リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ボジョレ・ヌーボー解禁!

2006年11月16日 12時50分59秒 | 日々のこと
今日はボジョレ・ヌーボー解禁だそうで。3年くらい前でしたか、四日市のレストランでボジョレ・ヌーボー解禁の日にコンサートをしたことがありましたねぇ。ゴーティエの曲なんかをたっぷり弾いた覚えがあります。でもワインって年代物がいいのですよね、確か。これって新しく穫れたものをありがたがる日本独特の「風習」なんでしょうか。

米なんかも新米はおいしいとか言って尊びますが、ひょっとして昔はそうではなかったのかも。というのは、新米ということばは、別の意味もありますよね。意味合いとしてはあまりどっちかというとネガティブなニュアンスのすることばです。「君は新米なんだね」って言われたら、少なくとも褒められているのではないです。という言葉の使い方からすると、以前は新米はそれなりにおいしいけど、ベストではなく、何年か寝かせた米の方がおいしいというのが一般的な認識だったのかも。(辞書で調べたら未熟の「新米」と同じ意味で「新前」ということばもありましたけど、この言葉が転嫁して「しんまい」になったのかもしれません)

「新」と反対の意味を持つ「老」は今ではどっちかというとネガティブに響く昨今です。「老練」なんて意味はポジティブですよね。「老獪」と言う言葉もありますが、これはちょっとずるがしこい感じもする言葉です(笑)が、蓄積された技のすごさを言っているには違いありません。他に「新」の反対の意味を持つ言葉に「旧」とか「古」がありますが、「旧」はニュートラルな感じです。「古」は時間を経てその重みを感じさせる意味合いがあるようです。

日本語の使い方からすると元々は古いことや歳をとることにネガティブな方向性は少なかったように思えますが、最近は年代物はいざ知らず、歳を取るのはネガティブにとらえられがちです。なんでこんなんになってしまったんでしょうね。アメリカによる戦後政策の影響があるなんて言う人もいますけど、どうなんでしょう。私くらいの歳になると、よく友人が「あー、若い頃はよかったなー」「わしの若い頃は・・・」なんて言うのを聞きますが、歳を取らないと分からないことやできないことって沢山あると思うんですよね。だから昔の人は亀の甲より年の功なんて言っていたんでしょう。

こういう価値観って、マスコミがあおった結果かもしれませんよ。「若いってほんとにすばらしいですね」とか「若さあふれる皆さんにいい演奏をしていただき・・・」なんていつもNHKのアナウンサーが口走っていると、「歳を食うことはいけないんだ」とか「歳食った人はいい演奏ができないんだ」なんて言われているのと同じ感じがしますよね。

同じように、カツラの宣伝で、「もうナヤミ無用」とか「ハゲは病院で治す時代です」なんて言われていると、ハゲってだめなんだと言っているのと同じですよね、結局。カツラの宣伝そのものがハゲのネガティブ・キャンペーンみたいな。

最近は、団塊の世代とかその周辺の人口が多い世代を相手にしないと商売儲からないもんだから、多少美しく老いるなんて意味合いの宣伝や論調が出てきていますが、ま、これも結局はマスコミにあおられているだけなのかも。中高年の皆様には(って私もそうですけど)そんなもんにあおられることなく老獪に事あるごとに加齢ポジティブ・キャンペーンをやりましょう、「今時の若いもんは」とか「何でボジョレ・ヌーボーなんかをありがたがるんだよねぇ、ったく」なんて言って。(笑)でも生半可な知識で言っちゃうと、インターネットで情報武装した最近の若いモンに馬鹿にされるかもで、ご注意を。