CubとSRと

ただの日記

何をしたかったんだ

2018年12月20日 | 重箱の隅
 卒業検定。
 
 一本橋の判定基準は七秒だったか。
 練習の最初は
 「何だ。こんなに幅があるのか。十分渡り切れるな」。
 「よしよし。これならあとは時間だけ、か」。
 思いの外、容易だったことに気を良くしていたのに、いざ時間を延ばそうということになると・・・。
 全く思い通りに行かない。
 時間を延ばすどころか、簡単に渡り切れていたのが早々と渡り切れずに落ちる。
 落ちないで置こうと頑張ると転倒しそうなので、涙を呑んで、橋から「落ちる」前に「降りる」。
 落ちるのは口惜しいけれど、転倒したら口惜しい上にどこかをぶつけて、身体も「痛い」。
 練習中だ、口惜しいのはすぐ忘れるけど、身体の痛いのは忘れようとしても忘れられない。痛みが残っている。
 練習するほどできなくなる、ってどういうことだ?スランプ、なんて言葉を使えるような話じゃない。
 色んな人の体験談、克服法を読む。
 「はとぽっぽをうたってみる」とか「橋を見ず、前だけを見る」とか。
 色々ある。
 けど、「時間」を気にしていれば「はとぽっぽ」は早回しになる。
 早口のハトポッポじゃ時間は伸びない。
 「前だけを見」ながら橋も見ようとする。
 瞬時に、交互に前も橋も見ようとして、挙動不審者になる。当然橋から落ちる。
 で、落ちたら、当然「検定中止」。 
 悩んで、落ちるだろうことを見越して、卒検後に自主練習の予約を、二時間分、取って置いた。
 勿論、二時間で足りる筈はないからもう少し、なんて思ったけれど、それ以上取ることはできなかった。
 自主練習予約の青田買いは二時間が限度らしい。
 
 卒検の前日辺りで、やっと決心がついた。
 「早ければ減点。落ちれば検定中止。ならば、見苦しくもがいて減点される方を取ろう。とにかく検定中止だけは避ける。七秒が十秒になったって加算されるわけじゃない」

 大きなことで言えば
 「何でも反対社会党」は何を成し得たか。
 「何でもアベガー野党」は何を成しうるのか、だな。
 
コメント
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