CubとSRと

ただの日記

四角ではなくなった

2020年09月16日 | 日々の暮らし
 9月12日

 11日(金)は、12時歯科医院。
 腫れはまだ残っているものの、痛みは10分の3から2くらいに減った。
 問われたので、そう答えたものの、能々考えると10分の4くらいかも。

 腫れが残っていることは見りゃ分かる。けど痛みがどのくらい減ったか、は自己申告だ。これから手当てをしてもらうってのに、こういうところで痩せ我慢して過小評価する、ってのはどんなもんだろう。
 やっぱり病院では自身の具合を聞かれたら、より正確且つ具体的に説明しようと努力すべきなんじゃないだろうか。大袈裟だと思われるかもしれないけど、他人に全てを任せるんだから、そうした方が誠実だろう・・・なんてことを思った。

 診てもらったらほぼ血膿は止まって、痛みも減っているようなので、蓋をしてみる、併せて今日は下顎の前歯の歯石も取ろうということになった。

 考えてみれば親知らずの件から十年近くになる。この間、「半年に一回程度、歯石の除去を」と勧められていたのだが、田舎からこっちに戻ってきて行きつけの歯科医院もないまま今になってしまっていた。
 コーヒーやお茶の渋だろう汚れが染みついて、なかなかきれいにならなかったらしいが、その分良いこともあるみたいで、歯にはさほど歯石が付いてなかったようだ。

 そういえば十年近い前には、歯石除去のために、顎の骨が削られている、乃至は砕かれているのじゃないか、と、冗談でなく思うほど頭蓋骨に震動が伝わって、終わった時はその都度軽い運動を終えたような錯覚を覚えたほどだった。まあ、その時は十年どころか二十年くらい歯科医院の世話になっていなかったので、当然か。

 前歯の裏側には、それなりの量の歯石があったらしい。前歯の裏側には唾液の出る腺があるので、歯石が付着しやすいのだそうだ。唾液に石灰化する成分があって、「点滴岩をも穿つ」の逆で、滲みでる唾液が通り道に石灰岩を現出させる、と言っても良いかも。
 その割に大量というほどでもなかったのは、おそらく歳を取るに従って分泌される唾液の量が少なくなってきているからだろう。

 家を出る時に雨が降り始め、待っている間に雨が止んだ。
 治療を終えて帰る時、また降り始めた。
 昔、バイク用品店のくじで当たったプルオーバーの雨具を、行き帰り共、着る羽目になったが、まあそれもしょうがない。
 で、帰ったら、すぐ止んだ。

 痛みが出なければ次回は、一週間空けての治療になる。

 カブのチェーンがオイル切れ、というのは乗っている者には分からない。
 走っているときはエンジンからの排気音をはじめとする色んな音にチェーンの音が掻き消されるからだ。
 止まっているときだってフルカバーのチェーンケースだから、チェーンの様子は見えない。見たい時はのぞき穴の蓋を、ドライバーか何かで外して見る。
 簡単なことだけど、その一手が面倒くさい。そしてフルカバーだからそうそうオイル切れは起こらない。
 結果として「そろそろオイル切れか?」と思うのが遅くなる。

 「別に不具合はないし」と歯医者に行かず、「一手間が面倒」でチェーンのオイル切れに気が付かず。
 「政治なんて、誰がやったって同じこと」と選挙に行かないのも、同じようなものかもしれない。
 
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「番頭政治」か「乗っ取り」を企んでいるのか。

2020年09月15日 | 心の持ち様
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)9月15日(火曜日)
        通巻第6644号  <前日発行>
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 番頭政治が解散に打って出ようとするが
  永田町の猟官運動、政治の劣化。国の運命を託すわけにはいかない
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 あれほどの大殺戮をやってのけたのに、毛沢東は中国史の英雄である。
 西洋でもアレキサンダー、ネブカドネザル、シーザー、そして近世ではナポレオン。ロシアではピョートル、エカテリーナ女帝。皆、英雄ですね。そしてスターリンも。

 ところが日本での英雄はみな悲劇の主人公になる。
 ヤマトタケル、和気清麻呂、菅原道真、源義経、北畠顕家、楠正成、大塩平八郎、吉田松陰、西?隆盛、特許隊員。。。
 軍人の英雄は乃木、東郷、児玉、廣瀬と神社に祀られているが、山本五十六はない。

