日本国の“リーダー”が不可解なタイミングで職場を放棄。
毛並みの良さ、エリートの“もろさ”を垣間見た思いがしますが、「美しい国」の観念的なスローガンを思い出に、次の“リーダー”に期待してみますか・・・。
今回の“リーダー”の迷走に、以前に本で読んだJリーグ川渕チェアマンのエリート論をふと思い出しました。
主旨は日本のエリート意識と外国のエリート意識は根本的に違う。日本のエリート意識は学校の成績の良さや家柄からくる“特権意識”だが、外国のそれはみんなの気持ちを理解・把握して、引っ張っていく“リーダー意識”だと。
人の気持ちを理解できない“特権意識”の人が、国民を引っ張っていくとしたら、それ自体に最初から無理があるのを感じますし、本来のエリート意識を理解した人が引っ張るサッカーが、Jリーグとして日本に定着しているのも納得ができます。
これから社会に巣立つ学生のみなさんには、つまらぬ成績評価にとらわれず、本来のエリート意識に目覚めてもらいたいものです。
ちなみに私の会社では評価の基準として、何事に対しても“自分の意見があるか?”で採用判断をしています。
毛並みの良さ、エリートの“もろさ”を垣間見た思いがしますが、「美しい国」の観念的なスローガンを思い出に、次の“リーダー”に期待してみますか・・・。
今回の“リーダー”の迷走に、以前に本で読んだJリーグ川渕チェアマンのエリート論をふと思い出しました。
主旨は日本のエリート意識と外国のエリート意識は根本的に違う。日本のエリート意識は学校の成績の良さや家柄からくる“特権意識”だが、外国のそれはみんなの気持ちを理解・把握して、引っ張っていく“リーダー意識”だと。
人の気持ちを理解できない“特権意識”の人が、国民を引っ張っていくとしたら、それ自体に最初から無理があるのを感じますし、本来のエリート意識を理解した人が引っ張るサッカーが、Jリーグとして日本に定着しているのも納得ができます。
これから社会に巣立つ学生のみなさんには、つまらぬ成績評価にとらわれず、本来のエリート意識に目覚めてもらいたいものです。
ちなみに私の会社では評価の基準として、何事に対しても“自分の意見があるか?”で採用判断をしています。