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2022.10.15 「9000歩も歩けるようになった。」 ⬅️ 実は、この真実は。


先日、

と言うブログを投稿したが、一緒に行ったミエちゃんから、帰宅後電話があり、「今日
は、よく歩いたよ。9000も歩いてたよ。」と連絡があった。

⬆️  とこの様に書いた。
しかし、それらの会話は事実なので、そう書いたものの、実は、真実は少し違うことを、
ブログで、打ち明けなければならないと思っていた。

「打ち明け話」というとオーバーだが、それは、私は、歩いたと言っても、いつもの
習慣で、ショッピングカートを持って歩いたと言うことだった。

過去の私の足の症状は、最悪で、病院始まって以来で、前代未聞という症状だった。
そんな私なのに、買い物の荷物が多い人で、神戸のなじみの果物屋から、グレープ
フルーツ6個とか、百貨店から、じゃがいも玉ねぎ、にんじん、蓮根、里芋などの
根菜類などを、満載したショップングカートを、電車に乗せて、乗り降りして運んで
いた。

したがって、両肩は女性にしては筋肉隆々、なぜか、それを喜んでいる側面もあった。
しかし、最近、そのショッピングカートの持ち手が、杖代わりになっているのではない
かと、急に不安になり、カートなしで歩いてみると、ショック!!!

前へ倒れそうなほどに前屈みになるわ!よちよち、よろよろ、ノロノロとしか歩けないわ!
という、情けない状況になっていた。

1997年1月に、阪神大震災で、家が全壊、まさかの助っ人が大勢現れて、1998年5月
に修理完成した神戸へ戻れた、1998年12月職場退職、コンピューターグラフィックの
道へ分け入り、それ以来、ほとんど徹夜状態で、パソコンに齧り付いていたので、
気づいたら、筋肉が落ちて、歩けないほどになっていた。

ところが、我が家の再建に献身的な協力をしてくれた方々が、私を「神戸に戻すまで
頑張ろう」というのが合言葉だったということを、私の再出発のパーティーの席で
初めて聞いた私は、感激のあまり、「今後は、私が世間の皆様に、お礼をするのだと
強く強く決心して、再出発後、神戸に住んだ10年間で、我が家への食事接待100回程、
お正月のお節接待毎年数組、40年も勤めていた職場の各OB会の幹事などなど、提灯の
様に腫れて膨らんだ激痛の足を引きずって、七面六臂の日々だったが、まさか私が、
死ぬほど痛いのだとは、誰も知らなかった。

この様に、退職後20年ほどは激痛と、仕事の激務と、社会福祉(?)が重なり、辛かった。
しかし、最近、ここ4−5年は、治って楽になっていた。

(この時は軽症、140ccしか溜まっていない。)

そんな私が、2年前、靴の不具合から、また足を腫らした。
この時は、140cc程抜かれただけでだったが、最盛期は、210cc抜かれていた。
当時オリンピック開催中で、私の水を抜く数値がどんどん上がるので、先生に、オリ
ンピックではあるまいし、自己最高記録を更新する必要はないと言われた。
その頃は、痛くて疼くので、夜も眠れない為、2日に一度抜きに行っていたが、それは
よくないとのことで、1週間に1度に押さえた。

その後治った私は、ようやく生き返った。
先生は、私が治ったのは、「近代医学では証明できない。神の領域です」と言われ、
どうやって治したのか、一度講演をしてもらえないかと言われたこともある。

この様に、治って歩ける様にはなっても、その後も、荷物が多い人なので、ショッピング
カートは手放せず、結局、余りにも長いカート生活となったので、それが、杖代わり
になってしまっているのではないかと、最近、疑問を持った。

それで、カートなしの移動を始めた。
西明石の美容院への片道15分の道は3000歩、往復は6000歩。
最初は、前へ、ツンノメリそうになって、何度も立ち止まり、苦労して歩いた。

2回目、3回目と重ねる内に、前よりも、よちよちの程度が、少しだけ軽くなった。
でも速度は、まだ遅い。もっと、頑張らないと!
一度、失われた機能を取り戻すのは大変であると、つくづく実感しているこの頃である。


<為参考> (⬇️ 2年前、あることから、再発したが、すぐ治り引きずらなかった。)


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