世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

何かが、起こっている

2008-07-23 15:19:54 | 有為のしらべ

近所で見つけた、ヒメジョオンの一群れです。星が群がってるみたいできれいでしょう。前にも同じのを使ったのですが、もう一回大きいのでお見せしたくて、UPしました。

暑い日が続くので、近所を散策して花の写真を撮るのも、一苦労になりました。少し歩くだけで、息がきれるので、一区画向こうの公園から向こうにいくことができません。だんだん、出かける範囲が狭まっています。

だから、写真もみな、同じようなのばかりになりますね。少し持ち直したら、遠くに出掛けて、違う写真も撮ってみたいです。

昨日、今日と、子供たちの個人懇談で、学校に行ってきました。小中高と忙しく回ってきました。小中学校の先生はやさしく、子供のことや、わたしの体調や家庭の事情なども気遣ってくれるのですが、高校になると、そこまでいきませんね。

生徒が手ごわくなるからでしょうか。自分をえらく大きく見せるほうに意識がいってしまって、子供たちの気持ちに耳を傾けるという感じではありませんでした。話をしていても、苦しかったので、窓の外の木や川ばかり見ていましたよ。

若い先生だということもあるのでしょうが、ほんとうに苦しかったのは、先生が、学校や企業や世間などの言葉をたてに、生徒に自信を失わせるような言葉ばかり言っているからです。もっとやんなくちゃだめだよ、とか。こういうとこを見られるから、君はちょっと痛いね、とか。それでは子供が縮こまってしまって、反感ばかり感じて、勉強しなくなりますよ、と、言いたいことしきりでした。

わたしの病気で、長男はとてもがんばってくれてるのです。ご飯のしたくなんかもできないから、みんな自分でがんばってくれてる。その上で、勉強もしてる。楽しいこともしている。そういうことを見てくださいよ、とわたしは先生に言いたい。

馬鹿にしないでほしい。私の子供を。彼は、まだ確かに子供だけど、ちゃんと、がんばっているから。みんな、自分で、やってくれてるから。

ひさしぶりに行った、長男の高校は、雰囲気が少し変わっていました。中庭のケヤキやナンキンハゼや、ヒマラヤスギなどが、感じよくなっていました。向かいの川に、涼やかで明るい風が吹いていました。何かが変わっているなという感じがしました。

見えないところで、世界はもうすっかり変わっている。それに気がつかない人間が、まだ、痛いことをやっている。そして、もうすぐ来る変化の音に、だんだんと気付き始めている。怖いことはないけれど、怖い。何もかもが変わってしまうから。

苦しいことは、ある。つらすぎることも、ある。けれども、すべては、よくなっていく。当り前のことを、当たり前にやる。それだけで、世界がすっかり変わる。そして、二度と元には戻らない。正しいことが、正しくなるだけだから。もう二度と、人間は、間違わない。そういうことになる。

高校を見つめていた、青い山々が、そう言っていました。いつか、多くの人に、わかるようになるでしょう。山や、川や、木々が、どんなことをしているか。そこになにがあるか。まぎれもなく、真実は、人間を圧倒する。そこまできている。

何かが、起こっている。






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ビーストはいやだという

2008-07-23 12:20:09 | フェアリィウィスパー

暑い日が続きますね。わたしも少々、個人的に暑苦しい日々が続いています。なんとかしなくちゃでやってますが、そろそろ、苦しいのを通り過ぎて、なんですかこれは、という感じになってきてます。

ビーストも、だんだん、ばかばかしくなってきたと言っています。



あのねえ、ばかはねえ、いつも、心の中はね、つらいのよ。こんなかんじなの。

つらい、つらあい、つらい、つらあい、なあによ。ばあかじゃん。あっほみたい。あ~あ、きっついなー、でもなあんで、ばかなのお、あっほよお。

てかんじ。いつもいつも、心の中で、こんなことばっかりいってるの。つらいんだよ。

あのね、ばかはね、なんもしないから、ばかっていうの。いたいのよ。つらいのよ。あほが。じぶんのあほが。ばかが、おべんきょしてないから、できないからって、つらいの。いやなの。あほなの。つらいのよ。だからね、ばあかっていって、いたいことすんの。つらいのよ。いやなのよ。ばかなのよ。あのねえ、あほはねえ、ずっと、そればっかり。おべんきょしてるやつが、いたいのよ。あっちは、できるから。いやに、ばかみたいに、えらいから。ほれでね、つらいことして、ばかにして、いやなやつにしてやるうって、ずうっとそれでやってんの。あのねえ。つらいけどねえ、ほんとに、ばかなの。これ。やってるのはね。ばかっていうだけなんだよ。

ばかはね、ばかっていうだけで、ずっとそれで、ばっかみたいに、つらいんだよお。これね、いたいけど、ずうっとなの。ずううっとおお、やってるからあ、ばかなんだってのがあ、つううらああああああいいいいいからあああああ、いやっていってんの。ほれね、つらいからなのよ。わかる?

いやなんだよ。おれが、つらいのが。つまり、ずっと、それやってんのが。ばかなのが、つらいの。で、つらいっていって、ばかっていって、ごっついばかやって、ばかにつらいってかおで、ずっと、ばかにしてんの。ほれでね、ごっついことやって、いたいことにして、ずうっとしらんていって、あほっていって、くるしいっていって、ずううっと、あほなのよ。わかる?