 さて本当の改革を断行し、英雄と祭られるべき人々。たとえば源頼朝、足利尊氏、明智光秀、大久保利通らの名が浮かぶが、これらの日本人の評価は悪党に近い。

 リーダーとは国民を統合し、民族的アイデンティティの価値観や伝統を尊びつつ、将来のヴィジョンを指し示し、国民を率いる統率力をもち、カリスマ性がある。信念のために戦う姿勢をみて、皆がついていこうと思う人物である。
 小林秀雄は、石原慎太郎が政治家を目ざすとしたときに、「政治家の価値とは、まわりに何人が、その人のために死ねるか」によって決まるという意味のことを言った。

 明治維新以後、日清・日露戦争を戦い抜いてきたわが国は国民精神とリーダーの目論見とが軌を一にしていた。戦後、岸は政治生命を駆けて不平等条約の改定(安保条約改訂)に持ち込み、これは小村寿太郎の不平等条約撤廃に相当する成果である。
ところが、以後、沖縄返還の佐藤栄作あたりから「自由と民主主義による福祉国家の実現」が国家目標となり、政治は矮小化した。

 中曽根は就任早々に「わたしの政権中は憲法改正はない」と過去の主張をしまい込んだ。爾後、故郷創生とかの大番頭竹下、アンパンマン橋本、宇宙人、スッカラカンと続き、憲法改正を前面に出す安倍晋三をまたねばならなかった。戦後レジームの克服をとなえるや、戦後体制に安住してきた朝日新聞などはフェイクにつぐフェイクをでっち上げ、とうとう安倍を引きずり降ろした。

 世襲議員は国家百年の計に関心がなく、選挙ではもっぱら、「女性の唇と女陰にむかって叫ぶ」(石川達三)。まるで何も決められないでおろおろした徳川幕府末期の幕閣とそっくりである。

 あるじなき商店は、番頭がしばし采配する。
 しばらく日本政治は番頭政治となり、多くは期待できそうにない。ところが、番頭政治が解散に打って出ようというのだから、永田町の猟官運動、政治の劣化。国の運命を託すわけにはいかないのではないか。

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 「総理大臣を目指さない国会議員はいない。またその気概を持たない議員は国会議員である意味がない」みたいな言をテレビで何度か聞きました。
 その都度、何だかおぞましいというか、権力欲に憑りつかれた妖怪の集団が国会を形成しているような気がしていましたが、キャスターや記者の本心は別にして、先の言はそういう意味じゃない、と気が付いたのは本当に最近のことです。還暦過ぎてからの理解だから、恥曝しを承知で書きますけど。

 総理大臣を目指すのは「(総理大臣という)地位や名誉を手に入れる」ためではなく、権力を手に入れたいがためです。
「権力を手に入れる」というのは、目的ではなく「手段」を手に入れるということです。ふるってこそ「権力」です。
 総理大臣を目指すのは、この「(総理大臣という)権力で、自分の思う理想の国政を実現させる」ためです。それこそが目的です。
 「選挙区民の委託を受けて理想を実現させたい。それなら一議員としてよりも役職に就いたほうが良いし、総理大臣なら言うことはない」。
 中には総理大臣の椅子に座ることを目的化してしまって、椅子にしがみつくことだけに全力を注いだ人もいないわけではありませんが。

 官房長官から総理になろうとする今、菅氏は安倍総理の政治理想を継承し、実現させようとしているのか。それとも、これまで発信してこなかった自身の理想実現に邁進しようとしているのか。
 安倍総理の政治理想を継承・実現させるために解散する、今なら大きな一歩を踏み出せるという考え方もわかります。
 しかし、問題は今後、ともに働こう(そのために役職に就こう)と手を挙げる議員・官僚の中に、どれだけ粉骨砕身、「命も要らず、名も要らず~」という者がいるか、です。
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わずか十年前の話

