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ラボの冷凍庫を整理中(今年の仕事納め)

2014年12月30日 | 仕事・研究
ラボの冷凍庫を整理中。どうしても捨てないと新しいのが入らないけれど、本当は捨てたくない(涙)。しかし2011年3月11日以前のはどうしようもないので捨てました。だいたいこれまで冷凍庫においていたのも、だめとわかってはるのに未練があって捨てられなかったのです。あのとき、緊急稼働の冷凍庫に入れるまで、丸二日そのまま放置されたサンプル。使えるはずがないのはわかっていました。でも取り直しのきかないサンプルはどうしても捨てられなかった、、、。この度、一連の実験が終わって論文がアクセプトされたのを機会に、思い切って古いものは処分。でもこのテーマはまだやり残したことがあるので、新しいものをワンセットは整理しなおして残しました。とはいえ、冷凍庫の整理は一度では終わりません。温度が上がってきてしまうので、残りは年明けに。1月5日の自分に向けてメモを残しました。

片付け始めるといろいろ気になって手を付けたくなりますが、3台の-80度、2台の-30度のうち3台の整理がほぼ終わったので今年の仕事はこれで終わりということにします。今日はこれから買い出しに行って、明日はおせちを作ったり家の片づけをしたり。

仕事面で今年を振り返りますと、2期生3期生4期生が3代にわたって取り組んでくれた卒論をまとめて論文にしたものが、年末にようやくParasite Immunologyにアクセプトされたのが一番うれしいニュースでした。この論文は正真正銘、学部生だけでやりとげた研究です。みんなよくがんばりました。研究費は今年も科研費をいただき(代表1、分担1)、共同研究の論文も一本出て、学会発表は3本(獣医学会、放射線影響学会、免疫学会)、というような歩みでした。学部生しかいないラボなので本当にか弱く細々と歩んでいるわけですが、それでも今ここでできるベストは尽くせたかなと思います。

今年は他にもいろいろ目標を立てていましたが、全然達成できていないのが「自分のメンテナンス」。月4回ジムに行く、本を50冊読む、映画を見る、休暇を取るなどの項目がありましたが、ジムは月平均が2.8回。本は34冊。映画は一本しか見られませんでした(Wood Job)。休暇を取るというのは半分仕事がらみで多少できたかなと思いますが、年初めに宮古島、夏に礼文島、秋に鹿児島に行けたのはよかったです。

来年は今書いている論文を必ず仕上げるのはもちろん、その次に用意している論文も何とか書いてしまう/国際学会に行く/次の科研費の構想をまとめる、などが目標です。うまくすれば4月に次男が大学に進学し、子育ても一段落するので、今年ちょっと抑えたこともどしどしやりたいと考えています。もうご飯の時間に飛んで帰らなくてもいいので、それだけでも心躍る新年度です。

それでは皆さんもよいお年をお迎えください。
来年もどうぞよろしくお願いします。

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あすと長町仮設住宅支援活動(12月)

2014年12月28日 | 震災・災害関連
遅ればせながら12月の活動報告です。

12月5日、12日と2週にわたってクリスマス・ローストチキンを作りました。
今年も大変おいしくできました!






12月19日はクリスマスリースを作りました。
本物のモミノキ、ヒバを使って香り豊かな、そして個性豊かなリースが出来上がりました。





これは私の作品。



新年は1月14日に餅つきを行います。
被災者の方であればあすと以外の方でももちろん参加できますので、どうぞおいでください。
参加費は無料。
つきはじめるのは正午あたりです。
朝から学生ボランティアがもち米蒸したり小豆を煮たりしますので、最初からやってみたいという方は10時半にお越しください。
場所は宮城大学食産業学部加工棟です。

〒982-0215
仙台市太白区旗立2丁目2-1
宮城大学食産業学部
☎ 022-245-2211(代)

