チコリ Cichorium intybus
キク科の多年草。別名キクニガナ。夏に青紫のかわいい花を咲かせますが、小さな砲弾型をしたレタスみたいな野菜としての方が、よく知られてるかもしれませんね。柔らかでほんのりと苦みのある食味や、かわいらしい花も魅力的ですが、私はこの珠玉のような名前の語感が好きで、自分の主宰している同人誌の名前にも使いました。
チコリを食材として育てるには、モヤシのように、暗い所に閉じ込めて育てなければなりません。本来なら、お日さまを浴びて伸び伸びと葉や茎を伸ばし、自分本来の花を咲かせることができる、そういう可能性も持つ種でありながら、それをすべて諦めて、人の食卓にのぼるために、しかもただメインの肉や魚の傍らにひとひらの葉を飾るだけのために、本来の自分を曲げて生きなければならない。
そういう生き方を示されたとき、人はどう思うでしょうか。
なんて残酷なと思うかもしれない。それが世の中なんだと、諦観のため息をつくかもしれない。当のチコリは、どう思っているでしょうか。
生まれた時から、お日さまの愛を浴びて伸び伸びと自分を表現できる。それも幸せでしょう。けれども私は、生まれてからずっとそんな光の中に育ってきたがために、他者の心の痛みを感じる感性が細やかに育たなかった人を知っているのです。
だれもが彼を愛したがために、彼は愛を侮り、まるで冷凍庫の中のマグロ肉のように、それを乱暴に無感動に扱うようになったのでした。
チコリは愛する日の光を絶たれても、成長することをあきらめません。暗がりの中で伸び、物言わぬ歌をつむぎながら、まるでやわらかな宝石のように自分を作っていく。静けさの中で、生きられなかった自分を夢見、時に怨念にさいなまれながらも、それらへの愛惜を、自分の全てを差し出す、より高い愛に変えて、生きようとするのです。そういう生き方もまた、生き方なのです。
小さなかわいい花のチコリ、ほんのりと苦みのある野菜のチコリ。どちらのチコリが幸せだと、あなたは思いますか。
(2005年2月花詩集21号)