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『世界共和国へ』 (その41)

2016年12月07日 | O60→70(オーバー70歳)
【191〜192ページ】
マルクスがプルードンと対立しはじめたのは、1847年ごろからです。プルードンが経済革命を主張したのに対して、マルクスは政治革命、つまり、政治権力をとることが不可欠だと考えた。マルクスの考えでは、プルードンの提案するような経済革命は、資本に対抗することができない。プルードンは資本主義が何かを総体として把握できていない。だから、マルクスはプルードンを批判した後、『資本論』に結実する経済学研究を本格的に始めたわけです。(中略)
1848年革命において、プルードンは議員として参加したし、1871年パリ・コンミューンにおいて、プルードン派はマルクスの反対にもかかわらず、国家権力を奪取する蜂起を決行した。もちろん、マルクスはいざ蜂起が起こると、それを支持し、これこそ「プロレタリアート独裁」であると評価しました。要するに、マルクスがいう「プロレタリアート独裁」はプルードン主義と何ら背反しないのです。

【193ページ】
ラッサールがヘーゲルにならって国家を理性的なものとしてみなしているのに、マルクスは国家を消滅すべきものとして見ていた。その点で、マルクスはあくまでもプルードン派なのです。

(ken) プルードンの再評価と考え方の限界、マルクスとの関係、そしてパリコミューンの振り返りが、いい勉強になりました。私はとりあえず、来年早々には大仏次郎さんの『パリ燃ゆ』でも読破してみようと思っています。本書を読みながら、私はつくづく知らないことが多すぎると痛感した次第です。(つづく)
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