世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ハナミズキ

2015-09-09 04:23:37 | 月夜の考古学・本館

ハナミズキ Cornus florida

 ミズキ科ミズキ属。別名アメリカヤマボウシ。
 冬には、花など咲くのかと疑うくらいさみしい枝ぶりのハナミズキですが、春ともなると白や赤の見事な花を見せてくれます。木全体が燃えているようにすら見えるほどです。
 冬の枝ぶりを見て、この木はかれているんじゃないかと、知らない人は考えるかも知れない。けれども時期を待てば、その木の本当の力が見えてくるのです。ハナミズキはそういうことを教えてくれる。春になれば誰もが驚く、ああ、こんなところに、こんな美しい花の木があったのか。
 自分をさげすむのは愚かなことだ。今の自分の中に秘められているものを信じないのは愚かなことだ。たとえ今が、どんなにみすぼらしく、愚かで未熟に見えようとも、自分の中に花咲く種があることを信じて、今をこつこつと懸命に生きていれば、いつか必ず何かが見えてくる。新たな自分を発見することができる。
 だから、自分はどうせだめだなどと言ってあきらめるのは愚かなことです。他人をうらやんでばかりで、自らの力をためす努力もせず、日々を怠惰にばかり消費するのは愚かなこと。
 己と対話しながらその力を測る努力をする時間を長くもたない人ほど、他人をうらやみ自分と比べたがるもの。彼我の比較の中で神を呪いたがるもの。努力をしているものは、人をうらやんだり必要以上に批評したりする暇はない。
 己としてどう生きるかを考えることで、精一杯なのだ。自分を信じているからこそ、どんな逆風や高い壁でも、その向こうの未来を信じて、戦い抜くことができる。途中で倒れるかどうかは、ただその結果がそれだというだけのことだ。得られたものは魂の中に豊かに残る。私は私自身としてそれに挑戦したのだから。
 挑戦をした人の瞳は光が厚くなる。しなかった人は萎えてゆく。
 ただそれだけのこと。自分以外のだれをも責めることはできない
 自分の中の花を見つけるために、今しなければならないことは、煙のような情念の雲の中でくすぶっているよりも、今一歩進むための足掛かりを探すこと。目を動かし、頭を動かし、手足を動かす。それら必要なものはすべて、もう神様が与えてくださっている。


(2006年2月、花詩集33号)




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