今年の書の課題は、唐の皇帝”太宗”(たいそう)が
書いた「温泉銘」を1年間書くのです。
先日「神」を臨書して、少しはいいかと思って
今日、あらためて見たら「何じゃこれ」という
感じで自分でも驚きました。
観ているようで、見ていないということが
ハッキリわかりました。
聴くということもそうかもしれません。
自分の聞きたいことしか聞いてないのかも
しれませんj。
初女さんは晩年にかなり耳が遠くて、補聴器を
つけてました。
初女さんのところに来る方は、心に重いものを
抱えている人が多く、小さな声で話されるので
初女さんに聴こえているかしら?と思ったのですが
肝心なことは、ちゃんと聞こえているのです。
初女さんは、体全体で聴くという感じでした。
そして聴くときは、相手の身に自分を
置き換えて聴くと言われてました。
そして、人は自分の中にこたえを持っていると
どこまでも信じてました。
初女さんは、「話したい人は沢山いるのに
聴く人がいない」と、よく言われてました。
初女さんの聴くは…
『目の前にいるその人の身に自分を置き換え
苦しい時は苦しい思いで、嬉しい時は
嬉しい思いで、ともに悲しみ
ともに喜ぶという気持ちで聞いています。』
『「こうすればいい」と頭で考えたことを
言うのでは、相手も納得しません。
浅いからです。
聞きながら。いったん全部自分の中に入れて
自分のものとしてから、じっくりと
お話ししたいと思っています。
佐藤初女』