参加される方は事前にお電話いただけると助かります。




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小学生を連れての海外赴任3

2014年12月23日 | アメリカ生活
もう一つ大事なことを書いてなかったんですが、小学生になると「日本語はどうする」というのもけっこう大きな問題です。1年間程度の滞在であればその間は英語環境にどっぷりつからせて英語を身につけさせたい、という親御さんもいらっしゃるのですが、わたしは日本人のお友達との付き合いや、日本語補習校や、日本の通信教育等をうまく活用することをお勧めします。子どもはすぐ慣れると多くの大人は考えますが、海外生活のストレスは子どもにもあります。場合によっては全然なじめない子もあります。そういうとき、やはり日本語環境はその子にとって安心できる場所になります。また、逆に滞在が長くなると今度は日本語がどこかにいってしまい、家庭内でも英語で過ごすようになったりする場合もあるのですが、その場合でも親が思うほど英語で完全に自己表現ができているわけではなく、日本語がおぼつかなくなると自分をきちんと表現する言語が日本語でも英語でもない、という中途半端な状態にもなりかねません。第2言語の習得は母国語の根っこがきちんとできているときに一番効率的に進むということがわかっているので、日本語を大事にすることは英語の習得にもけっしてマイナスになりません。

大きな都市でしたら日本語補習校がある場合もありますし、進研ゼミやZ会は海外にも送ってくれますから、ぜひ海外赴任前に検討されるといいと思います。

ところでせっかく習得した子ども達の英語ですが。
ずうっと以前にも子どもの英語の保持について書いたことがありますが、あれからまた何年も経ち、やっぱり英語には助けられています。子ども達ったってもう上の子は二十歳過ぎちゃいましたが、二人ともすべての受験科目の中で英語の偏差値が一番高く、小さい時の努力が報われたかなと思います。いや、もちろん引き換えに置いてきたものもたくさんあるんですよ、だからうちの子だけじゃなく、帰国子女の皆さんにはけっして単純に「英語ができていいねー」みたいなことは言いたくありませんが、あの耳はあの年齢で海外にいたからこその賜物だとは思いますね。

【ワシントン日本語補習校での音楽会:2002年頃】


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小学生を連れての海外赴任2

2014年12月20日 | アメリカ生活
私がアメリカに行くことになったとき、現地には日本人の方が数人おられて、その方々に大変お世話になりました。先の記事に書いた予防接種を無料で受ける方法や子ども達の英語力試験を受けに行く場所や運転免許の取り方を教えてもらい、本当に助かりました。渡米してすぐ子どもの体調が悪くなった時も、すぐに医者に予約を入れてくれ、連れて行ってくれて、薬のもらい方なども教えてもらいました。当時、そういう手助けがなかったら、私はいったいどうしていたのだろうと想像もつかないくらいです。ですから、わたしも現地にいる間は、次々に渡米してこられる方々のお世話をずいぶんしました。情報を共有するだけでも本当に役に立つのです。おかげで、これまでどこででも体験したことのないほど深いつながりでたくさんの友人に恵まれました。

最近はインターネットが発達していますから、渡米前に現地の情報を得ることは昔よりたやすいと思いますが、生身の人間にまさるものはありません。海外赴任が決まったら、現地の方と積極的にコンタクトを取ることをお勧めします。

アメリカでは最初段ボール10個程度の荷物だけで生活をスタートし、家具を少しずつ買ったり、ムービングセールで格安に譲ってもらったりして最後にはそれなりに家らしくなりましたが、何にもないところから始めるというはけっこう楽しく、工夫も生まれ、よい経験になったと思います。最後はすべての家具を売り払いましたが、その時に知り合った人とまた新たに友人関係を築いたり、まさに日々エキサイティングで有意義な時間を過ごしました。

海外では、日本のように至れり尽くせりのサービスはありません。
電話をつけるために電話会社に電話しなきゃなりませんが、その電話が手元にないんですからどうしろというの?というようなことや、〇日〇時に行くからと言われて待っていたら何の連絡もなくすっぽかされる、なにかを契約するにはクレジットヒストリーが必要だけど、日本のヒストリーは使えないよ、とか、まあよくもこれほど難問があるなとあきれるくらい次々とやっかいな問題がありました。全部解決していかなきゃなりませんが、非常に面倒です。日本だとなんの疑問もなくだれか(ショップやら営業さんやら)がやってくれたことが、すべて自分でやる必要があり、おとなしくだまっていたらまったく解決されないことも多々あって、物事をはっきり言う、確約をとる、といったことをやっていかなくては、生活そのものがなりたたず、当然仕事・研究どころではないわけです。

