CubとSRと

ただの日記

「忘れてはならない」

2019年04月25日 | 重箱の隅
 「笑ってはいけない」みたいだけど、「忘れてはならない」。
 
 大きなことから小さなことまで「忘れてはならないこと」、っていっぱいある。
 でも、そう言いながら、小さなことについては
 「ま、いいか」「別にそのくらいなら」
 、と片付けてしまう。
 「忘れてはならない」と言いながら「忘れても別に大したことじゃないから」
 、と。
 じゃ、「忘れてはならない」なんて言わなきゃいいのに。
 大小関係なく「忘れてはならない」というのは、その事象そのものではなく、「考え方」や、その「思い(考え)」のことだと思う。
 勿論、そのため(覚えていること)のきっかけとなる事象は必要なんだけど。事象だけ覚えてたって本末転倒になる。
 
 「地震・津波の記憶」を「忘れてはならない」のは、何のためだったのか。亡くなった人々を悼み続けるため、だったのか。
 被爆だって、ハンセン病棟のことだってそうだろう。
 個々人の関係者のことは言うまでもないこと。
 だけど
 「あのような事件を二度と起こしてはならない。そのために何ができるか」
 と考え続けるために後の人は「忘れてはならない」のではないか。
 
 わざわざここでそんなこと書かなくたって、大きなことについてなら誰でも分かっていることなんだろうけど。
 小さなことはどうなんだろう。
 「別にそのくらいなら」と言われる惧れのあることどもは。「これ知ってたら(覚えてたら)、鼻高~」みたいな片付け方されてないだろうか。
 「T(ティー)字帯、ではなく、丁(てい)字帯」なのだ、とか「T(ティー)字路、ではなく、丁(てい)字路」だとか。
 郵便局の地図記号「〒」は、日本独自のものなんだ、とか。

 NHKまでが「言葉は生き物なんだから、当時は誤用であっても、流行すれば正しい使い方として認めることになる」みたいなことを言う。
 堂々と「考え方を忘れよ」と言っているわけだから、間違いなく「考える」ことの難しい世の中になってきている。



 注)
 「丁字路」は「甲乙丙丁・・」の「丁」で、明治期から使われ始めた。
 「丁字帯」は越中ふんどしの形をしたもの。
 以前、胆石の手術で「ティー字帯を用意しといて下さい」と言われて、「???」となった。
 「〒」は日本郵便の前の「郵政省」の前身が「逓信省」だった頃、「逓信(テイシン)」の「テ」を図案にしたもの。
 ついでながら昭和二十年以前は片仮名の方が一等上に見られていて、小学校の教科書は片仮名が基本だった。


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年年歳歳

2019年04月24日 | バイク 車 ツーリング
 興奮していたわけではないが、6時に起きる。
 起きても、「ツーリングに行く!」という乗り始めた頃の昂揚感は、ない。
 あるのは、「身体に不具合はないか」、「途中で引き返せる気力は」、といったようなことばかり。
 何の心配もせず、ただ出発の準備だけに没頭していた四十代までが懐かしくなる。
 だからと言って四十代までを未練を以て振り返っているわけではない。
 「年年歳歳花相似たり、年年歳歳人同じからず」。
 年年歳歳、歳は取る。それなりの荷を背負っていく。ツーリングだって荷物はある。・・・ん?
 7時過ぎには朝食も摂り終え、コーヒーを淹れてポットに移し、水筒と一緒に手提げに入れる。何年ぶりかで穿くレザーpantsも何とか穿けたので、出発前に落ち込むような点は一つもなく、ガレージへ。
 今回の荷物に雨具はなく、あるのはこの手提げだけ。
 8時過ぎ、出発。
 寒くないように、とライナーも着込んで出る。暑くてたまらなければジャケットだけにすれば良い。

 ・・・・・・と、まあ、始まりはいつもこんなものだ。
 そして地図を確認しようと思いながら、道路の混雑状況やバイクを停める場所探しでなかなかできず、「この道できっと合ってる(筈)」と希望的観測のままに走り続けて泥沼にはまる。これもいつものこと。
 今回も「播但道にぶつかって、沿って走っている道を見つけ、北上する」
、という大雑把な計画。
 勿論ナビなんてつけてないし、ナビ代わりのスマホも持ってない。頼りにするのは高速道路のSAでもらった地図と、バイク用のツーリングマップル。

