CubとSRと

ただの日記

木を見て森を見ず?

2018年12月19日 | 重箱の隅
 卒業検定。
 各チェック項目の採点は減点方式。
 だから少しずつ減点されて、気が付いたら検定中止。
 「はい、〇番、ご苦労様~。出発地点に戻ってください」
 と試験場に響き渡る無情な放送をされる。
 そうでなければ、坂道で発進直後にエンストして、バランス崩して転倒、
 「はい、〇番、ご苦労様~。出発地点に戻ってください」
 、とか。
 一本橋、粘って好記録が出そう、と思ったら最後の最後で脱輪、
 「はい、〇番、ご苦労様~。出発地点に戻ってください」
 、なんて。
 いつ「はい、ご苦労様~」と言われるか、とひやひやしながら、とにかく最後まで走り切って、降りようとしてバランスを崩して転倒。
 出発地点に居るんだから、
 「はい、〇番、ご苦労様~。出発地点に戻ってください」
 なんて言われることはないけれど、結果は当然、
 「不合格」。
 
 減点されなければ合格だけど、減点されても規定範囲内なら合格する。
 でも
 「減点はされたくない。できれば満点で合格したい。だって一生に一度のことかもしれないんだから」
 そう思う。
 
 事の大小を見極める。目的に合致していることを断行する。
 できそうで、なかなかできない。やはり色々なことに執着してしまう。名を取るか実を取るか。できれば(ホントは絶対)名も実も取りたい。
 「命も要らぬ名も要らぬ、地位も名誉も要らぬという人は始末に困る。そんな始末に困る人でなければ国のことは任せられぬものだ」
 西郷南洲の山岡鉄舟翁評みたいなのなら誰だって成程と頷くだろうけど、
 「二輪免許の卒検なんて小さいこと、拘泥するな」
 、と言われれば
 「いや、それとこれとは意味が違うだろう」
 と、反撃する。
 免許は欲しいんだから拘泥する。
 実際免許取ったら「オレは満点だったと試験官が言ってた」「一本橋、三十秒以上停まってたら『もういい』と言われた」なんて自慢話をしたがる。
 
 けど目的は公道を堂々と走る許可を取ること、だけだ。
 免許証とは「公道を走っても良い」という「許可証」でしかない。上手だとか優秀とかを示すわけじゃない。
 なのに、こういう採点法なんだから小さいこと細々としたことに目を向けないと不合格。
 「目を向けるんであって、拘泥しろと言ってるんじゃない」
 まるで言葉遊び、免許試験の引っ掛け問題。
 かくして
 「クランクが上手くいかない」
 「坂道発進が鬼門だ」
 「一本橋、初めはちゃんとできてたのに、段々できなくなった。何でだ?」
 と無明の闇に引きずり込まれる。
 「やっぱり、オレなんかバイクに乗るセンスないんじゃないか。やめたほうがいいか?」
 、と、疑心暗鬼に陥る。
 限定解除に一発で合格した、なんてのを見聞きすると、ますます不安になる。

 ただ、はっきりしていることは、「明けない夜はない」「止まない雨はない」と同じく「卒業しない教習生はいない」。
 つまり、「やめなきゃ必ず卒業できる」イコール「合格する」。
 「免許」であって「免許皆伝」じゃない。
コメント
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