暦を見ると昨日が小寒。
しかし今日は、この冬一番の寒さとか、東北のすごい雪の映像を
見ると、まるで母を思うように、初女先生に思いが馳せます。
ただ黙って初女先生を想っているだけで、先生の思いが感じられる
ような気がするのです。
大晦日に、再放送された「初女さんのおむすび」を観ていて、何回
観ても同じ所で涙する自分に気が付きました。
イスキアから帰って行く人を見送る、初女先生
祈りと深い慈愛に満ちた、先生の眼差しを見ると涙が止まらなくなって
しまうのです。
先生は、森のイスキアを誰にとっても心が穏やかになり、気持ちが
明るくなる場所にしたいと思ってきたそうです。
そして、人をありのままに受け入れる場所、それは「母の心」と同じ
だと気づいたと言います。
「どんなときも子どもを優しく見守り、包み込む「母の心」。
私は「森のイスキア」が、お母さんのような場所であり続けたいと
願っています。」と言われています。
私が初めてイスキアを訪れた時、天国ってこういうところかも
しれないと思ったのは、母なる場所で、聖母のような初女先生の
愛に包まれたからなんですね。
先生の鳴らす祈りの鐘に、心響いた人達が今それぞれの鐘を
鳴らしだしています。
「今、私ののぞむものは、「展開」ではなく「融合」です。」という
初女先生の耳には、きっとこの鐘の音が聞こえているのでしょう。
しかし今日は、この冬一番の寒さとか、東北のすごい雪の映像を
見ると、まるで母を思うように、初女先生に思いが馳せます。
ただ黙って初女先生を想っているだけで、先生の思いが感じられる
ような気がするのです。
大晦日に、再放送された「初女さんのおむすび」を観ていて、何回
観ても同じ所で涙する自分に気が付きました。
イスキアから帰って行く人を見送る、初女先生
祈りと深い慈愛に満ちた、先生の眼差しを見ると涙が止まらなくなって
しまうのです。
先生は、森のイスキアを誰にとっても心が穏やかになり、気持ちが
明るくなる場所にしたいと思ってきたそうです。
そして、人をありのままに受け入れる場所、それは「母の心」と同じ
だと気づいたと言います。
「どんなときも子どもを優しく見守り、包み込む「母の心」。
私は「森のイスキア」が、お母さんのような場所であり続けたいと
願っています。」と言われています。
私が初めてイスキアを訪れた時、天国ってこういうところかも
しれないと思ったのは、母なる場所で、聖母のような初女先生の
愛に包まれたからなんですね。
先生の鳴らす祈りの鐘に、心響いた人達が今それぞれの鐘を
鳴らしだしています。
「今、私ののぞむものは、「展開」ではなく「融合」です。」という
初女先生の耳には、きっとこの鐘の音が聞こえているのでしょう。