リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

逸ノ城からめぐりめぐって・・・

2014年09月26日 10時31分12秒 | 音楽系
大相撲の逸ノ城(いちのじょう)が快進撃です。新入幕ながら、現在11勝1敗で優勝を狙う勢いです。新入幕で優勝すればなんと1914年夏場所の両国勇治郎以来100年ぶりだとか。

その100年前、1914年と言えば第一次世界大戦が勃発した年です。大戦は1918年に終わり、戦勝国であった日本はドイツ人捕虜を徳島などの収容所に収容、板東俘虜収容所ではドイツ人捕虜たちが日本で初めてベートーベンの交響曲第9番演奏したことはよく知られたお話です。

翌年1919年にはブラジルの作曲家エイトル・ヴィラ=ロボスがブラジル政府の依頼で第一次世界大戦終結記念に交響曲第3番「戦争」、同4番「勝利」、同5番「平和」を作曲しました。ただ第5番はスコアが散逸してしまったようで今のところ聴くことができませんが、他の曲は録音があります。

彼は大変な多作家ですが、作品の管理があまり良くなかったことでも知られています。彼の有名なエピソードですが、カフェで作曲していて(彼はどんな騒々しいところでも作曲できたと言われています)楽譜を床に落として手の届かないところに行ってしまい、拾うのが面倒なのでまた新たに曲を作ったといいます。とにかく筆は速かったのでしょう。

この頃既にヨーロッパでリュートなど古楽器の研究が始まっており、1921年にはハンス・ブルーガーが「バッハ、リュートのための作品集」を出版しました。これは後の1970年に私の師匠であった大橋敏成先生が全音楽譜出版社より日本語版を出版されました。



1973年、私はまだギターも弾いていましたが、この本の楽譜をもとにBWV1000「リュートのためのフーガ」を自分でギター用に編曲し中部日本ギター協会主催の新人演奏会で演奏しました。この当時BWV1000のフーガはギターでは演奏されておらず、BWV1001の無伴奏ヴァイオリンソナタのフーガ(BWV1000の異稿)を編曲して演奏するのが当時のギター界では普通でした。私の編曲と演奏はそれなりに物議をかもし、大いに支持してくださる方がいる一方で先達に学ばない態度はけしからんなどとも言われたりしました。

そのギター界ではバッハのリュート作品をリュート組曲「第1番」「第2番」などと読んでいますが、以前のこのブログでも書きましたが、この番号は実にこのハンス・ブルーガーの本によるものです。歴史を感じてしまいますね。ということでなんか逸ノ城からとんでもないところに話が飛んでしましましたが、今回はこのくらいで。