尼崎の脱線事故から5年目を迎えた日、事故で娘さんを亡くした
お父さんの手記が載ってました。
あの日から、娘さんに毎日手紙を書いているというお父さんです。
お嬢さんの部屋も部屋のカレンダーも、あの日のままだそうです。
お父さんは、悲しみは少しも減らず、娘の思い出がだんだん薄れて
行くことがとても辛いと書いていました。
私も、同じように思っていた時があります。
9歳で兄を失った弟の兄への記憶が、どんどん無くなっていくのです。
不安になった私は、お兄ちゃんと貴方はこんな事をしたとか、兄弟の
結びつきを緩めてはいけないと、事あるごとに兄の話をしてました。
思い出の刷り込みを、私がやっていたのです。
それでも、弟の兄との思い出が消えていくのを止められませんでした。
そのことが、本当に辛く悲しかった時期がありました。
ある日、息子の部屋で「僕はお兄ちゃんの行けなかった高校へ行く。
お兄ちゃんの歩けなかった道を、お兄ちゃんの分も歩いていくのだ」と
書いたものを見つけた時、思い出の刷り込みを止めようと思いました。
息子の中で、兄はちゃんと生きているのです。
今、彼は兄と共に歩き新たなる思い出を構築しているのです。
私は、兄の思い出を消してはなるまいと必死になっていましたが、
ふと気がつけば、亡くなった息子が私達家族に今尚、新しい思い出を
つくってくれているし、掛けがえのない出会いを与え続けてくれてます。
尼崎でお嬢さんを亡くされたお父さん、娘さんは「お父さん 私は
死んで無くなった訳じゃない、ここにいるの!お父さんの一番近くに!」
と言っているのが聞こえませんか…
お父さんの手記が載ってました。
あの日から、娘さんに毎日手紙を書いているというお父さんです。
お嬢さんの部屋も部屋のカレンダーも、あの日のままだそうです。
お父さんは、悲しみは少しも減らず、娘の思い出がだんだん薄れて
行くことがとても辛いと書いていました。
私も、同じように思っていた時があります。
9歳で兄を失った弟の兄への記憶が、どんどん無くなっていくのです。
不安になった私は、お兄ちゃんと貴方はこんな事をしたとか、兄弟の
結びつきを緩めてはいけないと、事あるごとに兄の話をしてました。
思い出の刷り込みを、私がやっていたのです。
それでも、弟の兄との思い出が消えていくのを止められませんでした。
そのことが、本当に辛く悲しかった時期がありました。
ある日、息子の部屋で「僕はお兄ちゃんの行けなかった高校へ行く。
お兄ちゃんの歩けなかった道を、お兄ちゃんの分も歩いていくのだ」と
書いたものを見つけた時、思い出の刷り込みを止めようと思いました。
息子の中で、兄はちゃんと生きているのです。
今、彼は兄と共に歩き新たなる思い出を構築しているのです。
私は、兄の思い出を消してはなるまいと必死になっていましたが、
ふと気がつけば、亡くなった息子が私達家族に今尚、新しい思い出を
つくってくれているし、掛けがえのない出会いを与え続けてくれてます。
尼崎でお嬢さんを亡くされたお父さん、娘さんは「お父さん 私は
死んで無くなった訳じゃない、ここにいるの!お父さんの一番近くに!」
と言っているのが聞こえませんか…