世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

種をまく樹木の精

2009-01-21 15:07:23 | こものの部屋

今日はこちらでは雨が降っています。でも昨日は晴れでした。
ので、近所の散策というより、歩いてちょっと遠出をしたいと考え、いつもの5倍くらいの距離を歩きました。それくらいのところにあるスーパーで買い物をしたかったのです。

ところが、徒歩では途中で力尽き、帰ってから自転車に変えて、買い物してきました。それが悪かったのかな。今日はしんどいしんどい。

とにかく何か新しいことを始めようとすると、体がいうことを聞きません。年齢もあるけど、悲しい。絵も描けないし。詩も書けない。闘病というものがこんなにしんどいとは思わなかった。でもがんばる。

あああ。

闘病と言っても、睡眠不足なんですけどね。睡眠剤のお世話になるとは思っていませんでした。寝つきはもともと悪いほうでしたけど。
薬を飲むと、ほんと、雰囲気まで病人て感じになるから不思議です。睡眠剤のおかげでぼーっとしてしまって、動作がいちいちとろくて。無表情になって。

今日はくらいな。でもいちおう画像付きで。今日は何にしよう、とこれから決めるのです。

種をまく樹木の精。背中の葉を、翼のようにしたいんですが、今一つ工夫が足りなくてそこが不満足。

もう一回挑戦してみたいテーマです。さて、絵が描ける日はいつ来るのでしょう。今はただ、主婦病人しています。




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かわいい三美神

2009-01-20 10:15:28 | こものの部屋

これもノートの落書き。女の子のヌードなんですけど、いやらしい感じはしないでしょ。かわいいでしょう。

女の子っていうより、小児という感じがしないでもないですね。顔がこどもっぽいから。

でもちょっと恥ずかしいので、画像は小さめ。

鉛筆を持って紙に向かうと、何かしらやわらかかなS字の線を描きたくなるそしてなんやかやと発展して、かわいいヌードになったりする。女性の裸体には、どうにもならない魅力があるようで。

でもこれ、簡単に書いてあるようですが、けっこうしんどいんですよ。バックを塗るのが。何ぜ画材は鉛筆一本ですから。一枚一枚、結構時間かかってます。

今は、ノートに向かっても絵を描く気にもなりません。
睡眠不足のつかれが、させてくれないの。
いろいろあって、今はさぼりが仕事なんだと思うことにしています。

描いても、線に自分がこもらなくて気に入らない。超スランプですね。こういうときは休むに限る。

先日も、未完成の下書きに手を入れてみたのですが、今は絵を描くときじゃないなと、納得するだけでした。

また描けるときがくるでしょう。



コメント (2)
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箱庭写真集

2009-01-19 12:27:26 | 箱庭写真集

さっきまで外を散策して、写真をとってきました。

公園のセンダンの木もすっかりと裸になった冬。咲いている花などほとんどありません。それでも、まさきの実や、みちとへいの間に咲き残っていたヒメツルソバや、公園の椿のつぼみなんぞと出会ったので、撮ってきました。

最近のわたしの写真は撮ると、元気がないのがそのままでてしまうのですきではないんです。だからあまりとりにいかないのですが、今日はわりに風が温かかったので、かめらをもってでかけました。

この季節は春が恋しいですねえ。

睡眠不足は睡眠剤のおかげで少しは改善してるようです。でも、なんだか眠ってる気がしない。目が覚めたあとのすっきり感てのがありませんね。あ~あ。

でも少しずつです。夫も、少しずつ良くなってるよといってくれるし。それがうそでもうれしい。本気にすると、ほんとにそうなりますから。

言葉は不思議。口に出していうと、ときどき、ほんとうにそうなることがありますから。なぜかしら。それはわかってますよね。

愛の響きが、そのことばを実行するからです。

ほんとよ。

やれやれ、いつもどおりのわたしだ。

今は、絵も詩もなかなか描けなくて、ただただできる家事だけをしているという感じなんですが、それもいいかという感じなのです。一時期、苦しすぎて、絵も詩も、書き飛ばしてた。そのときの勢いが、わたしの中の詩情のどこかに、回路のショートを起こしている感じがしないでもない。

