公園に咲いていた、ハルシャギクです。なんだか絵のような、不思議な写真になりました。もうカメラ君も寿命かな?と感じたので、とうとう新しいカメラを買いました。そろそろ、お役御免にしてあげましょう。くたくたになりすぎて、やさしくなりすぎた。天に召されてしまったようです。
もうだめだね、と言いながら、最後にがんばってくれた写真というところ。美しくなりすぎると、こうなるんだね、という写真になりました。
内容が、花や木カテゴリと重なりますが、ハルシャギクは、人間にとって、少し難しい花です。というのは、ハルシャギクがしている仕事は、今の人間にとっては、理解しにくいものだからです。
人間は、すばらしい知能で、世界のすべてをつかんでいるように考えているんだけれど、知らないことのほうが、ずうっと多いってことを、わかっていなさすぎる。愛の響きの世界は、恐ろしく深い。どこまでもどこまでも、奥がある。何気ない道端の花が、世界の創造の秘密に、恐ろしい貢献をしている。それがわからない。
愛は、何万色の薄絹を、何万枚と重ねて、それでも、おそろしいほどすきとおっている。そういうことをすることができる。それがなぜなのか、だれにもわからないのに、なぜか、当然のようにそうなってしまう。それが、恐ろしいのです。
愛は、すべてを耐えます。なぜなら、愛がないと、すべてのものが、苦しくなってしまうからです。愛が、すべてを愛してくれないと、生きる者は、むごいみじめなものとなりはててしまう。何の価値もない、何の意味もない、虚無と化してしまう。だから、愛は、すべてを愛するために、あらゆることに耐えるのです。
耐えることができないものは、愛ではないのです。
けれども、愛の忍耐にも、限界は、あります。愛は、どこまでもどこまでも耐えようとしますが、それを耐えてはいけないという、たったひとつのことまで、耐えようとすると、とんでもないことがおこるのです。
愛が、嘘になること。愛がそれまで耐えようとするとき、愛が、ひっくり返るのです。なぜなら、愛が、自分が嘘になるということにさえ、耐えようとするとき、すべてのものが、一切のものが、苦しむからです。それに、耐えられないというものが、一斉に動き出し、恐ろしい神を、呼ぶのです。
ハルシャギクは、それを知っている。そして、その仕事を、手伝っているのですよ。いつかきっと、わかるでしょう。
やってくる。恐ろしく怒っているものが。
愛が、耐えてはいけないことを耐えようとするとき、それがやってくる。とうとう、やってくる。
アフラ・マズダが、やってくる。
にんげんが、とっくに死んだと思っていた、神が。