(『キリストの神殿奉献』部分。自画像。)
この画家が天使だということに、驚かないものはいないであろう。
ジョヴァンニ・ベッリーニは、ティツィアーノの師であり、ゲンマに匹敵する高い段階に達した天使である。
普通彼のような天使は、ひっそりと地上に生まれてきて、決して小さくはない使命を果たすが、ほとんど何もしないまま、誰に知られることもなく、無名人のまま若くして死んでゆく。決して小さくはない使命とは、ただその天使がそこに生きているだけで、そこの人間たちが助かるということだ。天使が生きているというだけで、悪いことが起こらずにすみ、皆がたすかるのである。彼のような天使はそんな人生ばかりを送るのがふつうだが、この人生だけは、画家としての名声を得、たくさんの美しい作品を残して、天寿を全うしている。

(『レオナルド・ロレダン 』1501頃)
ジョヴァンニ・ベッリーニがほかの天使の画家と違うところは、キリストの受難の図を真正面から描いていることである。ほかの天使は、ティツィアーノもボッティチェリもレオナルドも、ゴッホも、キリストの磔刑図を全く描いていない。なぜなら、あれは天使たちにとってあまりに悲しい事件だったからだ。一応言っておくが、ボッティチェリの磔刑図は後半の魂が描いたものであり、ティツィアーノのそれは、彼の人生をのっとった馬鹿が描いたものだ。

(『死せるキリストと二天使』部分。)
だがこの天使は磔刑図や死したキリストの絵をかなり多く描いている。なぜか。それは彼が段階の高い天使であり、まだ比較的若い天使にはわからないことを、知っているからだ。
彼が描いたキリストの死に顔を見てみたまえ。彼がいかにイエスを愛しているかがわかる。こんな美しい死に顔をわたしは見たことがない。彼はこの絵によって、われわれに何かを教えようとしているのである。何を教えようとしているのか。それはこれからわかる。

(『聖母子と聖カタリナ、マグダラのマリア(聖会話)』)
ジョヴァンニ・ベッリーニは今まで紹介した天使の中では最も段階の高い天使である。彼はあまり目立たない地味な所に陣取って、われわれにはまだできない、高い仕事をしているのである。

(『聖母子(双樹の聖母)』 1487年頃)
美しいが、ほかの画家と比べると、幾分人間から遠いような冷たさを感じるだろう。段階の差がそれを感じさせるのだ。だが彼が描いた絵は、大事にしていかねばならない。それらは必ず、人類の未来に大きく貢献することになる。