問答無用のクラシック | |
クリエーター情報なし | |
青弓社 |
☆☆☆☆
久しぶりの音楽の本。
それも、許光俊さんの辛口本。
「巨匠幻想」という項では、美人を見るとデレデレになるフルトヴェングラー、
楽員の人格を踏みにじるトスカニーニ、練習をさぼるクナッパ―ツブッシュ、
悪口三昧のクレンペラー、冷酷で人間味のないセル、金儲けに余念がないカラヤン
他人を全否定するチェリビダッケ、指揮が下手な朝比奈隆などと言いたい放題。
まあ、欠点があったからこそ、彼らは「自分」の音楽を作りあげることができた。
つまり、巨匠とは、校則を破ってばかりいる、しかしただ違反するだけではなく、
人を誘惑する才能に恵まれ、人望もある不良のようなもの。
巨匠と不良を同列に並べるなんて、許さんの独壇場。
録音の音楽と、生の音楽の違いについてでは、
生の音楽を聴くのは、官能的でもあればエロティックであり、
また神秘的な経験であると、一組の男女が異性であり他人であるがゆえに
合一を求めるように、聴き手は演奏会において他者の音楽との神秘的な合一を憧れる。
偉大な演奏とは、神のように完全で、自由自在であり、全能である。、
聴き手は、さまざまな神秘主義者が神の光に照らされて法悦を感じたように、
音楽と自分との間の垣根が取り払われ、抱擁される瞬間を待ち望んでいる。
これは前提として、聴き手と音楽が他者であることを絶対に必要としているのだ、と。
まさにそれこそが、自らは音も出さず、ただ椅子にすわっているだけの聴き手の特権だと。
まあ、聴き手の客が居ないと何もはじまらないし、同じ空間で一体化する
生の良さを言ってるのだが、許さんに掛かれば、先ほどの表現になる。
そんな、音を言葉で表現する、クラッシク界の奇才の評論集でおます。
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