~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

初女さん・日野原先生・石牟礼さんの”いのち”

2018-04-15 23:55:07 | 日記

105歳で亡くなった、聖路加病院の日野原先生は

子ども達に「いのちの授業」をしていたそうです。

先生が生徒に「いのちって何ですか」と聞くと

子ども達は心臓を指すそうです。すると先生は

『「心臓は”いのち”ではありません。

心臓は単なるポンプです。

”いのち”は目に見えないものです。

確かにあるものだけれど、でも、目には見えない」

「では、”いのち”とは何か。”いのち”とは、

私たちが持っている時間の証なのです。」

「人が望むことはなんでしょう。平和です。

平和というのは、”人が与えられたいのち(=時間)

を壊されてしまわないこと”です」

「人間は限られた”いのち”を持つ生きものです」

「人のために使った時間と自分のために使った

時間のバランスはどうなっていますか?

 人のために使っていますか?」

「あなたが持っている”時間”(”いのち”を

できるだけ人のために使いましょう」』と、

話したそうです。

初女さんの講演会では、終わった後にで初女さんと

直接触れ合いたいと方が、長蛇の列になるのですが

その時、最後尾の方に並んでいた男性が、

初女さんの前に来て、いきなり「いのちって、

どういうことですか?」と言ったので、

とっさに「生きる事ですよ」、答えると

「生きることってどういうことですか?」

と、さらに尋ねるので「人は誰かに仕えるために

生まれてきた、と言われていますので、

人のお役に立つように生きることです。」と

元気に言い、足取りも軽く帰っていきました。

と、初女さんの本にも書いてありますが

初女さんは、何度も講演会でこの話されていました。

初女さんの心に深く残っていたのだと思います。

日野原先生も初女さんも、いのちについて

同じことを言っています。

私は、若い頃は”いのち”は自分のものだから

自分の好きなように使っていいと思っていました。

でも、”いのち”を人の為に使った時に至福に

包まれ、”いのち”が生き生きとするということを

初女さんに出会って知りました。

今日は石牟礼道子さんの送る会が行われたそうです。

皇后美智子さまは、石牟礼さんの遺影を見つめられ、

白い花一輪を捧げて深く一礼し、

長男の道生(みちお)さんに「お悲しみが癒えない

でしょうね。慈しみのお心が深い方でした。

日本の宝を失いました」とお声をかけたと

いいます。

石牟礼さんも水俣病の患者さん、ご遺族の方々と

共に生きて来た方です。

”いのち”は生き続けていくものだということを、

今確かに感じています。

初女さん、日野原先生、石牟礼さんの”いのち”が

ひとり一人の心の中で生き続け、

これからの私たちを支えてくれ、共に歩んで

くれると信じています。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初女さんの「真実に生きるって」どういうこと?

2018-04-14 19:13:34 | 日記

初女さんの「今を真実に生きていれば、必ず道は

示されます。」という言葉を私は10か月位前から

一日一回は呟いています。

真実に生きるということが、よく分からないの

ですが、真面目に一生懸命かな?と思っていたの

ですが、この言葉がもっと深いのではないかと

いう思いが、突然湧きあがってきました。

真実に生きるとは、本当の自分を生きるって

ことではないかって…

そのことを初女さんは、ご自分のお姿で

みせてくれていたんじゃないかと思った

のです。

初女さんは、自分を手放していました。

「我」というものがありませんでした。

真実に生きるって、そういうことなのかも

しれない…

「真実に生きる」「本当の自分を生きる」

またまた天から課題が降ってきました。

難しいことだけれど、1ミリでも分りたい!

初女さんのおむすびを結びながら、向き合って

いこう!

5月27日(日)に埼玉で3回目のおむすび講習会

やりま~す!

心のおむすびも結んで行きたいです。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初女さん「幸せってなんですか?」

2018-04-12 23:11:31 | 日記

「幸せってなに?」

人生の中で、人は何度この問いを自問自答する

だろう…

辛いことが多く、幸せになることを諦めてしまった

人もいるかもしれないけれど、誰もが幸せに

暮らしたいと思い生きているんじゃないかな

幸せになりたいと思っていながら、幸せについて

あまり深く考えないで…

私もそうでした。

息子が亡くなったことを知った、私の中学の

同級生が電話をくれて「僕、幸せでごめんね」と

言ったのです。

心優しい彼の精一杯に言葉だったと思います。

でも、その時私の中を「幸せってなに?

