CubとSRと

ただの日記

禿げる~~~っ!

2020年09月20日 | 日々の暮らし
 9月16日(水)

 昨晩、早寝をした。
 最近抜け毛が多くなった。それに毛自体が細くなってきているので、頭を洗った翌朝でも、もう、髪が寝てしまって頭を触ってもほとんど反発しなくなった。
 その度に「はあ~~っ・・・・」とため息をつきたくなるくらい落ち込む。
 でも、ため息をついたって髪の毛が増えるわけでなし、その度に落ち込んだって、やっぱり髪の毛が増えるわけではない。
 コロナ禍のせいで散髪に行きにくくなっていて、この半年余り、髪を切ってない。
 だから髪自体は長くなっていて、本来ならば薄毛を隠す実力を持つ筈のところ、抜け毛で本数が減るのと、細くなるのとの相乗効果で、何とも情けない感じになっている(と思う)。
 手のひらで頭を触ると、「もしかして、すっかり髪がなくなっているんじゃないか」と思うほど、髪の抵抗がない。

 髪の毛を復活させるには、質の良い睡眠と、何より早寝早起きが大事、ということなんだけど、連日1時、2時どころか2時3時が当たり前になってるんだから、何んともしょうがない。
 で、「とにかく、まずは早寝だ」と思って、昨日は早く寝たわけだが。

 普段が普段だから、なかなか寝付けない・・・筈だった。けど、年の功だ、そういうことが無いよう朝の中から昼寝をしないよう我慢してきた。
 それで目論見通り寝ることは出来たけれど、いつもの通り、一時間ほどで目が覚めてしまった。けれど、ここからが勝負だ。眠くなくても起きてはならない。CDを掛けっ放しにして、眠くなるのを待つ。眠ってない筈なのに、いつの間にか終わっている。また掛ける。二曲目くらいは覚えているが、その先は覚えがなく、またもや終わっている。また掛ける・・・・。
 そして一夜が明けた・・・・・。

 当然、一晩くらい早寝したって、これまで何年も夜更かししているわけだし、一、二時間寝たら目が覚める、といった不安定な生活をしているわけだし。だから、髪が細くなり、抜け毛もひどくなる、というのは至極当然のこと。それが一晩で劇的変化!・・・なんてあるわけもない。

 とは言え「初めの一歩」「千里之立行起一歩」、だ。せめて三ヶ月、早寝早起きを続けなければ変化はないんだろう。
 だのに、二日目の今日、時刻は既に11時になろうとしている。
 よし!GO to なんとかみたいだけど、とにかく「頭髪非常警報」を発令しよう。始めなければ始まらない。頭皮を清潔にすることと、早寝をすることに努めることを、ここに誓おう!!

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ペースが遅い

2020年09月19日 | 日々の暮らし
 9月14日(月)

 もう九月も半分近くが過ぎた。
 この頃、日記を書くのが二日に一度のペースになってきている。
 出歩かないので書くことがない、と言ってしまえばそれまでなんだけど、本当のところは、あれやこれやと考えることをしなくなったということ。
 いや、しなくなった、というより、できなくなった、というのが本当のところ、か。

 とにかく長続きしない。考え続けることや辛抱して取り組むこと、ができない。刹那に何かを感じる神経体力もすり減ってはいるけれど、何よりも凝視しようという精神体力の方が相当に低下していると思う。
 まあ、カレンダーに書き付けたメモを見れば、少しは何かしら思い出せる。それが思い出せるうちはまだマシと言えるのだろうけれど。
 
 昨日(月)は前日に色々済ませているので出歩く用はなかったのだが、とにかく理由をつけて、折角の好天だから、出たかった。
 それで、夕方4時前になって、資源ごみをカブの前かごに満載にして生協まで行く。ついでに買い物もしよう。
 お茶のパック、モロヘイヤ、バジル少々。

 チェーンにオイルを注したカブの乗車感は良好。音は格段に小さくなり、チェーンの起こす微細な振動もほとんど感じられなくなった。

 夕食は前日作った茄子のトマト煮にフェットチーネを200グラム入れたパスタだけ。
 
 一日にできることは限りがある。
 だからと言ってみんながそれを受け入れてくれるわけではない。「一日かけて、たったこれだけ?!」と呆れられるのが、世の常。けど、歳を取れば誰だって多かれ少なかれ全てが遅くなる。
 ペースが遅いのは良いんだ。止まらなきゃ良い。
 動いているうちは大丈夫。
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うるさい外野は関係なしに

2020年09月19日 | 心の持ち様
 党内の反対勢力が参拝を阻止してきたのだ、と確信しました。マスメディアが半島国や大陸の独裁国家にご注進に及ぶことなんか大したことではない。
 問題は党内の結束が、参拝することによっていとも簡単に崩れてしまうこと。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・
 産経新聞
  安倍晋三前首相が靖国神社を参拝
               2020.9.19 10:03 

 安倍晋三前首相は19日午前、靖国神社(東京・九段北)を参拝した。自身のツイッターに「本日、靖国神社を参拝し、今月16日に内閣総理大臣を退任したことをご英霊にご報告いたしました」と写真を添えて投稿した。
 安倍氏は首相在任中、平成25年12月26日に1回だけ靖国を参拝している。

  https://www.sankei.com/politics/news/200919/plt2009190002-n1.html
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ボケる

2020年09月18日 | 日々の暮らし
 9月12日(土)

