世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ビースト

2008-07-03 11:31:55 | フェアリィウィスパー

困りましたね。昨日、フェアリィウィスパーなんて気取って、新しいカテゴリにかきましたら、ビーストが文句いいにきましたよ。そんなこと書くなって。

ビーストはね、「フェアリィウィスパー」なんて英語、変だぞ、馬鹿じゃないのって、言います。おまえなんか、だめだぞ、なにやっても、変だぞ。やめろ、やめろ、ばっかになるだけだよ~。

ビーストはいつも、こんな感じです。とにかく、ちょっとでもおかしなことがあったら、そこを馬鹿にして、全部だめにしたがるんです。みんな、いやだよ~、って言ってね。

確かにね、てんこは英語苦手です。単語をくっつけただけよ。でもね、実際英語圏の人がこれを聞いても、それほど馬鹿だとは思わないわよ。へえ、日本人の英語だね。て感じで、それほど変だとかだめだとかは、言わないわよ。

なんてことをいうと、ビーストは、「ふうん、それは、まあ、ちがうとはいえないね」と言います。万事こんな感じよ。絶対「そうだよ」とは言わないのよ。いっつも、逃げ場だけは完璧に確保しようとするの。のらりくらりと、逃げるのよ。

ビーストはね、にんげんがきらいなの。人間を馬鹿にして、全部だめなものにしたいの。だからいつも、人間の心の中に、「おまえなんてだめだぞ~」って言ってるの。そのせいで、人間はいつも、「自分はだめなんだ。ぜんぜん馬鹿なんだ」って、思ってしまうの。

だから人間は、必要以上に、自分をみじめだとおもって、何にも出来ないって思いこんでるの。それでね、できることでもやらなくなって、みんな苦しいの。とっても苦しいの。

でもね、人間は、ほんとはもっとすばらしいのよ。だから、ビーストが馬鹿にするの。ビーストは、人間が、うらやましいから。人間はみんな、かわいくて、おもしろいこといっぱいして、いいこといっぱいして、楽しいから。

何かやろうとしても、やる気が起きなくて、あ~あ、自分は馬鹿なんだ~なんて思って、気持がつらくなったら、それはビーストの仕業だから、気をつけてね。

それにしても、うるさいなあ。少しはだまってくれないかしら。

また何かおもしろいことを言ってきたら、書きますね


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愛の響き・2

2008-07-03 09:04:39 | 有為のしらべ

今、レースで、ドイリーをたくさん編んでます。花瓶敷きやコースターにする、小さな丸いレース編み。こうして並べて写真とってみると、なんだか星みたいですね。連星です。青と黄色で作ったら、アルビレオになるかな。

この写真の大きな方のドイリーは、一番最初に編んだもの。白いお星さまみたいのは、最近のです。お花やチョウチョの模様など、いろいろなドイリーがありますが、わたしはお星さまみたいに見えるドイリーが好きです。

編みながら、気分は「銀河鉄道の夜」というところ。

女性に生まれて幸せなことは、こんな小さな仕事で、なんだか幸せ♪という気分に浸れることですね。編みながら、誰にあげようか、どんなことをしようかなんて考えたり。かわいいコースターがたくさんできると、この上にきれいなコップをおいて、カルピスなんぞ注いだら、たいそう涼しそうで、うれしいだろうな。子供も喜ぶでしょう。

小さなことですが、さりげなくかわいいもので、ちゃんとしてあげて、飲ましてあげると、自分は特別なんだなって思いが、子供に幸せをいっぱい注ぐのです。おかあさんが編んでくれたコースターをしくと、特別すてきな飲み物に見える。おまえがとってもかわいい子だから、なんでもしてあげたいんだよって。それでこどもは、わたしは、とっても大切なものなんだって思えて、とっても幸せで、元気いっぱいになる。おかあさんは、大切な仕事をしてるんですよ。

もっとも、病中のわたしは、反対に、子供にやってもらってる感じですけど。みんな、がんばってくれてます。大切にしてくれてます。家事もほとんどできない母親を、なんとかしようと。

毎日、ご飯のしたくもままならないものですから、食事はよく、スーパーのお惣菜に頼ります。いろんなスーパーのお惣菜を買うのですけど、どれもあまりはおいしくない。やっぱり、気持がこもっていないから。作っている人が、仕事だから仕方ないていう感じで作ってるのが、わかるから。でも、それでも、家事のできない病気の主婦には助かります。ほとんど頼りっきりというところ。

けれども、最近、ある小さな田舎のスーパーで買った、さやいんげんの胡麻和えが、とてもおいしかったのです。これはきっと、とてもやさしいおばさんが作ったにちがいないと思いました。想像力の絵には、小柄で丸い感じの、50がらみのおばさんが、見えました。こんな人が、スーパーの裏側の、小さなキッチンで、こつこつとお惣菜を作ってるんだな。おいしいお惣菜を作る。そんな小さないいことを、ただただ、ずっとやってるんだな。

この想像はね、たぶん現実のおばさんとは、少し違います。でも、正しいのです。どういうことかわかる? それはね、愛の響きが、教えてくれるからなんですよ。

この世界には、見えない愛の響きが、いつも流れていて、愛を感じる心に、いつも大切なことを教えてくれるんです。愛に心を開いていれば、その大切なことが、ふっと、自分の心に何かをともすのです。

現実に、このお惣菜を作ってるおばさんは、子供をしかりすぎたり、お父ちゃんとけんかしたり、テレビで見るタレントに悪口を言ってたりするかもしれないんですよ。いろんなことがあるから、人間はいつもとんがってしまう。それでいつも、悲しい、悲しいと言ってる。でも、お惣菜を作ってるときは、そんな感じが少ない。きっと、料理が好きなんだろうな。気持ちがやさしくなれる。そういう、何気ない人間のやさしさに、愛の響きがよってくる。

そして、そのお惣菜を食べて、おいしいなと感じてる人の心に、教えてくれたりするんです。あの人が作ってるんだよって。でもそれは、はっきりとはわからなくて、わたしの想像力に、かすかに投影されるイメージになって、小さな幸せの響きになるんですよ。

テレパシーの芽みたいなものですね。本当にそんなこと、あるんですよ。

誰かを愛していたり、何かを大切にしていたり、こつこつといいことをがんばっていたりする人には、愛の響きがよってきて、見えないところで、助けてくれていたりするんですよ。

ほんとよ。

おかあさんには、そんな見えない幸せが、いっぱいよってくるんですよ。みんな、がんばっているから。

おんなのひとには、そんなことが、わかるんですよ。ずっと、あいしてきたから。

小さなレース編み一つなどに、たくさんの涙を忘れながら、みんな幸せになろうねって、がんばってきたんですよ。だから。

かみさまがよってくるんですよ。





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