CubとSRと

ただの日記

「花散らし」、ってね・・・・。

2019年04月15日 | 重箱の隅
 カブで弁当持って花見に行って、翌日は雨。
 あの時だって既に花吹雪だったんだけど。
 で、実質、彼に責任は全くないのだけれど、昨日の雨が花を散らしてしまった、ということになる。
 それで「花散らしの雨」と日記に書いて、念のため、そんな言い方はあるのかとネットで調べたら、ありました。
 けどね、風流な言い回しだと思ったら、「花散らし」とは男女の○○を指す隠語なんだって。「花」は女の人。それを散らす。
 男だったらDT卒業に当たる行為ということになるみたいです。
 「散る」という自動詞でなく「散らす」という他動詞だ、ってところが受け身っぽくて何とも。
 しかし、「花=女」に囚われると面白くない。正直、これ、気に食わない。
 どうして、って?
 「花を散らす」という言葉なら別に隠語だって何だって良い。
 けど、「花散らし」と名詞にしてしまうと、意味が固定されてしまって、動かせなくなってしまう。
 そうなると、「花散らしの雨」って言葉、どういう意味になる??
 「感激して流す涙だ」、ってか?
 隠語はあくまでも隠語。
 下手すると桜まで怪しい意味付けが為されそうだ。


 ところで。
 本居宣長が
 「敷島の大和心を 人問はば 朝日に匂ふ山ざくら花」
 と詠んだ桜花。
 はっきりと「山桜」、と詠んでいる。山にある桜だから山桜、ではなくって山桜という品種。
 出っ歯の人に「山桜」とあだ名をつける、なんてことがあったという。
 「花より先に葉が出る(鼻より先に歯が出る)」という洒落なんだそうだが、赤みを帯びた若葉とピンクの花が一緒に見られる山桜は美しさ、潔さと同時に生命の息吹も感じさせてくれる。
 つまらぬ洒落など消し飛んでしまう美しさがある。

 花見で頭に浮かぶのは、そういう一本桜ではなく、土手の補強などのためにたくさん植えられたソメイヨシノ。
 山桜に比べると花の色が薄く、あまり丈夫そうに見えないが丈夫で手が掛からないらしい。
 善悪、美醜関係なく、何かが統一されていると異常な迫力が生れる。
 花の色の薄いソメイヨシノが並べて植えられていると、一本だけの山桜には決して見いだせない「狂気」が見えて来る。
 その狂気を見に行くのが、我々の思う「桜の花見」、だ。
 昨日の雨ですっかり散ってしまっただろう。
 けど、散り敷いた桜を見るのも良いかも。
 ということで、今日はSRで出掛けた。
 そして、まさかこんなところが、と思う川沿いの桜並木を見つけた。
 だからどうした、って?
 来年は「花が散る」前に行ってみようと思っている。


コメント
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