 そうか。2日も日記を書いてなかったのか。今日書かなければ、三日。
 日記を書かないと何も思い出せないから、何だか損した気分になる。

 よく言われること。
 「言葉一つでも書きつけときゃ思い出すきっかけになるんだから、書いて置きゃいいものを」。
 こういうのを「空論」と言うんだな。妄想に近い。「現実」は違う。
 ダイイングメッセージじゃあるまいし、「言葉一つ書きつける」時間があるんなら、もっとたくさん書けるだろう。筆記用具を持ったら、一語だけ書きつける、なんてことはない。一言書いたら数珠つなぎになって言葉が出てくるもんだ。
 まあ、初めの一言が書けず、悩んで遂に何も「書けない」でペンを置く、ということはありそうだけど。それは「言葉一つでも書きつけときゃ~」とは別の話。

 前回(9日)は日記を5時半くらいに書いてしまったから、そのあとの夕食のことが抜けている。
 あの日は三日に一度の「飲んでいい日」だったにもかかわらず、缶ビール(それもレギュラー缶)一本しか飲んでない。スパゲッティを作って先に腹が一杯になったからか?ピーマンと玉葱くらいしか入れてない筈だが。

 翌木曜日(10日)は残っていたご飯を食べたんだったか。外出してないのと、翌日(金)には歯医者に行かねばならないので、ニンニクを食べるわけにはいかない、と思ったことは覚えている。自分のことより周囲の目を気にする、というのがボケの形としてあるのだろう。これを超えてしまうと一気に異常行動が増えるんじゃないかと思う。自他の区別がつきにくくなる、俗にいう退行現象だ。

 そうか。思い出したことを時系列で並べてみればいいんだ。
 月曜に歯科医に行くところを火曜日にしてもらって、痛みが酷くて痛み止めがなくなり、翌水曜日にまた行って治療をしてもらったんだ。
 木曜日は休診日だから、痛くなっても金曜まで我慢しなきゃならない、と。
 結局、木曜日に痛くなることはなく、5回服用分があったけど、3回分は使わず置いてある。
 で、金曜日。血膿は止まり、痛みも減ったので削った歯に蓋をする。ついでに歯石を取る。

 斑(まだら)ボケという言葉がある。おそらく差別的な言葉だから、と最近はあまり使われなくなったと思うけど、客観的に物事を把握する場合には使わずとも念頭に置くべき言葉だろう。
 自然界にはっきりとした「黒白」の境は存在しない。「ボケ」も同じで「ここからがボケ」というはっきりとした線引きをするのは意外に難しい。
 で、線を引かないまま、「何となく」ボケと決めつける。そうして「ボケてしまった」からもうお手上げ、と放置する。でも、「何となく」なんだから、「忘れたところを」ではなく、「覚えているところ」の周辺を見詰めて行けば、忘れたところがぼんやりと、見え始める。

 難しい問題だって、思い出せないことだって、ヒントがあれば何とかなることの方が多いはずなんだけど。
 
 
 
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「それから」(治療の後)

2020年09月17日 | 日々の暮らし
 9月9日

 家から歯科医院までは1キロメートル足らず。
 曇りの日なら言うことなし、晴れてたって暑いのを我慢すれば、どうってことのない距離だが、雨の日、それも吹き降りになったりすると、歩いての往復はあまり気持ちの良いものではない。何より今回も「治療」という名の少々以上に精神的にも肉体的にも苦痛や痛みが付き纏うことを間に挟んでいるのだから。

 往きも雨具、帰りも雨具、で、ズボンが少し濡れたものの、ヘルメット以外は何とか悲惨なことにはならずに済んだ。
 雨はやんでも、カブはすっかり濡れてしまったから、まずはカブを乾拭き。
 カブもSRも通勤で乗っていた時は、雨の夜、帰ってきて拭き掃除だけでも、という気には全くならなかった。

 五木寛之の短編集に「雨の日には車をみがいて」というのがあって、
「よくいるわよね。ほら、自慢の車を洗車したあとに雨に降られると舌打ちしたりするようないやな男が。ああいうのは絶対に女に嫌われるタイプよ。車は雨の日にこそみがくんだわ。ぴかぴかにみがいたボディに雨の滴が玉になって走るのって、すごくセクシーだと思わない?雨の日に車をみがくのをいやがる男なんて最低ね」
 という女性のカッコ良すぎる言葉が題名になっている。
  雨の日にも車ならぬバイクに乗って通勤せざるを得ない身には、些か以上に耳に痛い言葉だったが、そのセンスは十分に理解できる。何しろ、この女性、自身は運転しないで(勿論整備なんかしない)、現実と乖離した理想の、男のパフォーマンスを、夢見る乙女、いや、夢見るイイ女が当然のこととして語っているだけだから。
「ぴかぴかにみがいたボディに雨の滴が玉になって走る~」のは、実際には助手席からだって見えない。自身、雨の中に傘さして立っていて、クルマが目の前を走り去る一瞬だけ見ることしかできない。ハンドルを握っている者の思いは全くそこにはない。第三者としての自身の審美眼、からの発言でしかない。

 だから、こんなの、絶対イイ女、じゃないって!
 でも、一度はそんな女性に現実に遭ってみたいものだ。
 ・・・・なんて思っているうちに還暦半ばを過ぎてしまった。

 カブに乗って歯医者に行って、濡れて帰って雑巾で車体を拭きながら考えることか?これ。
 いつも以上に中身のない日記だ。
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