リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

オーバブッキング

2017年04月15日 17時10分16秒 | 日々のこと
ユナイテッド航空のオーバーブッキング関連の話が話題になっていますが、随分昔私もオーバーブッキングのため飛行機に搭乗できなくなったことがありました。

もう40年以上前ですが、オランダに滞在していてパリから飛行機で日本に帰る予定をしていました。やっとのことでパリの空港に着きましたら、オーバーブッキングで乗れないとのこと。で、いつの便なら乗れるかと尋ねましたら、3日後にチューリッヒから乗ってくれとおっしゃる。しかも南回りです。

当時のソ連上空は飛ぶことができなかったので、北極海を横切り、米国アラスカ州のアンカレッジを経由して行くのが最短距離でした。本来は私はこの北回りで帰る予定でしたが、倍くらい時間がかかる南回りに乗らされ、しかもパリからではなくスイスのチューリッヒから出発です。

めちゃくちゃな話ですが、同じ目に遭った日本人が数人いましたので、「団体交渉」をしてチューリッヒまでの飛行機代、ホテル滞在費、もちろんその間の食事も航空会社持ちということになりました。当たり前の話ですが、何も言わなければ、全て自腹ということになってしまっていました。ホントにいい加減な航空会社でした。

南回りはホントに長かったのを覚えています。バーレーンとバンコクで給油して行ったのですが、20時間以上飛行機に乗っていました。そうそう、チューリッヒの空港で正面から歩いてくる小澤征爾にばったり、「こんにちは」って声を掛けましたら、向こうも「こんにちは」って返事が返ってきました。彼は当時すでにスーパースターでしたから、向こうから歩いてくるが見えたときはびっくりしました。思っていたより小柄な方だというのが印象的でした。

まだヨーロッパ往復「格安」航空券が30万もして、シベリア上空(当時はソ連)の航路はまだなく、成田ではなく羽田から出発、帰着をしていた、そんな時代の話です。