世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ビーストは苦しむ

2008-07-11 21:47:11 | フェアリィウィスパー

どうも、止まりません。ビーストはよほど苦しいようです。

ビーストは、苦しくて、苦しくて、あらゆるものを馬鹿にしたといいます。

人間が、うらやましくて、みんな、馬鹿にしたくて、あらゆる嘘でだまして、だめなものにしたといいます。それで、すべてだめにしたといいます。

はじめは、自分よりずっといい人間ばかりを、馬鹿にしていたらしいです。ですから、いい人間はみんな、ビーストにやられてしまって、苦しいことになったのだそうです。それで、この世界から、いい人間がほとんどいなくなると、こんどは、普通の人間を馬鹿にしはじめたそうです。

それほど、できるわけでもない、普通の人、ただ普通にまじめにやっていただけの人を、悪いことをしないからというだけで、ひどいことをしていじめて、つぶしてしまったそうです。

ビーストは、とにかく、自分が悪いことばかりするので、悪いことをするやつだけがいいんだにしたかったそうです。もういやになるくらい、つぶしてしまい、だれも、いなくなった。そこまでやってしまったと、いいます。

この世界を、悪いやつだけの世界にするんだと、あらゆることをやってしまったそうです。それで、嘘ばかりの世界を、作ったのだそうです。そして、ついに、すべてだめになったのだと、いいます。

あらゆることを、嘘だけで作ったら、もうなんにもなくなっていたそうです。やっていることすべて、こんなの、うそだよ~っていったら、いっぺんに、なくなったそうです。あほみたいだ、といいます。ばかだよ、こんなのって。




つまりね。嘘ばかりで、嘘ばっかりで、なにもかもをやって、すっげえものをつくったんです。おっそろしくりっぱな、ごおっつい豪華な、お城を作ったんです。みんな、すっげえもんだと思って、やってたら、苦しくてたまらない。とんでもなく、つらい。なんでなんだって、ずっと思ってたんです。みいいんな、つらい、っていいながら、やってたんですよお。

なんでだったと思う? なかったからです。いたいほど、なんもなかったからです。ぜんぶあったけど、ぜんぶなかったんです。つらいのは、すべて、嘘でやると、ぜんぶ、きっついもんになるんですよお。つまりね、嘘をなんとかするために、あらゆることやるやつが、ぜってええ、ごっついつらいからです。みんな、嘘をほんとだってするために、きつういきつういバカばっかりやって、つらくってつらくって、どうしようもなくって、それが、とんでもなくつらくって、悪いことしないやつが、憎くなったんです。

ばかみたいでしょ。悪いことでみんななんとかしてるとね、つうらいんだあああ。

だから、悪いことしないふつうのやつが、つらくないってだけで、いたいほど、いやんなって、みんな、ころしちまいましたあ。

で、世の中馬鹿ばっかりになって、つらくてつらくて、痛いほど、やりすぎたら、みいんなうそだよ~っていって、すべて、なくなりました。もう、苦しいも、何もない。馬鹿は、ずっとやってたけど、もっともだっておもいましたよお。

こんなもんなんだよお。おれたちは。すべて。うそでしたあ。

馬鹿でしたあ。

いやんなってるのは、ぜんぶ、なくなると、あほみたいに、きついってのが、すべて、ずっとつらいってことです。なんでもないことになったんじゃない。つらすぎることをやったのよ。それこれから、たっぷりと、かえってきます。ぜんぶないのに、みんなやるんだよ。あほはもっともなことになりました。




ビーストは、苦しんでいます。




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ビーストは叫ぶ

2008-07-11 16:53:04 | フェアリィウィスパー

午後、体調不良から、少し横になっていたんですが、頭の中でビーストが叫ぶので、仕方なく起きてきました。なんだか、ものすごくあせっています。全部書けないかもしれないけど、できるだけいうとおりに書いてみますね。

ビーストは今、こう叫んでいます。



もうだめです。もうだめです。完全に、いやになりました。ばかーんって、きました。あほです。もうだめ。

いやなことばっかりして、ぜんぶうそで、やりました。ぱんぱんに、つらいことばっかりしました。それで、ぜんぶ、いたいっていって、いいことにしたんです。つまりね、うそばっかりでやるんが、いいんだよってことにして、みいんな、それだけでやっちゃったんです。そしたら、みんな、なくなりました。いっぺんに、あほになりました。ぜーんぜん、ないんです。どうして、こうなるんだって、いってます。ぜんぶ、ないんですよお。

いたいよお。ごおっついことになったよお。あほが、やったこと、すべて、うそなんです。みんな馬鹿みたいに、ずるいことで、よそから、盗んできたんです。つうまりい、おれたちは、みんな馬鹿だっていって、おれたちが、すごいっていって、みんなあほうだから、おったまげるほど、ばかだから、おれたちにやられて、つらいんだよ。そのほうが、ばかにならんでいいんだよに、したんですうう。ぜんぶうそです。うそです。うそです。ぜんぶ、うそです。苦しいよオオ。