2020年09月14日 | 重箱の隅
山下元法相「前原議員の勇気ある発言を多としたい」
  尖閣事件時に法務官僚
  2020.9.13 16:00
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 自民党の山下貴司元法相は、平成22年9月に尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖で海上保安庁巡視船に中国漁船が故意に衝突した事件に関し、中国人船長の処分保留による釈放が当時の菅直人首相の指示だったとした前原誠司元外相の証言について、自身のフェイスブックに「前原議員の勇気ある発言を多としたい」と投稿した。
 当時、法務省国際刑事企画官をしていたという山下氏は、前原氏の証言について「僕の認識していたところとだいたい一致してます」と指摘。「こんな官邸主導の釈放事件があったので、僕は検事を辞めた」とし、衝突事件が退職のきっかけだったと記した。山下氏は24年12月の衆院選で初当選した。
 山下氏は「まともな政治がなければまともな法治国家にもならない。当時は、『国の出先機関は与党の地方組織であるべき』と主張する民主党議員もいて、『それじゃ地方検察庁も民主党の地方組織になるのか!』という危機感もありました」と投稿。「このことで日本政府が失ったものはあまりにも大きかった」とも訴えた。
 また、事件発生時に外相だった岡田克也元副総理がブログで、船長の釈放について「これ以外に方法はなかった」との見解を表明したことについては「当時の事情を知る者として、さすがに『ふざけるな!』と言いたい」とした。
 衝突事件をめぐっては、那覇地検が中国人船長を処分保留で釈放し、当時の菅政権は「検察独自の判断」と強調。「政治介入」を否定してきたが、前原氏が今月の産経新聞の取材に、船長釈放は「菅首相の指示」だったと証言した。

https://www.sankei.com/politics/news/200913/plt2009130009-n1.html 

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 ついでに。
 
船長釈放「菅直人氏が指示」
 前原元外相が証言 尖閣中国漁船衝突事件10年 主席来日中止を危惧
 2020.9.8 06:00
 前原誠司元外相が産経新聞の取材に対し、10年前の平成22年9月7日に尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖の領海内で発生した海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件で、当時の菅(かん)直人首相が、逮捕した中国人船長の釈放を求めたと明らかにした。旧民主党政権は処分保留による船長釈放を「検察独自の判断」と強調し、政府の関与を否定してきたが、菅氏の強い意向が釈放に反映されたとみられる。
 前原氏によると、国連総会に出席するための22年9月21日の訪米出発直前、首相公邸に佐々江賢一郎外務事務次官ら外務省幹部とともに勉強会に参加。その場で菅氏が公務執行妨害容疑で勾留中の船長について「かなり強い口調で『釈放しろ』と言った」という。
 前原氏が理由を聞くと、菅氏は同年11月に横浜市でアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議があるとして「(当時の中国国家主席の)胡錦濤(こ・きんとう)が来なくなる」と主張。中国側は船長の釈放を要求し、政府間協議や人的交流の中止などさまざまな報復措置をとっていた。釈放しない場合、胡氏が来日しなくなることを懸念したとみられる。
 前原氏は「来なくてもいいではないか。中国が国益を損なうだけだ」と異を唱えたが、菅氏は「オレがAPECの議長だ。言う通りにしろ」と述べた。前原氏はその後、当時の仙谷由人官房長官に「首相の指示は釈放だ」と報告した。
 当時の外務省幹部も「菅首相の指示」を認めた。菅氏は産経新聞の取材に「記憶にない」と答えた。

 https://www.sankei.com/politics/news/200908/plt2009080001-n1.html 
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 さらについでに。
菅元首相「私が釈放を指示したという指摘はあたらない」
 尖閣衝突事件でツイッター投稿
 2020.9.8 21:01
 
 菅(かん)直人元首相は8日、自身のツイッターに「尖閣諸島は我が国固有の領土であり、尖閣諸島をめぐり、解決すべき領有権の問題は存在していない。尖閣中国漁船衝突事案は、中国漁船による公務執行妨害事件として、我が国法令に基づき、厳正かつ粛々と対応したものである。指揮権を行使しておらず、私が釈放を指示したという指摘はあたらない」と投稿した。
 平成22年9月に尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖の領海内で海上保安庁の巡視船に中国漁船が衝突した事件で、逮捕された中国人船長が処分保留で釈放されたことに関し、当時外相だった前原誠司衆院議員が「菅首相が『釈放しろ』と指示した」と証言した産経新聞の記事が念頭にあるとみられる。