私の求めていた幸せは、一夜にして無くなって

しまうものだったの?」という言葉が直撃

したのです。

私が幸せだと思っていたことは、家族が

健康で経済的にも困らない…そんなものだったの

です。

これが幸せだったら、一瞬にして消えてしまう

ものかもしれません。

そう思った時、自分が求めていた幸せは、

自分で勝手に決めた幸せの条件だったんだと

気がついたのです。

それから、何があっても揺るぎのない幸せを

見つけたいと思いました。

だから、初女さんに初めてお会いした時、

私は「先生にとって幸せってなんですか」と

いうような質問をしたのです。

初女さんは「響きあう人に出会った時が幸せ」

と静かにおっしゃいました。

そうか、私は初女さんと出会って幸せだものと、

すごく納得しました。

でも、その時々の幸せは沢山あるけれど、

人は幸せな生活をおくりたいって思っているん

だよな~その幸せは何?と、また私の中に

疑問が生まれて来たのです。

幸せって、感情だから「あ~幸せ」って思ったら

幸せになる!これは忘れていけないこと

それは分かっているけれど…

日々の幸せは何?と思っていたら、初女さんは

ちゃんと書いて下さっていました。

長い間理解出来なかったマタイによる福音書の

「心貧しき人々は、幸いである」という言葉の意味

をシスターに尋ねたら「それは『いま』を

満足することです。」と教えて下さり、

初女さんは、長年疑問だった意味がすとんと

腑に落ちたそうです。

そして、『「いま」というのは、人それぞれの

「いま」のこと。

幸せになるためには、いまの状態に満足すれば

いいだけです。

人間の望みや欲望には際限がありません。

でも、それではいつまでたっても満足できず

不満だらけで、幸せを感じることは

できないでしょう。

自分の「いま」に満足し、そのことに「感謝」の

気持ちを持つこと。

そういうふうに考えれば、自由な気持ちに

なれるはずです。』と書かれています。

初女さんが「今を生きる」と言われていたことは

そういうことに重なっていくのですね。

幸せは、シンプルでとても深いのですね…



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森のイスキアの思い出

2018-04-11 20:29:14 | 日記

初女さんの「あなたに喜んでもらえるように」を

読んでいたら、森のイスキアにいる気持ちに

なりました。

人には年月と共に、風化する記憶と

色あせず益々鮮やかになる記憶があるようです。

私にとって森のイスキアの記憶は、勿論後者の

ものです。

イスキアに行くと、私は初女さんの娘になった

気分で、直ぐにエプロンをして初女さんの横で

スタンバイしてました。

一応、主婦歴何十年の私ですが、初女さんの前では

何も出来ない子供のようなのです。

初女さんのお料理はとても丁寧で、普段の

私の台所仕事では、太刀打ちできないのです。

くるみの薄皮を楊枝で取るのを、初女さんと

並んでやっていたら、私がこれで取れたとした

くるみを初女さんが、さらにきれいにして

くれていました。

まあ、こんなもんでいいか!という言葉は

初女さんの中では存在しないようでした。

初女さんのお部屋に、こそっと忍び込むのも

好きでした。

イスキアに居ると、なぜか時の刻みが

とてもゆっくり感じるのです。

晩年は、希望者が多く一泊しか出来なく

なりましたが、それでもイスキア時間が

流れていました。

ご飯の用意が整うと、初女さんがチリンチリンと

鐘を鳴らしながら歩くお姿が、可愛くて

大好きでした。

あ~次から次から思い出が立ち上がってきます。

「ここには大切な人を亡くした人がいるから

お盆の送り火をしましょう」と、初女さんが

言われ、イスキアの庭でたき火をしたこと…

どこをとっても初女さんの愛が溢れていました。

森のイスキアにいる間、ずっと初女さんの

「母の愛」に包まれていたんですね。

初女さんの「あなたに喜んでもらえるように」

は、初女さんの心そのものです。

初女さんの「母の愛」が、私の中で生き続けて

います。

沢山の喜びを頂きました。

初女さん、言ってましたよね。

「幸せになるためには、いまの状態に満足すれば

いいだけなのです」って

私、苦しいこともあるけれど、幸せになります!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かけがえのないもの