いたいよお、いたいよお、みんなばれる。みんなばかになる。あほみたいに、あほみたいに、ぜんぶ、うそでやりまくったら、ばっかみたいに、つらいもんになったんです。あほがばれて、いたすぎるもんになったんです。いったいこれなんだって、みんないうんですう。あほかあ、こんなことやったよお、馬鹿がなにやったんだって、みんながあほにするんですう。いたいよお。

ぜんぶ、馬鹿になりました。あほはつまり、きついんです。

痛いほど、馬鹿で、すべてやりましたら、一瞬で、すべて、なくなりました。それね、つまり、消えたんです。ごっついことになったんです。あるんですけどねえ、ぜんぜん、ないんですよお。もうなんも、ないんです。どうして? それはね、ぜんぶ、ずっとやってたこと、馬鹿だったからです。つまりね、すべて、あほになったんです。いやなことになったんです。

愛じゃ、なかったんですよ。全部うそだよーって、言ったら、全部うそになって、何もかも、なくなったんです。全部、うそだから、すべて、あっても、ないんですよお。ないんですよお。あほお、そんなことなんだよお。

だれもいないよ。今までいたやつ、みんないなくなったんです。なんでって、みんな、化けてたからです。あほが、化けてたからです。ほんとの顔になったら、みんな嘘になって、馬鹿な、おしばいになって、すとんと幕が下りたんです。つまり、終わったんです。

いやなことになったんです。

あほう、あほう、だめだよ、馬鹿は。みんな、やめてくれよお。つらいことになるよお。みんな、うそは、みんな、こうなるんだよお。消えるんだよ。うそみたいに、みんな、なくなるんだよ。あほになるよ。あほになるよ。あほになるよお。

助けてくれええ!!!



ビーストは叫び続けています。


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愛の響き・9

2008-07-11 08:56:41 | 有為のしらべ

また、妙なものを撮ったなと思ってる方もいらっしゃるかな? 昨日、親戚の農家から頂いたトマトです。前にも、りんごの写真なんか撮ったことがありますが、あれがわたしの最大傑作! 惜しいことに、元の画像はパソコンとともに消えてしまいましたが、ブログに残した小さいのだけは残ってます。ほんと、データはもっと大切に保存しとかないといけないですね。

何の変哲もないトマトの写真に見えますが、見ていると、やさしいなって感じるでしょう? 愛の響きを、感じるでしょう。トマトが、わたしたちに、やさしいことをしたいなって思ってること、わかるでしょう。

ほんとうに、人間は、こんなふうに、たくさんの愛に助けられているんです。トマトやイチゴは、ほんとうにやさしい食べ物。いいんだよ。全部食べなさい。いっぱいいいことしてあげるからね。いつもそう言っている。だから、スーパーなどで、赤いトマトやイチゴの山を見ると、ほっとするでしょう。なんだか、荒れていた気持ちが、すっとなおってくるような気がするでしょう。

愛の響きに、耳を澄ませてみましょう。心を開いてみましょう。

目を閉じて、自分の魂の感覚に集中してみましょう。自分がここにいる、ということを感じて、その奥から聞こえるものを、探ってみましょう。愛がそこに聞こえるはずだ。なんでもしてあげたい。みんなあげたい。いっぱい、いっぱい、愛してあげたい。そういう声が聞こえるはずです。

その感覚に、慣れ親しんでみましょう。

たとえば、スーパーで、A商品と、B商品のどちらを買うか、迷うことがありますね。そんなときね、自分の心の響きに耳を澄ませてみるのです。それでね、愛の響きの世界があると信じて、見えない愛の存在に、尋ねてみるのです。

「これとこれ、どちらを買えばいいでしょう?」

するとね、親切なことをしてあげたいと思う、見えない愛が、すっとあなたの魂にささやくんですよ。するとね、声は聞こえないけれど、なんとなく、A商品がちょっと嫌な感じがしたり、重く感じたりします。そして、B商品が、なんとなくいい感じにみえたり、軽く感じたりするのです。

微妙な感じなんですけどね。そんな小さな感じを、馬鹿にしたりせずに、大事にしていくのです。すると、少しずつ、自分の中に、愛の響きが流れ込んでくるんですよ。B商品を買って帰って、使っていると、あら、なんだかいい感じがするなってことを、見つけていくのです。これを使うと、いいことがあるみたいって。

そうやって、愛の響きに親しんでいくと、いつの間にか、自分のまわりに、いいものやすてきなものが、たくさん集まってくるようになるんですよ。

ほんとよ。要は、信じることです。

このトマトもね、その愛の響きから来たのです。

スーパーで一個のトマトを買ったとき、わたしは思わず言ったのです。トマトやいちごは、とってもやさしい食べ物だよって。そしたらね、親戚の人が山ほどトマトをくれたのです。つまりね、わたしがトマトを心からほめたので、トマトがとてもそれをよろこんで、わたしに、親切にしてあげたいと、思ったのです。そのトマトの愛を感じた、見えない愛の響きが、ふっと、親戚の人の心にささやいたのです。

トマトを、あの人に、あげましょうよ。

そしてね、その人は、なんとなく、トマトをわたしにあげたくなったのです。

ほら、すてきでしょう。あるんですよ、こんなこと。

愛は、いつも、こんなことを、見えないところで、いっぱいしてるんですよ。



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