CubとSRと

ただの日記

お洒落と実用と充実感(満足感)

2019年04月11日 | 重箱の隅
 また頁を飛ばして日記を書いてしまった。
 一頁書き終える今になって気が付いた。
 ノートの紙面が薄くなると、裏写りがして読み辛い。
 書く時だって気になって書き辛い。
 それでノート会社は薄くても裏写りしにくいノートの開発に取り組んできた。
 けど、薄くすれば、こうやって頁を飛ばしてしまう慌て者も多くなる。 
 それなら今まで通りの厚い紙のままでつくりゃ良さそうなものだが、厚いノートを学生は嫌がるんだそうだ。厚いと嵩が張って荷物になるからだ、と。
 そんな。30枚程度の厚さなんて、大して変わらないと思うのだが。
 5冊セットになったものを並べてみると、確かに従来の物と、新しい「薄いけれども裏写りしにくい」物と、だったらいくらかは違う。
 その僅かな違いが企業努力の結果であり、それを敏感に察知する日本の学生の凄さである、と言ってもいいかもしれないけど。
 「企業努力」は分かるけど、学生の方は、その僅かに薄くなったノートを用いて何をしてるんだろう。
 それはそれとして。
 ノートの厚いの、ってそんなにカッコ悪い?
 薄い紙面のノートって書き込み難くない?
 昔、「子供にも文学を。良質な読み物を」と、高尚な目的を立てて、当時一流の小説家であった鈴木三重吉が「赤い鳥」という子供向けの雑誌を発刊した。
 小川未明や新進気鋭の芥川龍之介等の錚々たる執筆者が、それこそ「綺羅、星の如く」に居並び、素敵な作品をたくさん書いた。
 大正期の、この雑誌の存在は文学史に燦然と輝いている。
 けど、その割に発行部数は少なく、大流行はしなかった。
 薄くて高かったから。
 対して「少年倶楽部」というのが、戦後初頭まで子供の読み物の世界を席捲した。こちらは「あゝ玉杯に花うけて」、「快傑黒頭巾」、「怪人二十面相」等、題名で大体の方向が見える。
 安くて、分厚い。
 「漫画少年」というのが発刊されて、「子供に良質な漫画を」、とやったけれど、十年続かなかった。それを受け継いで「マンガ少年」が創刊されたけれど、五年で終わった。
 安くて分厚い週刊漫画雑誌に太刀打ちできなかった。
 「紙質の良い、薄くて高い本」と「紙質の悪い、分厚くて安い本」。
 読後の充実感はどちらが高いだろう。
 
 一所懸命に録ったノート。薄いノートと厚いノート。どちらの充実感が、より高いだろう。
 単純に書き溜めたノートを重ねてみただけで、自身のそれまでの努力を肯定的に見ることができる、そして大きな自信を持てるのではないか。
 ついでに言えば、ネットで集められる情報は「嵩」が見えないんだから自信にはならないし、充実感も実感できないから「裏写りのしない、薄いノート」の方に近い。 
 まあ、だからといって「全て手書きにしろ」とか「竹簡を復活させろ」、なんて言う気はないけど。

コメント
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