 「取り敢えず、西へ」。
 気が付いたら姫路に入ってしまった。日本海側を目指しているのに標識に出て来る地名は瀬戸内海に面したものばかり。
 「もういっそのこと姫路ツーリングにするか?」
 と思ったけれど、もう少し我慢しよう。 

 やっと播但道を見つけ、地図を確認する。思ったほどずれてはいなかった。
 最悪の場合で二時。それまでに到着できなければ引き返す。
 当然蕎麦も諦める。
 ということにしたのだが、到着は12時過ぎ。
 五皿で一人前のところを十皿注文し、気分良く食べ終える。
 いつも通り蕎麦かりんとうを買って、
 「帰りはゆっくりコーヒーを飲みながら休憩を」
 と思い、サイドバッグにかりんとうを入れようとしたら、コーヒーがない。
 コーヒーだけでなく、水筒もない。それだけでなく手提げもない!
 コーヒーも水筒も手提げに入れた。その手提げがないんだから、全部ないのは当たり前。
 思い出そうと努力するまでもなく、出るときにサイドバッグに入れ忘れていたことに気付く。
 間抜け。
 SRを外に出してからサイドバッグに入れよう、と思って、取り敢えずカブの前かごに放り込んだんだった。
 ということは空っぽのサイドバッグで出て来たのか。
 呆れる間もなく、悪だくみが閃く。
 走行コース確認という新しい目的を作って周回コース計画を変更、Uターンすることにした。
 蕎麦かりんとうしか入ってないサイドバッグに、但馬の名酒「香住鶴」が仲間入り。手提げを持って来ていたら今回は辛抱する筈だった。
 年年歳歳人同じからず。
 だが酒好きは変わらない。飲酒運転はしないけどね。



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再び「こんなこともある」。

2019年04月23日 | 日々の暮らし
 連休前、道路が「休日家族サービスドライバー」で溢れ返らないうちに日帰りツーリングに行くことにした。
 それは、今日。明日、明後日は雨になるらしいから、今日しかない!
 あまり良い時期とは言えないけれど、蕎麦を食べに県北部まで行ってくる。  兵庫県の北部で「蕎麦」と言えばあそこですよ。
 (夜久野とか床瀬もあるけど)
 先日、墓参りに帰った島根から戻る途中、うまい具合に出雲蕎麦の店が開いたばかりで、久し振りに割り子(わりご)蕎麦を食べた。
 割り子蕎麦を食べたんなら、今度は皿蕎麦を食べなきゃならない。
 腰痛が治まったら二年ぶりに戸隠そばを食べに行くんだから。
 で、寄る年波で、というか何というか、帰って来た時、日記が書けるかどうか分からない。
 帰ってきたら、すっかり安心してバタンキューとなる可能性大。

