらんぼを送った。私の友人全員を可愛がって下さった。

阪神大震災で、思いがけ無く大勢のボランティアの方々のお世話になったが、まだ余震
が心配で近付けない時なのに、どうしてもと一番最初に来てくれた人は、滋賀県草津市
から朝4時起きで人数分の弁当を作って、リュウマチの足を引きずって来てくれた。
段ボール箱が無いと言えば(スーパーでは空の段ボールが無くなって被災者は片付けが
できず困っていた)、彼女は宅急便の会社から新品の箱の束を2つ買って両手に持ち、激痛
の足で提げて来てくれた。足が曲げられないので、弁当は瓦礫の中で立って食べていた。
犬は避難所には連れて行けないので、各家の瓦礫の中に杭を立てて繋がれていたが、彼女
は泣きながら犬を抱きしめていた。あの年は、格別に寒い年で、犬達は吹きっさらしの瓦礫
の中で寒さと不安で震えていた。彼女のことはここでは書き切れない。感謝は尽きない。
今は外出もできない状態の彼女にさくらんぼを送った。

2番目に来てくれた人も病人で手術を控えていたが、それでも3回来てくれた後で、ごめんと
言って入院した。(大手術だった。)
(彼女にはさくらんぼは送っていない。逆に今回さくらんぼ農家を教えて貰った。)
長く生きていれば、本当に沢山の人にお世話になった。感謝で一杯になる。

震災後、阪神電車がまだ開通していなかった時、「まだ電車が開通していないから行けない。」
と言ったら、「電車が通っていなくても、大阪から西へ西へ歩いて行けば神戸に行ける。早く
行こう。ヘルメットも準備したよ。」と逸る友人達に待ってもらって、阪神電車開通の1月26日
の早朝神戸に行ってくれた友人達は、その後1年半私が神戸に戻る迄、変わることなく復興に
通ってくれた。その中の1人を2年前に失った。 

こう言う気持ちを、妹に言うと、妹も全く同じ気持ちを最近感じるとのこと。
お礼を申し上げられないまま、ずっと昔のことで今ではお名前もご住所も分からない方がいると。
お姉さんは、分かっているから良いねと言った。 

いえいえ、そんなことは無い。お世話になったことさえ理解出来ていないままに、失礼した
方々がいかに多かっただろうかと推察する。深く頭が下がる思いがする。 

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この後、姪一家と食事に行った時、この桃を持って行こうかと思ったが、持ち歩くのは
難しいので持参しなかった。
でも、三個残った時点で、こんな地元の人しか知らない上物は滅多に無いのに、自分独り
占めにするのはバチが当たると痛感した。姪一家三人に食べて貰いたいと思った。
それで、わがまま言って、酷暑の中、姪に車で取りに来てもらった。
後で、美味しさにうっとりしたとメールがあり、喜んで貰えたのでほっとした。

 

この日、姪が届けてくれたバジルソース。
自宅のバジルで作ったらしい。上等のオリーブオイルがあったからと。
これで作ったプルスケッタは、今迄で一番美味しかった。
姪に電話すると、オリーブオイルが良かったからね、と言っていた。 

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