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2024.11.19 「ミズエ・グリーン」のこと。

もう、50年以上前のことです。

その頃は、既成服などなかった。

もし、あったとしても、外出着として着れるものではなかった。

外出着は、仕立ててもらうしか無かった。

 

その頃、家の近くに、洋裁学院があって、そこの女性院長と親しくさせてもらっていた。

その院長先生のお宅で、月花美人が咲く時は、連絡を頂くことになっていて、ある日、

「今から咲きますよ。」と連絡があったので、妹と一緒に、深夜12時ごろ、

月花美人の開花を見に、伺ったことがあった。

 

その先生に、私は、冬のオーバーの縫製をお願いした。

多分、服地も先生が探して下さったのではないかと思う。

自分では、服地屋も知らなかったから。

 

それは、エメラルド色と言おうか、みどり色の中でも、渋く落ち着いた色で好きな色

であった。

私は、先生に、その生地でオーバーを仕立ててもらった。

その頃、珍しかった「A」ラインにしてもらった。

素晴らしく出来上がった。

 

私は大喜び。その頃の生地は、舶来物しか、まともな物はなかった。

舶来物は、見事であった。戦後長い間、そういう時代が続いたが、今では全く

日本製も遜色がなくなったことが、とても嬉しい。

 

さて、2年目、3年目と毎年、冬になったら、このオーバーを着て行くので、職場の

同僚たちは、それを見て、「あ、又、その季節になったんやね。」と懐かしそうに

言っていた。

やがて、友人たちは、このみどりを、私の名から取って「ミズエ・グリーン」

と言う様になった。「あ、又「ミズエ・グリーン」の季節が来た。」とか。

その内、グリーンのことを、「ミズエ・グリーン」という様にさえなった。

 

私は、この大切なオーバーを7〜8年ほど着続けて、少し型崩れして傷んだのを感じた頃、

先生に裏返しを依頼した。

その頃は、気に入りの服を裏返して、縫い直してもらって、又新品にすることが多かった。

 

私は、出来上がった仕立て直しのオーバーを着て、映画館へ行った。

帰宅後、ボタンが一つ、無くなっているのに気がついた。

私は慌てて、映画館へ電話して、ボタンが落ちていなかったかと聞いた。

すると、「掃除担当者にも聞いたが、無かったと言っている。」との返事だった。

 

私は失望した。あんなに素敵なボタンはもう見つからないだろう。そう思った。

その後、そのオーバーを、着なくなってしまった。

今から思えば、先生に訳を話して、もう一度、別のボタンを付けてもらえば良かった。

それに気が付かず、変に諦めてしまったのだった。思えば、惜しかったなー!

 

緑色好きな私は、その内に、素敵な緑色が流行る日が来るものと思って、待ち続けたが、

何故か、緑色の流行は、ほとんどなく、寂しいままに、年月が経ってっしまった。

なので、私の好きなエメラルド色の服は、その後買った、このイッセイミヤケのこのジャケット

だけである。

それで、私の誕生月のこの11月は、これを精一杯着ようかなと思っているところです。

 

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