コーティングをしてもらいに行った。軽で1万6千円余り。
年金生活者にはちょっと堪える。けど、後の洗車が楽で良い。
と言っても、この頃は一ヶ月か二か月に一度、洗車機にかけるだけ。
その洗車(ただの水洗い)が、コーティングしてもらってるのとしてないのとで大違い。
田舎に居た時は、(特に春先は)毎日洗っていた。黄砂が降る故、だ。
軽自動車で、それも二人乗りの特別小さなクルマ、スズキツイン。それの赤。
庭に停めておいたのを、朝、見ると、これが何とも言いようのない色になっている。
小さいクルマというのはオモチャみたいでかわいい。かわいいけれど、古くなって、加えて薄汚れていると、ただただみすぼらしい。
初めの型のコペンなんかも、どちらが前だか後ろだか分からない「重ね餅」みたいな見てくれが何ともかわいかったけれど、それが薄汚れていたりすると何ともはや・・・。
ツインのバンパーは車体に比べて前も後ろも妙にデカい。そこがまたかわいいんだけど、樹脂だから経年劣化でつやがなくなったらもう何ともみすぼらしくなる。そこへ駄目押しのように黄砂が降る。
水木しげるかダリの描いた絵のように、何となしクルマが溶けかかっているように見える。
乾いた布で拭いたりしようものなら、塗装面は間違いなく傷だらけになる。まずは水をかけ、そ~っと黄砂を流し、それからそ~っと拭く。これを毎日やる。
いい加減イヤになる。
それでも中古で買ってコーティングをしてもらうようになってからは、確かに黄砂による傷みは抑えられていると思った。
毎日洗車をしていたわけだから、毎日それを思う。
「コーティングしてもらって良かった」。
コーティングに限らない。
いろんな場面で「(これを)しといてよかったな」、と思うことがある。
けど、同じくいろんな場面で「(これを)しといてよかったな」、などと全く思うことなく、「そんなの当たり前」、と感謝の「カ」の字もない、ってことは、その数倍多くある。
この差は何だ?と考える。
そして、気づく。
決断の時にかかった金銭の多寡が大きく絡んでいる。
やはり、清水の舞台ほどじゃないにしても、何か新しいことをやろうとすると決心と同等、いやそれ以上に金がかかるものらしい。
で、金をかけてこそ、後々事毎に
「ああ、やっといて良かった」
と思うんだろう。
そこには、金をかけたことを後悔すまい、という意識が大きく働いている。
その意識があってこそ、鈍くはあっても物事は前に進む。
そう考えれば「金は出さないが口は出す」、「対案は出さず批判だけする」、なんてのは全くお話にならない、と思い至る。
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年金生活者にはちょっと堪える。けど、後の洗車が楽で良い。
と言っても、この頃は一ヶ月か二か月に一度、洗車機にかけるだけ。
その洗車(ただの水洗い)が、コーティングしてもらってるのとしてないのとで大違い。
田舎に居た時は、(特に春先は)毎日洗っていた。黄砂が降る故、だ。
軽自動車で、それも二人乗りの特別小さなクルマ、スズキツイン。それの赤。
庭に停めておいたのを、朝、見ると、これが何とも言いようのない色になっている。
小さいクルマというのはオモチャみたいでかわいい。かわいいけれど、古くなって、加えて薄汚れていると、ただただみすぼらしい。
初めの型のコペンなんかも、どちらが前だか後ろだか分からない「重ね餅」みたいな見てくれが何ともかわいかったけれど、それが薄汚れていたりすると何ともはや・・・。
ツインのバンパーは車体に比べて前も後ろも妙にデカい。そこがまたかわいいんだけど、樹脂だから経年劣化でつやがなくなったらもう何ともみすぼらしくなる。そこへ駄目押しのように黄砂が降る。
水木しげるかダリの描いた絵のように、何となしクルマが溶けかかっているように見える。
乾いた布で拭いたりしようものなら、塗装面は間違いなく傷だらけになる。まずは水をかけ、そ~っと黄砂を流し、それからそ~っと拭く。これを毎日やる。
いい加減イヤになる。
それでも中古で買ってコーティングをしてもらうようになってからは、確かに黄砂による傷みは抑えられていると思った。
毎日洗車をしていたわけだから、毎日それを思う。
「コーティングしてもらって良かった」。
コーティングに限らない。
いろんな場面で「(これを)しといてよかったな」、と思うことがある。
けど、同じくいろんな場面で「(これを)しといてよかったな」、などと全く思うことなく、「そんなの当たり前」、と感謝の「カ」の字もない、ってことは、その数倍多くある。
この差は何だ?と考える。
そして、気づく。
決断の時にかかった金銭の多寡が大きく絡んでいる。
やはり、清水の舞台ほどじゃないにしても、何か新しいことをやろうとすると決心と同等、いやそれ以上に金がかかるものらしい。
で、金をかけてこそ、後々事毎に
「ああ、やっといて良かった」
と思うんだろう。
そこには、金をかけたことを後悔すまい、という意識が大きく働いている。
その意識があってこそ、鈍くはあっても物事は前に進む。
そう考えれば「金は出さないが口は出す」、「対案は出さず批判だけする」、なんてのは全くお話にならない、と思い至る。
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