もう少し休んで、自分らしい詩や絵をかいていきましょう。こういう時期が、次の自分をどんな感じに生んでいくのか、そういうことを考えるのも悪くないですしね。

あ、なおタイトルの意味は、ほんとにわたしの家の周りの公園や道端や空き地の隅などから撮ったものばかりだからです。カテゴリの名前をこっちにしようかなって考えてるんですけど。どうしようかな。






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ふたごの星とさそりの火

2009-01-18 13:12:40 | こものの部屋

賢治がテーマの作品になりましたが、最初は手をつないで見つめあう天使の図になるよていでなかったかと記憶しとります。

落書きは、いつもテキトーに途中でテーマを変えておりますが。

前にシグナルとシグナレスのときにもふれたかったのだけど、賢治の作品はあまりにテーマが大きすぎてそして繊細すぎて時々悲しくなります。

彼は軽便鉄道の小さなシグナルの明かりにすら、魚の口の形のネビュラを思いおこすんだ。それは彼の理想が絶望的に遠い所にあるという意味にとれる。だからこそこうして今も読まれているんでしょうが。

深く考えすぎると、心が重くなるのでここらへんでやめて、話は変わりますが、入院中、病院の図書室で見つけたある一冊の本にも、似たような悲哀を感じました。全部は読んでないけど(読めるはずないけれど)、岩波文庫から出てる「ゴッホの手紙」(中)です。

今でも出てるのかな。ゴッホがどんなことを書いているのか興味をもってひらきましたが、ゴッホの魂のあまりにもまっすぐな視線、無邪気な理想への信頼に、耐えられず、途中で本を閉じました。

それと比すと、賢治は、ゴッホの理想が、魚の口の形の星雲よりも遠いことを知っている。それで、全体をわびさび仏教的な無常観に似た、あるいは固まって食べられなくなった青いアイスクリームのような大気の中にとじこめて、目を閉じ、ただ、生きている。

メルヘンという岸辺の小さな泡のなかに。

今日はちょっと暗かったかな。




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愛のことり2

2009-01-17 11:57:00 | こものの部屋

見たこともある方もおいででしょう。これ、ずいぶん前に描いたカードシリーズの中の一枚が気にいらなくて、手を入れていた下書きを、今回苦心して切ってみたものです。

全体的に力がないのは、やはり不調のせいでしょう。睡眠不足は病気の一つですよ。眠れなくて力が入らず、目がかすんで線がよく見えない。それを少しずつ少しずつ、注意しながら切っていったのです。

前作のほうがよほどタイトルにふさわしくなりましたな。これはみてるとちょっとつらいわ。

今も、下書きに手を入れている作品があります。前なら、4~5時間で一つで来ていた作品に、時間をかけて、ひとところができたらもうやめて別のことをやり、また気づいたらやり、で、この作品ひとつ描くのに、どうだろう、何日かかかりました。

それでも完成したので、拍手!

こんな調子で少しずつ調子がよくなっていければと思います。

休みながら、やりながら。

それにしても、ほんとに睡眠不足はつらいわ。今熱いコーヒー飲んでこれやってますが、まるでのーみそ半分溶けちゃってるみたい。

さてとこれからわたしは、詩のリハビリです。最近の作品は、リハビリのつもりでやってます。ことばのビーズを並べるような感じでね。おもしろいものができたらまた紹介しましょう。





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奏楽

2009-01-16 11:13:29 | こものの部屋
相変わらずの日々を送っております。

最近不調と言いながら詩を載せておりますが、いつものように、いい調子が出ないような感じです。なかなかに、どこか自分に自信を失っているような感じだ。といって、自信たっぷりなような感じです。

詩人の世界は自分だけだから、ほかに比べようもないから。ただ書くだけで楽しいものなのですけどね。

スランプの時は、人の批評など気にせずとにかく書く、という感じで描いたりしてますが、できふできなんてのは最初からわからないし、わたしは詩をどこかビーズ織りの細工のように考えているので、そういう感覚で楽しんでいただけるとうれしいです。

