書き直した論文の英文校閲が返ってきたので、さらに細かいところを直して完成させ、やっと再投稿しました。文章ができあがってからの、さらに投稿に至るまでの細かい作業はいつも気を遣います。ジャーナルによって流儀が違いますし、ミスしてこれまでの苦労を水の泡にしたくないので、この最後の最後の作業にはけっこうプレッシャーがあります。世の中にはいろいろなサービスがあって、論文投稿そのものを請け負ってくれる会社があるくらいで、「論文を書く」ということと「出版にこぎつける」ということの間にはかなり隔たりがあります。もっというと、まだうんと若い頃、first authorでとにかく好きに書いて、ボスが真っ赤に添削してくれ、それをcorresponding authorとして投稿してくれ、さらにrevisionも対応してくれていたころのことを思い出すと、「気楽だったなあ」と思いますし、それで「論文を出している」と思っていた自分が恥ずかしくなります。あの頃は英語も本当にダメだったので、ボスは大変な苦労をしてくれたと思います。自分で書いた方が早いと思っていただろうと思うくらいです。そういうわけで、論文は「書かない、出さない」は論外として、出していたとしてもcorresponding authorとして最終的な責任を持つというところがない場合は(たとえば共著など)、書いたうちに入らないと思っています。逆に、共著で名前を入れていただける場合は、実験の一部を担ったり等、なにかしらの貢献はもちろんしているわけですが、論文をacceptまでもっていくあの苦労を、共同研究者が担ってくれているわけで、本当に感謝しかありません。
今日、再投稿した論文は、まだacceptになるとは限りません。だいたい私の場合、1回で済むことはほとんどないです。だからまだまだ時間がかかると思いますが、一番しんどいのは最初のrevisionなので、一山超えたということはできるでしょう。もう次の論文を書き始めました。論文書くのは、間を空けたらできなくなるんです。執筆の習慣は途切れさせたらアウト。だからいつもいつもプレッシャーと闘いながら日々を過ごすことになり、時々本当にしんどいですが、これが自分を成長させる重要な負荷なので、これからも戦っていきたいと思っています。