今朝の新聞に「胸の中の鈍いおもり」と題して
村上春樹さんが、オウムの死刑執行について寄稿
していました。
田口ランディさんも驚いたと、Twitterに書いて
ましたが、新聞の一面を書かれた文章の大半が
林泰男元死刑囚のことなのです。
林(元死刑囚)の裁判の傍聴も、東京にいる時は
許す限りしていたというのです。
村上春樹さんは、林泰男の裁判における
木村裁判長の判決文は静謐(せいひつ)な
人の情に溢れるものだったと、その判決文を
載せていました。
「『およそ師を誤るほど不幸なことはなく、
この意味において、林被告もまた、不幸かつ不運で
あったと言える(中略)
林被告のために酌むべき事情を最大限に考慮しても
極刑をもって臨むほかない』
気持ちもしっかり伝わってくる
優れた判決文だと思う。
それは希望の余地というものが殆ど存在しない
この長い裁判を通して、最後に辛うじて
差し込んできた微かな光明のようなものだった
かもしれない。」と書いています。
そして、死刑判決を生まれて初めて法廷で
耳にした時も、今オウム事件の死刑囚、13人の
死刑が執行されたとの報を受けて、同じように
胸の中の鈍いおもりの存在を感じていると、
記しています。
この寄稿文は是非一読して欲しいです。
私は、30代の頃に「人生で師と言える人に
一人出会ったら、それは幸せだ」と言われて
ずっと師を求め続けていました。
そして佐藤初女さんに出会ったのです。
木村裁判長が師を誤るほど不幸なことはなく…
と、言われていますが、高学歴で社会的地位も
あったオウムの人たちは、なぜ師を見誤ったの
でしょうか…
村上春樹さんは「我々は彼らの死を踏まえ、
その今は亡き生命の重みを感じながら、
『不幸かつ不運』の意味をもう一度深く
考えなおしてみるべきだろう。」と結んで
います。
13人の死刑執行以来、私の胸の中にも
鈍いおもりがあるの感じています。
事件は終わっていない…
この事件によって投げかけられたこたえを
私たち自身が探して行かなくては…