買って三か月目に信州まで行き、翌年、翌々年と続けてモトトレールで北海道まで行ったGB250。
長時間乗ると一晩中、指が痺れ、でも、どんな時でも確実に仕事をこなす全く融通の利かない優等生。
揚げ句に田圃にまで落ちて・・・。
これは、彼、GB250のせいじゃない。自分のせい(、と、道のせい)。
とにかく「文句をつける所のないバイク」だった、とも言える。
見た目も昔の英国風の、雰囲気のある端然とした佇まいのバイクだった。
そのGBを手放すことにしたのは、「手が痺れるから」でも、「田圃に落ちたから」でも、ない。
3年余り乗っているうちに、やっぱりもっと力のあるバイクに乗りたいと思い始めたからだった。
3年で、「それなりに乗れるようになった」と勘違いしたからかもしれない。
SRに乗ってみたかった。
スマートで、振動もゆっくりだろうから余裕がありそうで、写真を見ているだけで何となしゆったりした気分になる。
おそらくはその隙間だらけのシルエット。それに、ほどほどに伸びやかな前後のサスペンションの雰囲気。
横に立ったら向こうの景色が見えるのは、別にバイクでは不思議なことじゃないけれど、やはり物事には限度というものがある。見え過ぎる。
喩えて言えば「二流のバスケットボール選手」?
伸びやかなのは良いけど、フットワークに俊敏さが見えない。
それでも好印象は持っていた。だからこそ気になるバイクだった。
けど、購入は二の足を踏んだ。「キックだけ」というのがその理由だ。
「エンジンをかけるのにコツが要る」。・・・なんて。
ボタン一つでエンジンが掛かるのが当たり前になったその頃、「キックのみ」、なんて。逆行している。
エンジン掛けるだけなのに、大汗かく必要があるか?一体、何を拗らせてんだ。
エンジンかかっただけで
「やった!オレしかエンジン掛けられない!凄い!褒めて!」
って。それ、変。
でも、文句言ってもしょうがない。セルモーターも、当然セルボタンも、付いてない。
付いてないんだから、付くのを待つしかないんだけど、どうも付ける気はヤマハには全くないらしい。乗っているファン共がセルモーターを付けるのを強硬に反対するらしい。
もう・・・、ヤマハと言い、ファンと言い・・・。一体、何考えてんだ?
・・・と思っていたところに
「SRXにセルモーターが付く」
、という記事が・・・・!!
長時間乗ると一晩中、指が痺れ、でも、どんな時でも確実に仕事をこなす全く融通の利かない優等生。
揚げ句に田圃にまで落ちて・・・。
これは、彼、GB250のせいじゃない。自分のせい(、と、道のせい)。
とにかく「文句をつける所のないバイク」だった、とも言える。
見た目も昔の英国風の、雰囲気のある端然とした佇まいのバイクだった。
そのGBを手放すことにしたのは、「手が痺れるから」でも、「田圃に落ちたから」でも、ない。
3年余り乗っているうちに、やっぱりもっと力のあるバイクに乗りたいと思い始めたからだった。
3年で、「それなりに乗れるようになった」と勘違いしたからかもしれない。
SRに乗ってみたかった。
スマートで、振動もゆっくりだろうから余裕がありそうで、写真を見ているだけで何となしゆったりした気分になる。
おそらくはその隙間だらけのシルエット。それに、ほどほどに伸びやかな前後のサスペンションの雰囲気。
横に立ったら向こうの景色が見えるのは、別にバイクでは不思議なことじゃないけれど、やはり物事には限度というものがある。見え過ぎる。
喩えて言えば「二流のバスケットボール選手」?
伸びやかなのは良いけど、フットワークに俊敏さが見えない。
それでも好印象は持っていた。だからこそ気になるバイクだった。
けど、購入は二の足を踏んだ。「キックだけ」というのがその理由だ。
「エンジンをかけるのにコツが要る」。・・・なんて。
ボタン一つでエンジンが掛かるのが当たり前になったその頃、「キックのみ」、なんて。逆行している。
エンジン掛けるだけなのに、大汗かく必要があるか?一体、何を拗らせてんだ。
エンジンかかっただけで
「やった!オレしかエンジン掛けられない!凄い!褒めて!」
って。それ、変。
でも、文句言ってもしょうがない。セルモーターも、当然セルボタンも、付いてない。
付いてないんだから、付くのを待つしかないんだけど、どうも付ける気はヤマハには全くないらしい。乗っているファン共がセルモーターを付けるのを強硬に反対するらしい。
もう・・・、ヤマハと言い、ファンと言い・・・。一体、何考えてんだ?
・・・と思っていたところに
「SRXにセルモーターが付く」
、という記事が・・・・!!