先の記事に書いたスクールバスの進路変更などは、とあるオフィスに電話をかけるのですが、いつも留守電。しかもメッセージはフローしており、相手は絶対に聞いておらず当然コールバックもありません。そこで【配達証明】つきの郵便を出し、いかに困っているかを訴え、なんとかちらの言い分を聞いてもらいました。アパートの食器洗い機が壊れたときはいくら催促しても修理に来ず、しまいに「この食洗機は家賃に含まれているはずである。これ以上修理しない場合、その分を差し引いてもらう」という手紙を出したら、翌日修理に来てくれたなど、そういう話だったらいくらでもあります。

ビザのことも始終頭を悩ませました。
1年くらいの赴任ならJで問題ないのでいいのですが、行ってるうちに「もう少しこのまま続けたい」などとなる場合もあり(わたしも)、そうするとビザの切り替えが必要になります。今思い出してもこのビザの問題がわたしにとっては一番難問でした。最後まで、よくやり通せたなと思います。Hへの切り替えはまさに命がけで、ダメだったら帰国しかない、という土壇場に、多くの人が神経をすり減らしています。そういう意味で、母国というのはなんとありがたいものかなあ、と思いますね。わたしはこの国で、仕事してもしなくても、学校へ行っても行かなくても「ここにいていいよ」と言われる。アメリカではポスドクでしたが、研究費が切れるから君の首を切るよと言われて(実際わたしも言われましたが)、とたんに帰国か次のラボをみつけるかのまた土壇場に立たされる。結局、アメリカにいて一番よかったなと思うことは、研究の内容もさることながら、これだけのサバイバルを生き抜く力、とくに精神力が鍛えられたことです。

ちょっと「小学生」の話からそれました。続く。

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小学生を連れて海外赴任の巻

2014年12月14日 | アメリカ生活
tamaさんからご相談があった小学生を連れて海外赴任する、について。

連れて行くかどうか、っていうところはメリットデメリット並べて比較検討してみてください。
単身赴任でアメリカに連れて行くということになった場合のことについて書きます。
以下長々書きますが、一言で言うと、「準備をしっかり」ということに尽きます。

アメリカでは大人の監視なく子供だけを家においておくことはできませんので、小学生と言えどもアフタースクール(学童保育)またはシッターさんが必要になります。わたしもそれはわかって渡米したのですが、ラボのボスは「小学校内のアフタースクールに入れるから心配いらない」と言っていたのに、行ってみたらウェイティグリストで待ってる人がものすごく多くて、まったく話になりませんでした。ボスはそういう情報は全然調べずに安請け合いしていたと思います。まあでもよくある話です。そこで地域の学童に申し込みました。こちらは入れたのですが、スクールバスがそこを経路にしていませんでした。それで交渉して停車してもらうことにし(これが結構大変だった)、無事に入所できました。バス停から一人で歩かせられませんから、施設の前でおろしてもらうしか選択肢はなかったんですよね。

その前に、英語の試験を受けに行くというのがありまして、地区の教育委員会(?)みたいなところに出向いて試験をしてもらい、この子はESOLが必要だから○○小学校に入学させてください、という許可みたいなのをもらいました。また、予防接種を受けないと入学できませんので、移民対象のクリニックに行って無料で予防接種を打ってもらいました。これ、医者に普通に行くとすごい料金とられます。さて、連れて行った長男は日本では保育園児で、行ったら小学校1年生だったので、まず授業になれるのにすごく苦労しました。英語もわかりませんし、しばらくはしょっちゅう学校に呼び出されました。同じ学校に日本人の子どもさんがいたので、何度も助けてもらいました。

わたしが赴任した地域には日本人もけっこういたのですが、お母さんが働いているというケースはありませんでした。ですから、わたしのように子どもの預け先で苦労している人がおらず、とにかく情報不足でした。ちょっと離れたところにNIHがあり、そちらの地区だと赴任サポートサービスをビジネスでやっている方があり、家さがしや学校についてもサポートしてもらえるのでしたが、わたしの住んでいた地域ではそういうのはありませんでした。家だけはボスや同じラボの日本人の方に探してもらい、先に決まっていたので本当に助かりました。

車は最初はレンタカーですが、なるべく早く買わないとやっていけないし、保険も入らないといけないし、運転免許も取りに行かねばならず、最初の一か月はわけがわからないまま奔走している感じで、それと同時並行で子どもが学校や保育園に行き始めたので、私にはまったく余裕がありませんでした。実家の母が一緒に行ってくれてたすかりました。

