▼正岡子規さんの本の次は、五千円札の樋口一葉さんと決めていまし(『樋口一葉』ちくま日本文学)。同じく、「ちくま日本文学」シリーズです。
▼最初の数ページで、「うーん、これは読めないかも?」と戸惑うほどの文章でしたが、すぐに慣れスラスラとページが進みだしたので一安心です。
▼時間にすれば、ほんの一瞬を七五調の見事な文体で、一気呵成に書き上げていく体力は、いくら早死にされたとはいえ圧倒的です。
▼聞けば、樋口一葉さんは大のたばこ好きで、チェーンスモーカーのように、たばこを吹かしながら執筆していたそうです。
▼本書についても、たばこの登場するシーンを中心に抜き書きと私のコメントを投稿します。都合14回になりますが、ご参考にしていただければ幸いです。
《たけくらべ》明治28年1月?明治29年1月
【38ページ】
----一風呂浴びて日の暮れゆけば突きかけ下駄に七五三の着物、何屋の店の新妓を見たか、金杉の糸屋が娘に似てもう一倍鼻がひくいと、頭脳の中をこんなことにこしらえて、一軒ごとの格子に烟草(たばこ)の無理どり鼻紙の無心、打ちつ打たれつこれを一世の誉と心得れば、----。
【45ページ】
祭りの夜は田町の姉のもとへ使いをいいつけられて、更くるまでわが家へ帰らざりければ、華やかの騒ぎは夢にも知らず、----。
【51ページ】
----、蒲田屋の旦那のように角袖外套か何か着てね、祖母(おばあ)さんがしまっておく金時計を貰って、そして指輪もこしらえて、巻烟草を吸って、履く物は何がよかろうな、おいらは下駄より雪駄が好きだから、----。
[Ken] 「たけくらべ」にたばこの記述があるのは、38ページと51ページに2か所でした。明治28年当時は、すでに刻たばこではなく「巻烟草」が主流になっていたのですね。また、たばこは「煙草」と書かずに「烟草」だったことも分かりました。45ページの田町とは現在と同じ地域なので、1974年から芝5丁目に勤務してきた自分は、とても親しみを感じました。(つづく)
▼最初の数ページで、「うーん、これは読めないかも?」と戸惑うほどの文章でしたが、すぐに慣れスラスラとページが進みだしたので一安心です。
▼時間にすれば、ほんの一瞬を七五調の見事な文体で、一気呵成に書き上げていく体力は、いくら早死にされたとはいえ圧倒的です。
▼聞けば、樋口一葉さんは大のたばこ好きで、チェーンスモーカーのように、たばこを吹かしながら執筆していたそうです。
▼本書についても、たばこの登場するシーンを中心に抜き書きと私のコメントを投稿します。都合14回になりますが、ご参考にしていただければ幸いです。
《たけくらべ》明治28年1月?明治29年1月
【38ページ】
----一風呂浴びて日の暮れゆけば突きかけ下駄に七五三の着物、何屋の店の新妓を見たか、金杉の糸屋が娘に似てもう一倍鼻がひくいと、頭脳の中をこんなことにこしらえて、一軒ごとの格子に烟草(たばこ)の無理どり鼻紙の無心、打ちつ打たれつこれを一世の誉と心得れば、----。
【45ページ】
祭りの夜は田町の姉のもとへ使いをいいつけられて、更くるまでわが家へ帰らざりければ、華やかの騒ぎは夢にも知らず、----。
【51ページ】
----、蒲田屋の旦那のように角袖外套か何か着てね、祖母(おばあ)さんがしまっておく金時計を貰って、そして指輪もこしらえて、巻烟草を吸って、履く物は何がよかろうな、おいらは下駄より雪駄が好きだから、----。
[Ken] 「たけくらべ」にたばこの記述があるのは、38ページと51ページに2か所でした。明治28年当時は、すでに刻たばこではなく「巻烟草」が主流になっていたのですね。また、たばこは「煙草」と書かずに「烟草」だったことも分かりました。45ページの田町とは現在と同じ地域なので、1974年から芝5丁目に勤務してきた自分は、とても親しみを感じました。(つづく)
After the Masaoka Shiki book, I had decided that the next book would be Higuchi Ichiyo on the 5,000 yen note ('Higuchi Ichiyo', Chikuma Nippon Bungaku). Also in the Chikuma Nippon Bungaku series.
The first few pages were so confusing that I thought, "Hmm, maybe I can't read this?" But I soon got used to it and the pages started to move along smoothly, so that was a relief.
The stamina with which he wrote in a single bound, in a brilliant seven-five tone style, in a fraction of a second is overwhelming, no matter how prematurely he died.
Higuchi Ichiyo was a great lover of cigarettes and, according to some sources, wrote while puffing on his cigarettes like a chain smoker.
I will post excerpts and my comments on this book, focusing on scenes in which cigarettes appear.I hope you will find this information useful.
《Takekurabe》 Jan. 1895 - Jan. 1896 Jan. 1896.
[page 38].
----If I take a bath and the sun goes down, and I see a new geisha in geta and a kimono of 753, or a new geisha at what shop, or a thread shop in Kanasugi who looks like my daughter and has a nose that's twice as short, and I make up my mind that this is what I should do, and I see the grating at each house, the forcing of tobacco, the mindlessness of the nose paper, the hitting and being hit, and I know this as the honour of a lifetime, then I will be able to do it. ----.
[page 45]
On the night of the festival, I was sent on an errand to my sister in Tamachi and did not return home until the evening.
[Page 51]
----, wear a kakusode cloak or something like Kamataya's husband, get a gold watch that my grandmother keeps, make up a ring, smoke cigarettes, what should I wear, I like snow shoes better than geta, ----.
[Ken] There were two places where cigarettes were mentioned in Takekurabe, on pages 38 and 51.
In the 28th year of Meiji (1895), "maki tobacco" (rolled tobacco) rather than chopped tobacco had already become the mainstream.
We also found that cigarettes were not written as 'smokes' but '烟草'.
The Tamachi on page 45 is the same area as today, so I felt very familiar with it, having worked in Shiba 5-chome since 1974. (continued)