ずーっと、ずーっと初女先生のお姿を見てきました。
おむすびを結ぶ手、野菜をきざむ手、くるみの渋皮を
丁寧にとる手…
「私は手が大きいの」と、ちょっと恥ずかしがる先生の
手が好きだった
初女先生が亡くなり、動けなくなりました。
ずっと見つめ続けて来たものが無くなり、途方に
くれたのです。
初女先生の視線の先を見ようとしないで、初女先生の
後姿を見つめきたからです。
初女先生のようなおむすびが作れるようになりたいと、
沢山のおむすびを作ってきたけれど
先生が伝えたかったのはおむすびではなく祈りでした。
初女先生は、難しい言葉は使わず誰にでもわかる
やさしい言葉で話して下さるから、直ぐに分かった
気になってしますのです。
『動の祈り 静の祈り』もそうです。
一所懸命働いている時、「動の祈りだ」なんて思って
しまう。だけど本当にそうだろうか…
初女先生の言葉は、先生の行動から生まれてきた
言葉
だから、自分で行動しないと分からない
あんなに初女先生を見つめていたのに何も
分かっていなかったな~
「いのちのエール」の講演会をやるのも、初女先生が
見つめていたものを知るためかもしれない…
行動し、初女先生の言葉を自分の中で発酵させて
先生の見ていたものを見つめるの為に
行動しないと…
初女先生、「いのちのエール」を心を込めて準備をして
いきます。
先生の丁寧さを心に刻みながら…
みなさん、お待ちしています!
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