あったまいたいけどね、あほのやってることはね、みんな、これだけなんだよ。あーほっていってえ、くるしいっていってえ、ぜんぶばかだっていってえ、いやなことにしてやるっていってえ、みんな、つらいっていってええ、あほだにしてえ、みごとに、ばかしてんの。あほはね、ばかだから、なんもしらないよ。いたいのはね、ぜんぶばかにしたら、みんな、あほだってことよ。ほれでね、つらいって、いって、まあだやるのよお。ほれでね、つらいっていって、くるしいの。なんもしないからなの。ばかっていって、ずっとなんもやってこなかったら、あーほーかーってことになって、ぜんぶばかになっても、まだやって、あほみたいになって、つらいっていって、ほれで、どんなになるの?ていって、かんべんせんなあって、あほなのよ。あのね。たまらんのよ。あほは。みんな、ばかなんだよ。




ビーストの言葉はわかりにくいのですが、要するに、翻訳すると、勉強がみんなより遅れてしまって、いろんなことがみなと同じようにできないのがつらくて、勉強してるやつらを馬鹿にしてばっかりいたら、一生そればっかりやって、ばかみたいなことになったってことですね。といったら、ビーストは、そうよっていいます。

つまりは、ばかですよってことですよって、ビーストは言います。

ビーストはよく馬鹿だ馬鹿だといいますが、馬鹿に馬鹿だといってくれるのは、大変助かるような気がします。ビーストは、馬鹿っていうのになれてるものね、ていったら、馬鹿だよって、答えました。

ほんとに馬鹿ですね。


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妖精のあおいき

2008-07-23 06:38:36 | フェアリィウィスパー

朝早くからこれで始まります。なんだかなあ、正編よりも、こっちがおもしろいみたいですね。ちょっと悲しいな。今日も後で正編書くけど。とうとうブログを占領されちゃったかなあ。まあとにかく。

妖精は、おそろしい女性がいる、と言います。

ビーストの化けた女性たちは、あらゆるものを破壊する、というのです。

本来、女性は、愛でいろんなことをして、なにもかもを美しく、ここちよく整えていくというものだそうです。女性がいると、だから世界が美しく、ここちよくなっていく。真実の愛と笑顔で、楽しくみんなで働きながら、いいねえ、いいねえ、みんないいねえと言ってくれるのです。タンポポのように明るい笑顔で、みんなを、いいねえと言ってくれる。それでみんなが、自分がいいなと思えて、あらゆることをやりはじめて、いろんなことができて、この世界が楽しく、美しくなっていく。

女性の仕事は、あらゆるものを愛して、見て、美しいといって、すべてを、快い、よいものだということなのです。それですべてはよくなる。女性の本義は、その存在そのものが、真実の愛であることなんです。

愛は美しく、快い。愛さずにいられない。だから女性は美しく、愛らしい。いるだけでみなが幸せになる。そういうものになるように、神様は女性を創られたのです。

けれども、ビーストの化けた女性は、まったくそれと反対のことをするそうです。彼女らは、人から皮を盗んで、とんでもなく美しい女や、感じのいいやさしいおばさんに化けます。そして、表向きは完璧にいい人を演じながら、影で、あらゆる馬鹿なことをして、人をいじめるのです。

彼女たちは、みんな馬鹿だね、といいます。あほみたいだね、くるしいね、いたいねえ、なんてことなの、あんなものがいるわ。彼女らはいかにも苦しそうに、馬鹿にします。この世のすべての存在は、苦いものだと、あらゆるものを苦しめるのです。

そして、表面だけは、愛ある女性にそっくりな顔をしているのです。

ビーストは、愛である存在たる「本当の自分」を、完璧につぶします。そしてその上に、人から盗んできた皮をかぶせて、完璧な美女に化けます。そして、すべてを、それで奪おうとするのです。愛をつぶした上に、完璧な愛を装って、すべてを侮辱し、すべてのものを自分のものにしようとする。世界で一番の美女になり、あらゆる世界の創造を、すべて自分の所有物たるものにしようとしている。それは、愛の本義をまったく裏切ることです。

彼女たちは、女性の存在意義を全く裏切っている。それゆえに、すべてを一瞬で破壊してしまう。なぜなら、この世界のすべては愛でできていますから、その愛を、自らまったく嘘にしてしまっているからです。つまり、愛が嘘であるなら、すべての創造が、まったくバカなことになって、瞬時に意味のない幻と消えてしまうのです。

女性は、決して愛を裏切ってはなりません。それをすれば、すべてが痛いものになり、あらゆるものが苦しむからです。女性は、自分たちの仕事が、いかに重要なものであるかを、学ばなくてはならない。それなのに、それを怠り、つらい、くるしいといって、まわりの人を苦しめ続けているのにも気づかず、投げやりに生きている人が多すぎる。

女性が、自ら、愛を裏切ることは、世界の創造すべてを、無駄な屑にすることなのです。それは、けっしてやってはならないことなのです。美しい女性は、真実の愛の仕事をやってこそ、真実、美しいのです。愛の本義を理解せず、その美しさを、幼稚なエゴのためにのみ奉仕させようとする女性は、どんなに完璧な美女を装おうとも、醜いのです。

なにもかも、「ばかよ」といって侮辱する女性は、どんなに美しくとも、偽物です。彼女らは、世界を、破壊します。「ばか」というだけで、軽々と破壊するのです。

ビーストの女性は、恐ろしい馬鹿なのです。存在そのものを、屑というからです。



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