深く意味をとらえようとしていないで、なんとなく読んで、ただ感覚で大づかみにとらえてあると、あるときふとどこかから、なにかが芽生える、あるいは奥底に沈んで見えなかったものが浮上してくる。それが生きる力につながっていく。そういうものではないかと考えている。

なんてことをつらつらつづりますが。

画像は、入院中のノートの落書きです。このころはもっと元気だったな。目の前のハードルを乗り越えるために必死でやってた。

さてと。今もやってるわけですけど。

あっと、先日、ボランティアのお話し会にいってきましたよ。楽しかったな。
子供達もボランティアの人たちもたのしそうだった。わたしも不調が治ったらまた読み聞かせをしたい。

いろんなことが新しくなっていました。わたしもがんばらねば。


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ことのはの

2009-01-15 08:44:27 | 詩集・貝の琴
ことのはのあわだちを
かわもにうがち
みえないたまごをうえる
どこからどこまでが
しんじつなのか
わからないときは
はるかそらふくかぜの
くもをとくもじのもようにしずみ
なにもわからないままに
めばえる

はてさて
じぶんがなんだったのか
そこでなんとなくわかるという寸法だが
かつてこれまた
自分の予想があたったためしがない

はるかかなたのもじをみつつ
ちいさなわたしのたまごが
なんのたまごであったかをしることは
それをいましることは
おろかであるにはちがいない

はるか天空を見下ろす
小さなかわもにうかぶおれの
あわのようなたまごは
目に見えぬ魚のディーエヌエーのように
くるくるとまわりながら
おともなくまろやかに
うつくしい交尾をくりかえしている



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かわいいヴィーナス

2009-01-14 09:40:37 | こものの部屋

これもノートの落書きです。定番どおり、小さなヴィーナスを巻貝の上に載せてみました。腰のまわりに持ってる布は、ボッティチェリの時の女神が持ってるマントを意識しております。

なかなかにかわいいでしょ。

一時期、女の子の裸を描くのに抵抗を感じていた頃があったのですが、これくらいなら、とくにもんだいはないかと、発表して見た次第です。

ボッティチェリのヴィーナスなら、顔の人格性が弱いから裸になってくれても抵抗はないけれど、マネのヴィクトリーヌ・ムランなら、すごく抵抗がある。なんでって、絶対裸を見たくない人の裸を見ちゃったような気がするから。考えてもごらんなさいよ。いるでしょ。いくらきれいな人でも、ヌードという題材にしてみたくない人。

マネの失敗は、絶対裸にしちゃいけない人を裸にしちゃったからなんだと思う。つまり実在の、魂ある女性を裸にしてしまったから。どこにでもいる無人格的女性じゃない、形だけの女性じゃない、知性も教養もある、重い精神の手触りを感じる女性を裸にしてしまったから。つまりは、ほんまに女神を裸にしてしまったのです。

この落書きは、顔を丸くして単純化して、お人形みたいにしてるから、裸でもなんとなく平気でしょう。

とにかくね、女性の裸は、ほんとはみちゃいけないものなのよ。でもね、あんまりにかわいくて、きれいだから、どうしても、なんとかして、おもしろいものにして、みてみたい。そういう要求が、芸術家たちに、たくさんの裸婦を描かせてきたのですな。

しかし、世の中にはいろんな裸婦があるけれど、ある雑誌で、クールベの「世界の起源」をみた時はショックを受けました。これも芸術なら許されるのか。いったい芸術とはなんだろう。

とにかく、人間は、おもしろいことをやりたい。自分の好きなことをやりたい。んだな。それが、おもしろいんだなあ。

女性の裸体は、この上なく美しいものです。この美しさをこれからどう表現していくか。そいうのを考えるのもおもしろいな。わたしもいくらか小品を書いてますけど。確かに美しいものを描くのは楽しい。






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最近の悲哀

2009-01-13 12:18:21 | 珈琲の海
最近の悲哀と言えば、旧ブログを削除されてしまったことです。とほほ。
長いことほっとくと消されちゃうよということは、知ってたんですけど、いろいろあって、ずっとほっといた結果、見事消えちゃいました。

