CubとSRと

ただの日記

大根

2019年04月27日 | 重箱の隅
 「明日は天気がいいみたいだから、リュック背負って野菜を買いに」
 、と書いた通り、今日は買い物に出た。
 例によって道の駅に行って野菜を買う。朝食用のレタス、ミニトマト、それから何にでも使える大根。
 ところで、何でも、「この大根!」「大根役者!」という時に使う「ダイコン!」は決して今言われているような使い方(下手な芝居を揶揄する時の決め科白)をするものではない、ということだ。
 大根はどんな料理にも合う。生でも食べられるし、おろし金ですりおろした奴は、火を通せば甘く、生のままならぴりっとした薬味になる。
 大概の場面で重宝されるが、アクが強くないから、どこに配置されても仕事は平均点以上を取る。
 その分、器用貧乏というか、重宝され過ぎて
 「本当の大根の味を探求してみたい」
 、という人は、まず出てこない。
 「(どうやって食べたって)当たらない」=「(芝居が)当たらない」。
 当たらないから「大根」。
 いくら洒落て言った言葉であっても、それじゃ大根が気の毒だ。
 まあ、この伝で行くと、あたる当たらないは主役の責任だから、「大根役者」というのは主役を張る役者だけが言われるべき言葉であって、周りを固めて主役を光らせるべき名脇役は、決して「大根!」なんて言っちゃいけないということになるんだが。

 大脱線をした。
 この大根役者、じゃない、大根を、今晩の酒の肴に、と思って買う。
 30センチほどの葉っぱは微塵切りにして酒、醤油、砂糖で味をつけ、片栗でとろみをつけて。日持ちがするから酒の肴にもなるし御飯のおかずにもなる。
 身は短冊に切って豚肉と炒めて中華出しと醤油で味付け。一味を適当にかけると、煮た大根と違って甘さが控えめになるので、煮たものの数倍食べられる。それこそ大根役者、だ。「当たりはしないが好まれる」。
 ついでだから「大根脚」。
 「昔は誉め言葉だったが、江戸後期から太い大根が出回るようになり、いい意味では使われなくなった」
 、とあった。
 何だか分かったようで分からない説明だ。
 細くて白くて長い大根と言えば練馬大根が有名だけど、そんな脚、褒めたと思う??
 それに、太い大根、って青首大根みたいなのを言うんだろうけど、そんな脚、ある???筋肉のつき方からしてあり得ないんじゃないかな?
 検索してみたら、三浦大根辺りが紡錘形で、脚に例えることができるかも、と思わされた。
 まあ、聖護院大根、なんてのもあるけど、ちょっとこれは・・・。
 「太腿か。それともふくらはぎのことか」
 ・・・そりゃあもう・・・。
 江戸時代に太腿の評判はいくら何でも、しないでしょう。
 見えないんだから。着物の裾が膝上数十センチ、なんて・・・。
 座敷牢に放り込まれるよ。


 ・・・・全く意味のない日記になってしまった・・・・。
 独り暮らしだもの、こんなこともある。

 いつものことだろ?独り暮らし関係ない?
 ん~、やっぱり、そうかな。



コメント
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