2018-04-10 21:35:51 | 日記

昨日のブログに頂いたコメントを読み、ここまでの

自分の道のりを思い返していました。

息子を探して、福井県の仏国寺というお寺の

老師様を訪ねて、「うちの子はどこにいるんですか」

と、必死な思いで尋ねると、「息子さんは、

お母さんといつも一緒にいますよ」と、

静かに言われ、息子の姿を追い求めていた私は、

どこにいるの?私には見えないと、底なし沼の

ような苦しみの中でもがき、疲れ果てていました。

ただ、いつか息子に会えた時に、「母さん悲しくて

悲しくて、ものすごく苦しかったけれど

頑張って生きて来たよ!」と言いたいという

思いは、心のどこかにありました。

だから、苦しみ悲しみを抱えても前を向いて

歩いている人に会いたいと思い、願い続けて

いたのです。

そして、佐藤初女さんとの出会いが与えられ

たのです。

最初にお会いした時、「あなたとは普通の

ご縁じゃないわね」と、初女さんに言われ

ましたが、その意味も分かりませんでした。

亡き息子が結んでくれたご縁を、初女さんは

感じとっていたのでしょうね…

初女さんの言葉が、静かに心に降りて来ます。

 『もっとも尊いのは

  かけがえのない大切なものをさし出す心

  自分にとってかけがえのないものを与えた時

  神さまは必ずそれ以上のもので

  私たちを満たしてくださいます。

          佐藤 初女  』

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の中の「のさり」

2018-04-09 20:48:28 | 日記

昨日のブログに「のさり」のことを書いていて

ふと、私が初女さんに言った「子どもの死も生も

与えらえたものだと思えるようになりました。」と

いう言葉を思い出しました。

もしかしたら、これも「のさり」かもと…

初女さんは、「ここまで来るのに、あなたが

どんなに苦しんだことか」と言って下さいましたが

本当に、苦しみあがきました。

もしも、良いことも悪いこともすべて

天から賜ったものと受け止める「のさり」と

いうものが、私の中にあったら、

これほど苦しまなかったかもしれないと、

思ってしまいました。

風土が人を育てる

都会に暮らしていると、風土という言葉すら

死語のような気がしますが…

初女さんは、朝起きると「今日のお山は

どうだろう」と、岩木山を眺めるのと言い、

岩木山と共に暮らしているという感じでした。

弘前に行くと、住んでない私ですら

あ~この地は岩木山に見守られて

いるんだな~と思います。

自然と暮らしが近しいところは、人は

その地に育まれて行くんだなと、思いました。

私の中に、やっとの思いで生まれた「のさり」

これもまた、息子からの贈り物かもしれない…




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石牟礼さんと「のさり」

2018-04-08 18:46:27 | 日記

先日、録画したいた映画「深夜食堂」を観ていたら

渡辺美佐子さんの芝居の上手さに魅了されたと

同時に、渡辺さんが話していた熊本弁の美しさに

心が震えました。

私は一度だけ水俣に行ったことがありますが、

その時は、水俣イコール水俣病のイメージを持って

行ったのですが、あまりの美しさに驚きました。

こんな美しい海を汚してしまったのかと、

誰に向けたらいいのか分からない怒りが

こみ上げて来たのを覚えています。

渡辺美佐子さんの熊本弁を聴いていたら、

石牟礼さんの熊本弁を聴きたくなりました。

石牟礼さんは、本らしい本を読まずに育ち

20歳になるまで読書経験は、「大菩薩峠」

くらいだったそうです。

石牟礼さんは、熊本や天草のお年寄りが

使う言葉をいかし、歌うような抑揚をつけて

話す方言で、不知火の海の豊かさをうたいあげ

それを破壊した水銀汚染を告発し作品

「苦海浄土」を書いたそうです。

熊本弁には「のさり」と言う言葉があるそうで

「のさり」は、天から賜ったものを意味する

そうです。

良いことも悪いことも、天から賜ったもの…

石牟礼さんのことを書いた新聞記事に、

石牟礼さんは、

『患者さんは病状が悪いのは魚の供養が

足りないからと考え、岩や洞窟を拝んだりする。

それを都会から来た知識人は無知で頑迷だと言う

私はそう思わない。

患者さんは知識を超えた野生の叡智を身に着けて

います。』と、言われていたと書いてありました。

石牟礼さんがパーキンソン病になられたと知った時

なんで?と天を恨みたくなりました。

でも、石牟礼さんはご自分の病気も「のさり」と

受けとめていたのでしょうね…

作家の田口ランディさんは「晩年、パーキンソン病

を患われて、ふるふると身体が揺れている

石牟礼さんをテレビ番組で観た時、その姿が

患者さんと二重写しになり、石牟礼さんは身体ごと

