天気予報を見ていると、今日も36度を超えるところがあり、
テレビでは画面の隅に、ニュース速報のように「熱中症注意」の
文字が出ていました。
私が「脱原発」を胸に、無駄な電気を使ってはならぬと、息子の
部屋へ行き「クールシェアしましょ」と、ベットに座ったら、
「何考えてんだよ」と、呆れられてしまいました。
外に行くにも根性がいるな!と思って玄関のドアを開けてみると
灼熱地獄と思っていたのに、何とも心地よい風が吹いて実に
気持ちいいのです。
すっかり情報に惑わされていた自分に気がつきました。
この風は、もしかしたらイスキアにも吹いている風かもしれないって
思えたら、あの梅を干している風景が浮かんで来て、私も!と
思いました。
去年は、初女先生に大変よく出来てます。色がさえないのは紫蘇が
少ないからよ。と言われて、今年はたくさん紫蘇を入れました。
かわいい赤い色になっていましたが、イスキアの梅の赤さには
ほど遠く、でも風を感じながら梅を干していると
ネコの額ほどの庭も、イスキアに繋がっている気がしました。
昨日の夜に講演会の受付を開始したら、今日新潟と仙台の方から
お申込みがありました。
そんなに遠くから来て下さるのかと思ったら、有難くて
ふっと涙がでてしまいました。
雑誌「天然生活」のはたらく台所のトップには、初女先生が…
御年91歳とう字に、まだ90歳よ!なんて思いながら読んで
いましたが、本当に初女先生はいつも働いているなーと
つくづく思いました。
「ずっと台所にいますね。自分の時間なんてない。
疲れるのは疲れるけれど、やめようとは思いません。
だれかの為にやっているようだけれど、その人の喜びが
また自分に返ってくるんです。それは何物にも替えがたい
喜びなんですね」と、いう先生のお言葉に先生の生きる姿が
重なりました。
梅を取り込みに行くと、干した時には気にならなかった
梅についた細かい紫蘇が目に付きました。
イスキアの梅は、あんなに沢山あるのに紫蘇がくっついて
いませんでした。
梅を干すにも、どんなに手を掛けているのかが、初めて分かり
ました。
雑誌には、「祈りを込め、心を尽くす台所仕事」とありました。
どんな小さなことにも、心を離さない初女先生
どこを取っても、初女先生の生きる姿が見えてくるのです。
「いのち」を生きるとは、そういうことなのかもしれないと
働く初女先生姿が、心に浮かびました。
テレビでは画面の隅に、ニュース速報のように「熱中症注意」の
文字が出ていました。
私が「脱原発」を胸に、無駄な電気を使ってはならぬと、息子の
部屋へ行き「クールシェアしましょ」と、ベットに座ったら、
「何考えてんだよ」と、呆れられてしまいました。
外に行くにも根性がいるな!と思って玄関のドアを開けてみると
灼熱地獄と思っていたのに、何とも心地よい風が吹いて実に
気持ちいいのです。
すっかり情報に惑わされていた自分に気がつきました。
この風は、もしかしたらイスキアにも吹いている風かもしれないって
思えたら、あの梅を干している風景が浮かんで来て、私も!と
思いました。
去年は、初女先生に大変よく出来てます。色がさえないのは紫蘇が
少ないからよ。と言われて、今年はたくさん紫蘇を入れました。
かわいい赤い色になっていましたが、イスキアの梅の赤さには
ほど遠く、でも風を感じながら梅を干していると
ネコの額ほどの庭も、イスキアに繋がっている気がしました。
昨日の夜に講演会の受付を開始したら、今日新潟と仙台の方から
お申込みがありました。
そんなに遠くから来て下さるのかと思ったら、有難くて
ふっと涙がでてしまいました。
雑誌「天然生活」のはたらく台所のトップには、初女先生が…
御年91歳とう字に、まだ90歳よ!なんて思いながら読んで
いましたが、本当に初女先生はいつも働いているなーと
つくづく思いました。
「ずっと台所にいますね。自分の時間なんてない。
疲れるのは疲れるけれど、やめようとは思いません。
だれかの為にやっているようだけれど、その人の喜びが
また自分に返ってくるんです。それは何物にも替えがたい
喜びなんですね」と、いう先生のお言葉に先生の生きる姿が
重なりました。
梅を取り込みに行くと、干した時には気にならなかった
梅についた細かい紫蘇が目に付きました。
イスキアの梅は、あんなに沢山あるのに紫蘇がくっついて
いませんでした。
梅を干すにも、どんなに手を掛けているのかが、初めて分かり
ました。
雑誌には、「祈りを込め、心を尽くす台所仕事」とありました。
どんな小さなことにも、心を離さない初女先生
どこを取っても、初女先生の生きる姿が見えてくるのです。
「いのち」を生きるとは、そういうことなのかもしれないと
働く初女先生姿が、心に浮かびました。