 というわけで、出発前のこれが今日の日記。
 何?また手抜きだ、って?
 独り暮らしだもの、こんなこともある。

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新緑

2019年04月22日 | バイク 車 ツーリング
 いや~、今日は好い天気だ。
 「『平成が終わる』、ということと『十連休になる』ということの、どちらに重きを置いているのかな、マスメディアは」
 と思ったが、「令和、れいわ」と叫んでいたのは発表当時だけで、どうも気分はもう戦争、じゃなかったすぐ来てすぐ去ってしまう十連休にシフトしているんじゃないか。
 「平成のうちに結婚したいから」とか「平成最後の~」ってのも、あまり聞かれなくなったような・・・・。自分がそう思っているだけか。
 いずれにしても今週末には十連休が始まり、連休半ばで「平成」は「令和」になる。
 新しく天皇が即位される。
 わあわあ言っているうちに、というよりただ「十連休だ!」と遊び呆けているうちに、「令和」という時代が始まる。どんなふうになるか、全く見当もつかない。
 ただ、間違いなく言えることは、結局は「時代」、「国の勢い」は、国民が作るのだ。どこかの新聞の巻頭言じゃないけれど「天声人語」だ。
 人の口に現れるのが天の声だ。実は人の思いが「天の声」となる。
 転倒しているけれど、こうでなければ人はまとまらない。
 国民の意識のレベルが国を維持する。
 個々の国民が「どんな時代になってほしい」、「どんな国にしたい」という願望を持つ。その自然な成果(成り行き)が「時代」になる。
 ・・・・なんて。
 折角の好天。花の下からパステルカラーの新緑へ、いつか気持ちは動いている。
 その陽気に誘われ、SRで外に出た。
 オイル交換はしてもらったし、今朝、カブもSRもチェーンにオイルを注し終わったし。そうなったら出ないわけにはいかない。
 連休前の平日、無職老人には金もなく、身体も思い通りに動かないけれど、時間がある。時間だけは工夫さえすれば何とかなる。
 けど、そんなただの身勝手な「鼓腹撃壌爺」に見えてたって、実は国の行く末を思ってるんだよ。
 「遊び呆けているだけだろ」?
 「言行が一致してない」って?
 そんなことはありません。気のせいです。

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「居直る」元通勤ライダー

2019年04月21日 | バイク 車 ツーリング
 昨日の日記にいただいたコメントから思いついたことを書いておこうと。
 六甲山の尾根から神戸の街に出て、いつものパンとコーヒーを買う。
 カブのエンジンギアをニュートラルにすると、ここ数日、アイドリングが高いままになる。
 やはり、見てもらって部品交換を、とバイク店に行く。
 すると、スロットルを何度か開閉して、長いドライバーを持って来てネジを回す。これまでにアイドリングのネジなら何度か弄っているのだが、と言いながら能く見ると、何だかちょっと違う場所のネジだ。
 あれ?アイドリングのネジだと思って弄ってたのは何だったんだ? 
 聞くと、「(これは)混合気の調整用です」。
 急に回転が落ち、低回転で安定し、また回転が落ち、また安定し、ということをネジを締めたり緩めたりすることで数回繰り返し、
 「これでしばらく様子を見て下さい」
 、と言われる。
 スロットルワイヤーが引っ掛かっている様子はないので、気温と湿度の変化で起こったと思う、部品交換の必要はないだろうとのことだった。
 アイドリングスクリューは弄ったことがあるけど、エアスクリューの仕事って何か聞くと「空気の調整」、って。そのまんま。
 ネットで調べたら、その時「空気の調整」は「混合気の調整」とも言われていたのを思い出した。
 結局、キャブレターの中のニードルの位置調整のネジだということか。
 そう言えば、バイクに乗り始めた頃、雑誌で
 「富士山みたいな高いところに行くと空気が薄くなるのでアイドリングを高めに~」
 みたいな文章を読んで、割に高いところを能くツーリングしていたものだから、セローのアイドリング調整、結構していたような・・・。
 でも、実際のところ2千メートル前後の山ばかりだったから、そんなに神経質になるほどのこともなく、いつか全く気にしなくなっていた。
 そんなだからキャブレターをいじる、なんて考えたこともない。
 スピード出すのが怖いから、ガンガン走るなんてことは、まず、ない。
 それでキャブレターをいじる必要性自体、感じない。「いじる=分解・組立」ということなんだ、と決めつけて。
 「自分には用のないことだ」
 、と。
 でもバルブの開度調整と、混合気の濃度調整って別物なんだ、考えてみると、ね。
 昨年の今頃、淡路島ツーリングに行った時も、同じように気温が高かった。
 その時も同じようにオーバーヒートみたいになって回転が狂ったように上がり、ニュートラルから1速に入れると、バイクが飛び出しそうになって困った。
 今回と同じ。
 何もしなくてもこうなることがある、なんて20年も気が付かなかった。カブで長距離を走ることも連日乗ることもなかったから気が付かなかっただけなんだろう。
 昨年だってそれで過ごしてしまった。
 
 今回は
 「『居直る』元通勤ライダー」
 、ではなく
 「ちょっと殊勝な元通勤ライダー」
 、と書きたいところです、ホントは。
 我ながらちょっと恥ずかしいけど。


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