三遊亭円朝の遺言 | |
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落語三遊派宗家と名乗る、藤浦敦の作「三遊亭円朝の遺言」という本。
著者の父が、円朝一門総勢200名の丸抱えで面倒を見ていたようで、円朝の死後、
その名跡である“円朝”も宗家であずかり、藤浦家は名実ともに、宗家と円朝名跡継承者、
とを兼ねたとある。・・・・まあ、昔のタニマチは想像を絶っしますな。
東京の落語であり、それも30年ほど前から15年間、月一で連載された文章なので、その当時に
ついていけない違和感がある。例えば、小朝さんが注目され始めた時であり、1985年1月には、
期待できる若手として、小さん門下に柳家さん喬という人がいると、誉めながら、注文もつけている。
その当時のことは解らないので、惜しむらくはということが、実際おこっていたのか、確かめようがない。
でも、そのなかで、「東京へ移った大阪落語」と詳しく書いてあるので、紹介する。
明治から大正にかけて、百席ぐらいが移し植えられた。
それなりの名人が移しており、単に凡人では成しえない。大阪と東京の土地柄の相違。言葉遣いの違い。
大阪人の生活のニュアンス。人情、風俗、習慣、言葉をことごとく熟知して成り立つ。
その、天才的仕事をした人をあげると、
「鳥屋坊主(万金丹)」「床(寝床)」を移したのが馬楽。
「宿替え(粗忽の引越)」「二階ぞめき」「にらみ返し」「提灯屋」「ちしゃ医者」「高津の富(宿屋の富)」
「碁どろ」「時うどん(時そば)」「めか馬」「宿屋仇(宿屋の仇討)」「青菜」で三代目小さん。・・凄い数。
「壺算(瓶算)」「へっつい幽霊」が二代目円馬。
「菊江の仏壇」「三枚起請」「が初代円右。
「浮世床」「浮世根問」が小せん。
「初天神」「愛宕山」「子ほめ」「猫忠」「後家ごろし」が三代目円馬。芸風は文楽に伝承。
「二番煎じ」「電話の散財(電話室)」は、五代目円生。
「三十石」は、名人円喬。
「浄瑠璃息子(義太夫息子)」「親子茶屋(夜桜)」が先々代の桂文冶。
なんと、多くの噺が、移植されたことか・・・・逆に移されたのは「酢豆腐(ちりとてちん)」ぐらいで
(作者は、移せるほどの実力者が大阪にはいなかった、言っているが)やはり、大阪人は心広いですな。
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