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 産経の記者には「記憶にない」と答えておきながら、自身のツイッターでは「~私が釈放を指示したという指摘はあたらない」と投稿する。
 つまり「記憶にない」は嘘で、「(覚えてるけど)私は指示してない」と言っているわけですね。
 じゃ、誰が指示したのか、ということになるわけなんですが。
 仙谷官房長官?官房長官が那覇地検に「指示」した?官房長官は那覇地検の決定を「追認した」だけだと言っている。
 那覇地検が日中関係を考慮して独自に釈放を決定した、と。一地検が国際間の問題を独自に判断、実行する?
 当時、とにかく地検の独自判断だとニュース報道では、なされていたけれど、マスメディアだって決してそんなことは信じていない、ということが感じられる報道ぶりでした。
 何よりsenngoku38と名乗る人物からのyoutubeへの動画流出がありましたからね。
 
 でも、kan氏は「『釈放しろ!』と少々大きな声で言ったけど、言っただけで『指示』はしてない」と言っているわけでしょ?
 「命令はしてない。地検が『忖度』しただけだから、私には何の責任もない」。
 「51の益のために、49の我慢をする」、の、当に対極。

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右だけ四角

2020年09月13日 | 日々の暮らし
 9月9日
 
 昨日は一日延期してもらった、初めての治療。
 歯の状態は思ったより悪く、根のところまで神経を伝って腐食が進んでいて、ここから膿が顎関節にまで広がったら!!!・・・と、いうことみたいだ。
 で、肝腎の虫歯の処置は、というと、何とか抜かないで歯の根の部分の腐食部を消毒、その上で虫歯だったところに土台を作り、被せ物をする、と。
 何しろ犬歯で、そいつが歯列に尋常に並ばず、外側に向かって飛び出しているものだから、何処を削ってもややこしい。

 治療が終わって、口を漱げと言われたが、麻酔が右下顎だけにかかっているので、含んだ水が閉まり切らない唇から思わぬ方向に飛び出した。どういう理屈なのか分からないが、掛けられていた前垂れの左胸の上部を濡らしてしまう。
 痛くなった時はこれを飲んでください、と痛み止めを持たされて、帰った。

 帰ったら早速痛くなる。勿論、痛み止めを飲む。当たり前だが麻酔と違ってすぐには効かない。「なかなか効かないなあ」と思っていたが、そう思うことがめんどくさくなってきた頃、いつの間にか痛みが薄らいでいた。
 午後3時頃、うどん一杯を食べた。痛みは辛抱できる範囲内だったけれど、夕食は摂る気になれなかった。
 日付が変わる頃、また痛くなってきた。二度目の痛み止め、服用。

 今朝、目が覚めた時はそうでもなかったが、30分もしないうちに何んとなし、顔の右下半分が腫れてきたような気がした。触ってみると間違いなく起き掛けより腫れている。左顎に比べ、厚ぼったくなって張っている。
 血圧を測ってみたら、痛みを辛抱して息を詰めたからか、上が155。
 「まさかそんなに?」と測り直したら今度は160。
 血圧はともかく、この痛みじゃ朝食は摂れない。噛むために顎に力を入れると痛い。
 痛み止めは三回分しかなかったから今日服めば終わりだ。次回は十日後の18日だから、とてもじゃないけどそれまで辛抱できない。
 「まずは痛み止めだけでも貰いに行こうか」、と腫れて右顎だけが四角になった顔を鏡に映しながら思う。
 11時頃から雨、という予報だったので、降られないうちに、と薬だけ受け取るつもりで電話を入れた。

 小粒の雨が降り始める中、カブで出る。
 着いて、薬を受け取るだけのつもりだったのを、今から診ようかと言われ、雨に濡れるのと、痛みが治まるのと、天秤にかける。考えるまでもない。

 蓋をしていた部分が開けられ、「ちょっとこれ持って見て下さい」と小さな手鏡を渡される。穴を開けられた歯の表面に血が溜まっているのが見えた。
 空から火口に水が溜まった火口湖を見ているような感じ。
 空が映って青い、とかエメラルドグリーンの穏やかな湖面、とかじゃなくって「血」だから。いくら贔屓目に見ても美しいとは思えない。
 血膿だそうだ。昨日言われていた、膿が出るのが収まるまで、数回、同じ治療を繰り返す。今日は相当に多かったらしい。
 「明日は休診日なので、明後日、また来てください」
 
