イラクで、また、日本人が殺されてしまいました。テレビに映った青年の、涼しげな瞳と整った言葉遣いに、何でそんなところに行ったんだよ、どうか、助かって欲しいと、願っていましたが……、今のイラクは、そんな日本人の甘い願いが通用するところではありませんでした。
何の罪もない人を捕まえ、銃で脅して締め上げたあげくに酷い殺し方をして打ち捨てる。それは、彼を殺した彼らからの、敵対する者に対する恐怖のメッセージであり、この世界で最も野蛮なことばでした。人の命と運命を、道具のように使ってこの世に記した、恐ろしいことばだったのです。
音声や文字を使って記すのだけが、ことばではありません。例えば、人が山や海や空や、道端に咲いている何げない野花などを見て、何か貴いものを受け取ったと感じたら、それはすなわちことばです。この世に存在するすべてのものは、自らの内的世界を誰かに伝えようと、精一杯の表現をしている、ことばそのものなのです。
それで言えば、冒頭の彼の死も、世界に何か大切なことを伝える為に、彼自身の運命でもってこの世に記した、一つのことばなのでしょう。それはいつ誰に伝わるでしょうか。
私達が魂の扉を開き、感性を磨いていけば、どんなかすかなメッセージでも受け取ることができます。そして、小さな花や木々の緑の中にさえ、あふれるような愛のことばが隠れていることを発見するとき、生きる喜びが魂の奥からあふれ出し、その人は自分の目の前で世界が変わっていくのを見ます。この世界そのものが、それを創造した大きな心からの、私達への愛のことばだと、わかるからです。
私達が使う音声や文字は、ことばそのものではなく、一種の器です。大事なのはその器に込められた姿のないもの。言霊と言う通り、ことばという形の中には命があります。だからこそ、時にことばは人生を変え、世界を変える事すらできるのです。
私達は、ことばを、もっと真摯に学ばねばならないと思います。ことばは、魂の創造力が深くかかわる、一種の魔法です。もし私たちが、その魔法の正しい使い方を、真摯に探求し、熟練し、芸術として高く完成させていければ、人の血で書かれるような、むごたらしいことばは、この世からなくなるか、或いはもっと少なくなるに違いありません。
(2004年11月ちこり32号、編集後記)