小学生がいるなら、理想を言えば、8月中に赴任するのがベストです。最初は家庭ですごし、9月になる前にBack to Schoolに出てそろえるものリストなどをもらって買い物し、新学期に間に合わせると子どもの負担はかなり減ります。うちは11月に赴任したので、クラスの子ども達はすでに9月から新学期を始めているからついていけないし、もともと英語もわからないしで、時期については大失敗でした。いや、わたしもボスに言ったんですよ。ラボの仕事始める前に、先に行ってセットアップしたいって。でもボスが「そんな必要ないよ。大丈夫、大丈夫」というので、まあ失敗したんですな。アメリカという国柄を知らなすぎました。

長くなりましたので、続きはまた明日。



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免疫学会@京都

2014年12月11日 | 仕事・研究
免疫学会で京都に来ています。



いつものことですが、学会に来るのはスケジュール調整が大変で、直前まで忙しすぎて死にそうでしたが、来てみたらとっても楽しいです♪ 勉強になりますし、いろんな方に会えますし、うちの実験に役立つスキルについてもいろいろ聞けて、本当に有意義です。

今年は代謝系と免疫系のクロストーク、それから免疫老化というわたしが取り組んでいるテーマにどんぴしゃの演題がいくつもあり、かなりうれしいです。そういえば数年前に糖尿病と寄生虫感染で科研費出したときにぼろぼろになるくらい読み込んだ論文の著者さんのシンポジウムがあり、「わー、この人だこの人だ」という(個人的)盛り上がりもありました。

明日は自分のポスター発表がありますが、最後までいると仙台に帰れなくなるので、18時に自主的に撤退予定。
そんなわけでばたばたですが、明日も聞くべき発表が多いので楽しみです。

【京都駅のクリスマスツリー】




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学都仙台コンソーシアム公開講座、終了しました。

2014年12月06日 | 仕事・研究
今日は公開講座で「女性とキャリア」というテーマで、いかに生きるかというお話をしました。中心はアメリカでの子育てと仕事についてです。アメリカから帰ってきてすでに10年、あの頃は遠い記憶になりつつありますが、本当に楽しくて挑戦的な日々でした。いろいろ考えてしゃべったつもりですが、終わってみたらまだまだ話したいことがあったな~という感じで、そのうちまた別の機会に話したいと思います。今日はいつも一緒に活動している被災者の方々からお花もいただき、本当にうれしかったです。支援活動なんて言ってますが、わたしの方がいつも励まされ、力をいただいているんですよね。

【いつも活動している皆さんと】


【いただいたお花を玄関に飾りました。】


帰ってきたら次男が卒業文集(?)にのせるのに子どものころの写真がほしいというので、アメリカ時代のアルバムを出しました。それを見ていて懐かしがるので、そのころの学校の課題をファイルにまとめたものを出してやったら、夢中で見ていました。あの頃こんなに英語を書いていたんだなあ。こんなに課題をやったんだなあ。本当によく頑張っていたなあと思います。

私は子どもと一緒だったのでアメリカの教育システムをよく知ることができたと思います。自分だけの研究留学だったらまったく知らずに過ごしたでしょう。そういう意味でも子連れ赴任は自分にとって本当に有意義な機会でした。今日もお話ししましたが、英語の習得だけだったら日本でもできます。アメリカで暮らした5年半は、アメリカ社会を深く知る時間でした。自分の周りしか見ていなかった目が開かれました。

帰国して10年たって、実はちょっと自分がのんびりしていることに気がつきます。
今日は私が自分を振り返る機会にもなりました。
挑戦していく姿勢を忘れないようにしたいです。


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冬が来た。

2014年12月06日 | その他もろもろ
今日は午後から学都仙台コンソーシアムの公開講座がありますが、その前に来週の免疫学会のポスターが出来上がっていないので研究室にやってきました。朝出かけようとすると車のフロントガラスが凍っており、ガリガリこすり落として暖房入れてようやく出発。来週は雪も降るようだし、これからの季節は10分以上余裕を見て動くようにしなければと思います。そうは言ってもいつも忘れてしまい、車のところに来てから「がーん」となるのですが、気を付けなければ。

しかし今日は晴れてよかった。
この寒さで雪でも降ったら、申込みいただいてる方でも行く気なくすかも。

さてポスターもだいたいできたし(月曜日に最終の見直しをして印刷の予定:火曜日に京都へ出発)、ぼちぼち街中に出かけるかな。
まだ早いけど、たまには仙台の街を歩いてみよう。
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