 これを数回繰り返して、歯の根の消毒が終わる。基本的には毎週一回。
 そうすると、間違いなく今月一杯、下手をすれば十月も終わりまでかかるかも。
 血膿を取ってもらっただけで痛みはほとんどなくなった。だからと言って顎の腫れは引かない。そりゃすぐには無理だろう。二、三日引かない場合もあるし、その日に引く場合もある、とは聞いていたがとにかく先は見えない。ほとんどなくなった痛みだって、また血膿が溜まれば痛みも再発するだろう。
 つまり「予断」はできない。先は見えない。正しいと信じたことを続けるしかない。

 個人のことだってこんなんだから。国政なんかになると血膿はなかなか止まらないし、言うこと聞いて療養をすべきところ、自分の不摂生を棚に上げて文句を言うのに血道をあげるばかりの患者も多いし。
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降られる

2020年09月12日 | 日々の暮らし
 9月7日

 朝7時頃は、不穏な空模様ながら直接の台風の影響は、まだのようだ。
 8時頃風が強くなり、9時になると併せて時折叩きつけるような雨になる。

 今日は歯科医院に行く予定だったが、これはやっぱり変更してもらった方が、と思い始めたのは昼前。
 でも、どうせ今日は歩いて行くことになるのだろう。だったら指定時間の30分くらい前まで待ってみよう。やっぱり雨が酷くなりそうだと予想が立てば、断りの電話を掛ける。そう決めた。2時の予定だった。

 そして1時半、電話。
 横殴りに吹き付ける雨が窓の鴨居(?)を伝い、敷居に向けて滴り落ちてくるのを雑巾で拭ったり、洗面器で受けたりしながら、とにかく明日10時に変更ということで、一安心。
 そうして、この日記をつけ始めたら雨が止んだ。まるで測ったかのような止み方だった。今は風だけになり、外も明るくなったが、出掛けるのは延期して正解だったろう。「あ~、間が悪い」とは思わない。
 何故って、雨水が滴り落ちるのは今が佳境。もうしばらく付き合わなきゃ畳に浸みることになるのは簡単に予想できる。

 昨日はカブの給油に行き、ついでにスーパーマーケットに行って、と考えて2時半くらいに出た。天気予報もしっかり見た。
 東の方に積乱雲が少し見えるのと、南の空は重い灰色、ということで、まあ何とか大丈夫そうな気配。
 それが給油を終えて戻ってきたら、東の空まで暗い灰色の空になってしまった。家を出て30分足らずのことだ。
 降り出すまでにスーパーマーケットに行けるか。ギリギリの選択だったが食べ物の誘惑には勝てない。久し振りに好物の竹輪を見つけ、3袋ほど購入、急いで店を出る。
 
 ヘルメットをかぶり、カブを押して十数歩。横断歩道のところまで出た。
 雨粒が当たったことが分かった。まだ、ギリギリセーフ。
 すぐに警察署前の信号機で止められる(警官に、ではない)。同時に大粒の雨になる。もう逃れられない。ジャケットは一気に水玉模様に変わり、ズボンは前面だけ濃茶色に変わる。
 とにかく這う這うの体で戻り、ガレージに逃げ込んだがすっかり濡れてしまった。
 「まあ、こんなのは数年に一度あるかないか、だ。夏だからセーフ、だ」。
 ガレージにカブを入れる辺りで、精神勝利宣言をする。その視界の端は、雨で真っ白になっていた。

 取り敢えずカブを拭く。拭き終わるまでに数分。小雨になった。折角の勝利宣言が褪せていく。「でも、スーパーで雨宿りしてたら、カブは雨の中に放置、だから拭くのに何倍も時間がかかっただろ?」

 着ていたものを脱いだ端から洗濯機に放り込んで、下着一枚になる。これも楽しい。そして風呂に入る。
 昔、茶会で何よりのもてなしと言えば、風呂を立てて客に入浴させることだったという。今日は、自分が亭主ではあるけれど「一人茶会のおもてなし」、だ。
 風呂から上がれば、「茶会席」の酒肴が待っている。www

 

   
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