愛読者のみなさん、すみません。

でも、それほどには落ち込んでいないのです。かくいう、過去の作品ほど本人を恥ずかしがらせるものはないという感じのものがあって。

あの頃はこれを本気で書いてたんだなっていう文章を見るには悲しみもあるもので。

なんていうことで、削除されてしまった悲しみをごまかしているところです。

私は詩にはあまり執着していないので、消えてしまったことにはあまり、つよい不満はないみたいです。また書けばいいことだし。

今は絶不調なので、詩も絵も何も書いていません。毎日家事だけ。それと、療養かな。

睡眠不足はつらいんですよ。眠りたいのに眠れないの。あたまのなかがかたつむりになっちゃう。とにかく、肝要なのは忍耐と方策か。こんな雑文書くのも方策の一つです。なんでもないことでも、なんとなく、書いちゃいましょう。

今日のお昼はおもち2コでした。最近食欲もあまりないのは、運動もしないからかな。とにかく、がんばろうおっと。。。


旧ブログを愛読してくださってたみなさん、もしいらしたら、ほんとにすみません。。。。

今はこんなこといってるけど、あとでほんとはあれとっとくべきだったって思うんじゃないかなあ。でもまあいいか。

詩はいつも、新規投稿画面に直接書いてます。おもいつくまま。ノートに裏書してあるのはほとんどありませんね。

少し考えないといけませんかも。








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大どろぼうホッツェンプロッツ

2009-01-12 15:00:48 | わたしの本棚
大泥棒ホッツェンプロッツ
プロイスラー作・中村浩三訳 偕成社文庫

ホッツェンプロッツのシリーズは三巻あって、(「大泥棒ホッツェンプロッツふたたびあらわる」「大泥棒ホッツェンプロッツみたびあらわる」)写真はその2巻目です。この本にも入院中お世話になりましたが、いかにしてこんな本を選んだかというと、実は苦い思い出があって、その小さなトラウマの傷が一生残ってしまう、という本だからなんです。

今高校生の長男がまだ小学生だったころ、たぶん寝ながらだったと思うんですが、読み聞かせていた本だったんです。でも子供は読み聞かせになんだかうるさそうにして聞いてるもんだから、わたしも途中でやめちゃったんですね。それでね、ずっと、ずっと、あとになってから、長男からいわれたんですよ。ぼくは、いまだにこの本の落ちを知らないって。ああ、ばかですね。あのときは、こどもたちに、むりやり聞かせているような感じがして途中でやめてしまったけれど、ほんとはこどもたちは、きいてたんですね。ちゃんと。

とまあ、こういうトラウマが残っている本なのです。子供にも大人にもとってもおもしろいとてもかわいらしいメルヘンです。今更おそいけど、一巻目ではホッツェンプロッツは、とうぜん警察につかまってるからね。それもとんでもないかんじでね。高校生は興味なんてもたないし、忘れてるだろうけれど。

でも、わたしにとっては、それだけでいつまでも忘れられない本、このさい、三冊ともいっぺんによんでしまいました。一冊目も、読んだのはだいぶ昔なので、内容はすっかり忘れてしまっていましたよ。とってもおもしろかったです。

のちのち、読み聞かせボランティアなんかするようになったのにも、実はこの、ちょっとつらい経験が影響しているかもしれません。

こどもたちがつまらない顔をして聞いているように見えても、それはほんとじゃないんだな。こどもたちはまだ、感情の表わし方が未熟だから、そんなふうにみえたのかな。どちらにしろ、わたしも未熟でした。

とりもどせない失敗は、ずっと残るもの。でもそれを取り戻すために、ずっと、やっていくつもりです。読み聞かせボランティアを。たったひとつの失敗が、大きな大きなほほえみの渦のもとになってくれれば、わたしもうれしい。

そうすれば、あのときしてしまったことの傷が、少しは軽くなるかもしれない。

人間は未熟な者。失敗はつきもの。でも心につきささる失敗は、絶対にほっておかないで、あとで、なんとかしてみましょう。

自分の子供たちにしてあげられなかったことを、ほかのたくさんのこどもたちのために、してあげましょう。




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