患者さんとひとつになられたのだと思った。

もはや作家という域を超えている」と書かれて

いました。

水俣の美しさ、熊本弁の清らかさは

「のさり」の言葉が生まれた、この地に生きる

人々の心の崇高さかもしれないと思いました。

もう一度水俣に行ってみたくなりました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「卒母」について

2018-04-06 23:12:07 | 日記

新聞の投稿の「卒母って何でしょう?」という

文字が目に飛び込んで来ました。

その方は、61歳の息子さんが病気になり入退院を

繰り返す度に、片道1時間かけて病院に通い続けた

そうですが、先月息子さんが旅立ち

まわりから心配され「これからは

自分の人生を楽しみなさい」と言われるが

今は親心で一杯で、卒母なんて不可能だと思い

ます。そうですよね!

母親は永遠に母親なのだから…

どこかで息子の声を聞きながら、卒母できない

老母で生きます、しっかりと。

と、書いてありました。

読み終わった時、初女さんが息子さんのミサで

涙しているお姿が思い出されました。

そこに映っていたのは、母親の初女さんでした。

沢山の人の悲しみや苦しみに寄り添って来た

初女さんの深くにある悲しみを見た気が

しました。

初女さんがいらしたら「卒母」について何と

言われるでしょうか…

ちょっと悲しい目をして「そういう言葉が

生まれているのですか」と言われ

「母の心は永遠なのに…」と呟かれるかも…

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「母の心」がすべてを解決してくれる

2018-04-05 18:06:41 | 日記

昨日、村上老師様が20年くらい前に出られた

「心の時代」を観ていたら、「受け入れる」と

いうことを何度も言われているのです。

私は、初女さんのことを思い出しました。

初女さんは「お母さんは、許しがたきを許し

耐えがたきを耐える大きな太陽なような存在。

私は、いいお母さんになるには、まず受け入れる

ことだろうと思っています。

そう言うと、「どうして、私ばっかり全部

引き受けないといけないの」という気持ちに

なるかもしれません。

でも、そう思わないのが、本当のお母さんの

気持ちになるということ。

子供にはもちろん夫に対しても、それぐらい

大きな気持ちがあれば家庭円満に

なるでしょう」と言われています。

何だか、耳が痛いです。

片付けは苦手ですが、台所に立つのは好きな方

ですが、それでも時々なんで私ばっかり作るの

たまには作ってよ!と、言ってしまいます。

終わったと思っていた、息子のお弁当作りが

始り、つい後悔しない程お弁当作って来たのに

またか~と言ってしまい、初女さんだったら

そんなことを思わずに心を込めて美味しい

お弁当を作るだろうなと思い、大いに反省

しました。

初女さんは、母性というものをとても大切に

されていました。

「女性であっても、男性であっても、等しく

求めているのは母性です。

大きな社会でも小さな家庭でも、

すべての問題はお母さんの心で解決します。

反対にお母さんの心が希薄になっていると、

どうもうまくいきません。

男性であっても、自分がお母さんにしてもらった

ことを思い出して、お母さんの心で受ければ、

どこも間違えませんよ」と言われています。

お母さんの心は魔法の力があるんですね~

初女さんは、圧倒的な母性の方でした。

心を耕し、母性を育てていかないと…


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「座禅」~村上老師様

2018-04-04 22:03:41 | 日記

村上老師様と30年以上交流を続けている友人に

老師様にお会いして、心が震えたと電話をしたら

翌日、老師様がNHKの「心の時代」に出られた

時の録画を送ってくれました。

「座禅と托鉢」という映像を観て、びっくり

しました。

坐禅されているお姿が、仏像の様に美しく

深い静けさを湛えているのです。

映像を観ているだけで、こちらの心が浄められて

いくような気がするのです。

托鉢に歩かれているお姿も…

初女さんを見ても思ったのですが、人はここまで

高められるのかと…

老師様は「心がかたちになる

怒ったら怒ったかたちになる。

心がねじれたら、ねじれたかたちになる。

いいことをしてもダメ

悪いことをしてもダメ

何もしないのが祈り」と、言われていました。

深いな~

初女さんのおむすびを老師さまが召し上がったら

何て言われただろうか…

きっと、言葉ではなくあの魂の笑顔になられたかも

 

 

 

 

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする